メ ク ネ ス

 

 

 ホテルアクアスで朝食。モロッコ滞在中の朝食はどこもこんな感じだった。簡素だが、コーヒーとミルクは大量に入っていた。

 パンはフランスパンとともに、菓子パンが出されることが多かったのだが、不思議なことがひとつ、、

 デニッシュ風のパンが写っているが、これはよく朝食で出た。どこも、チョコが、端のほうに、申し訳程度に付いていて、パンの中まで入り込んでいるわけではなかった。なぜか、このことが気になっていた。

 8時にドライバーがやってきた。前日に車を手配していたのだ。というより、ホテルにチェックインのときに、ホテル側からすすめられて、予約したのだ。ヴォルビリスとムーレイ・イドリスに行って、300DH(約4290円)。45分でヴォルビリスに到着。

 朝が早いため、最初の30分ほどは、遺跡を独り占めできて、いい気分だった。入場料は10DH(約143円)。

 さっそくガイドがまとわりついてきたが、さっとかわした。

 ヴォルビリスはモロッコに残るローマ遺跡。この国で大きなローマ遺跡はここだけだ。

 この遺跡で一番大きな建築は、左のバリシカ礼拝堂。  

 次に大きいカラカラ帝の凱旋門。

 

 

 

 

 プールの跡だろうか。  
 

 自分が行った中では、レプティスマグナやエフェスなどには及ばないが、かなり広い土地に、遺構が残っている。

 邸宅の跡などには、モザイク画があちこちに残されていて、とても美しい。

 右はヘラクレスの顔を描いている。いろいろなモザイク画の中で自分が気に入った一品だ。

 遺跡の端のほうから、バリシカ礼拝堂を望んだ風景。

 遺跡の周囲は、平原になっていることもわかる。

 遺跡の端から端まで歩いて、周遊コースではないので、また端まで戻った。

 1時間あまり、充実した散歩だった。だが、モロッコの観光の最初が、ローマ遺跡とは、ちょっと変な気分だ。

 ムーレイ・イドリスは、ヴォルビリスから10分ほどのところにあり、旅行記によっては歩いたとの記述もある。

 今回は、少し遠回りして、ムーレイ・イドリスの全景が見渡せる丘を回った。ドライバーが気を利かせて回ってくれたのだ。

 白い家が、丘の全体を覆っていることがわかる。この画像の左側にも丘があって、2つの丘からなりたっている街である。

 ムーレイ・イドリスの中心にあるのが、ムーレイ・イドリス1世の廟。緑の屋根が美しかった。だが、異教徒が入ることはできない。

 彼は、8世紀に開かれた、イドリス朝の創始者。モロッコ最初のイスラム王朝である。この王朝のとき、ここは都であった。

 下の2枚は、街中の道。左はトンネル状になっている。結局、迷子になり、丘の上にはたどりつけなかった。

 なんとか、上がってきた道に戻り、街の入口に戻れた。ヤレヤレ、、

 これで、迷路型の街路がどんなものか体験できた。これから訪問するフェズやマラケシュの予習のような感じであった。

 1時間弱の散歩を終えて駐車場に戻った。最後に、もう一度、ムーレイ・イドリスの全景を目に焼き付けた。

 メクネスに戻り、まず、メディナを見渡す。

 黄色い家が多いようだ。

 マンスール門。史跡地区の入口になっている門だが、出入りは門の左手の道路からする。

 ここで車を降りた。史跡地区は後回しにして、まずメディナの散策に出発。

 マンスール門の前の広場、エディム広場。

 この広場の右奥からメディナに入るようになっている。

 すでに、12時30分。メディナを散歩しながら、昼食場所を探そう。

 下左は、グラン・モスクの入口。メディナ内からは、ミナレットがなかなか見えなかった。下右は、メディナ内の街路にて。

 やってきたレストランは、ジトーゥナ。

 建物の外側は、ほかの建物とまったく違いがない。レストラン名を書いた看板がかかっているが、見落としそうである。

 ところが、中に入ってみると、きらびやかな装飾に驚かされる。メディナでは、建物の中を見る機会はないから、こういうところで食事するのはいい機会だ。

 セットメニューは、タジン、クスクス、プロシェットから選ぶようになっていた。ビーフのクスクスを選んだ。税込みで136DH(約1945円)でやや値のはるランチとなった。

 まず、サラダ。これが、また量がとても多い。野菜類の下には米が引いてある。米もまた、サラダになる野菜の扱いのようだ。ここで多く食べると、クスクスが食べられなくなる恐れがあるので、セーブしておく。

 続いて、メインメニューのクスクス。

 画像では野菜がてんこ盛りになっているが、豆やニンジンをとると、その下に骨付きビーフが入っていた。

 別に、スープがあり、スープをかけて食べるようになっていた。

 具の味はよかったのだが、パスタがどうもなじめなかった。世界最小のパスタらしいが、口にあわない。

 すでに、満腹に近くなっていたのだが、別腹なのだろうか、デザートのフルーツもしっかり、少しずつ食べた。

 小さなオレンジは、日本のみかんとほとんど同じ感触で味も日本のみかんのような味だ。

 しめくくりはミントティー。ポットの中に、ミントの葉が入っていたが、大衆食堂的な店では、コップの中にミントの葉が入った状態で出される。

 ミントの香りはいいのだが、砂糖を入れすぎているようで、甘すぎる。自分で調節できないのが難だ。このあと、ミントティーはあまり注文しなくなってしまった。

 レストランから出て、エディム広場に戻る途中に、グラン・モスクのミナレットを発見。

   

 いわしを丸ごと焼いてサンドイッチにしていた店。試してみたかったが、満腹ではどうしようもない。他で試すことができれば、と思っていたが、結局、ほかでは見かけなかった。

 

 オリーブ屋。実にさまざまな種類のオリーブがあるものだ。どうりで、レストランの付け出しででてくるオリーブも店によってさまざまなわけだ。

 写真ではわからないが、実際に店で見てみると、下段のオリーブは、糊状のもので固めてあった。だから、売っているのは、上段のオリーブだ。

 マンスール門から、史跡エリアに入り、リフ門へ。これを抜けると、風の道といって、高い壁で挟まれた直線の道路が1kmほど続いている。

 だが、門は工事中で、人通りがなかった。だから、門を抜けられないと判断して、左手から城壁の外側に抜けた。(実際には、工事中でも通れたのだ。あとで、反対側からリフ門を通り抜けた。)

 城壁の外側に抜けたのは失敗だった。城壁の外側には、壁に沿った道路がない区間も多く、かなり遠回りをしなかればならなかった。

 だが、思わず発見ができた面もあった。壁の外側は、あまり整備されておらず、民家が並ぶエリアだった。右の画像は、壁の外側に沿った道で、「風の道」を通って往復していただけでは、壁の外側がこんなになっているということには、気がつかなかなかったことだろう。

 やがて、ようやく壁の内側に入ることができ、さらに歩き続けた。40分か50分くらいは歩いたと思う。やっと、目的地の、アグダルの貯水池にたどり着いた。

 200mと500mの辺を持つ長方形の形をした貯水池だ。何の変哲もない池なのだが、地元の人たちの憩いの場になっているようで、岸辺には人々が多い。つりをしている人もいたが、魚がいるということなのだろうか。あまりきれいには見えなかったが。

 貯水池のそばにある、ダル・エル・マ(水の館)に入った。

 名前に惹かれて入ったのだが期待はずれ。右のような部屋があるだけ。  

 

  、

左のようなものが、いくつかあり、どうやら、井戸のあとらしいが、
 

  ダル・エル・マの中を抜けて外にでたところ。どうも、ヘリ(ムーレイ・イスマイルの穀物倉)のようだ。

 この中を撮影した写真がガイドブックに掲載されていたのだが、雰囲気はかなり違う。

 このあと、この周囲を歩いてみたのだが、ヘリの中に入る入口はなかったので、やはり、ダル・エル・マの中を抜けていくのだろう。

 「風の道」。ダル・エル・マから街の中心に向かって歩いた。

  一直線に1kmくらい、この感じの道が延々と続いている。左の壁は、王宮の壁。右の壁の外には民家があり、外側の道はさきほど紹介した。

  高い壁に挟まれているので、なるほど風が吹き抜けるのだ。なかなか雰囲気がよくて、メクネスでは、ここが一番気に入った場所だ。

 

 「風の道」を歩き終え、さきほど、通り抜けられないと思ったリフ門の工事現場を通りぬけた。

 そして、ムーレイ・イスマイル廟へ。ここに限らず、モロッコの名所は、昼休みがあって、12時から15時は入れないってところが結構多い。先ほどは入れず通り過ぎたのだが、午後の開場時間になっていて入場。

 17世紀のアラウィー朝のムーレイ・イスマイルの廟である。

 次に、キリスト教徒の地下牢。ムーレイ・イスマイルの時代に、キリスト教徒が捕らえられていたという。

 明かりはほとんどなく、不気味な雰囲気であった。

 このあと、クベット・エル・キャディンにも入ったが、えっ、これだけ、というような場所であった。

 エディム広場に戻り、その一番奥にあった、ジャメイ博物館へ。

 左の画像で、のほうに旗のたっている建物があるが、そこ。

 外側は、ほかの建物とそう違いがあるわけではないのだが、内部は豪華なつくりになっていた。なぜなら、かつては王宮だったのだ。そこに、生活用品などが展示されていた。

 博物館の展示になっていた、モロッコ風のリビング。

 今も、金持ちのモロッコ人の家の中などは、こんな感じなのだろうか。

 

 

  次に、ブー・イナニア・マドラサへ。メディナの中のスークの一角にある。  

、その中庭。

   

 2階にアーチ型の窓があるが、そこは修行僧の部屋。

 右は、その部屋の内部。

 

 

  

  マドラサの2階からは、スークの中をのぞける窓がついていた。右は、そこから撮影したもの。

 

 

 

 

 

 

 

  

  屋上に出ると、グラン・モスクのミナレットが目の前にあった。
 
 

 暗くなってくると、スークの人出がどんどん増えていった。

 歩くのも苦労するほどだった。

 これで、メクネスのメディナともお別れ。

 夕食は、ホテル近くのマルハバで。ここは、大衆食堂的なレストランだ。

 下左は、ハリラ。

 下右は、チキンのタジン。じゃがいもは、煮る代わりに、フライドポテトを使っている。

 この2つを注文して26DH(約372円)。安くあげようとすれば、安上がりにすることはできそうだ。

  

 このあと、翌日、フェズへの移動に備えて、まず鉄道駅へ。一応、事前に時刻は国鉄のサイトで調べてあったが、始発が9時39分と遅いので、ひょっとして、区間列車がないかと期待してだ。でも、やはり9時39分。

 次に、CTMバス乗場に時間を調べに行って、驚く。何と、早朝や深夜にしかバスがないのだ。きっと、夜行バスの区間利用なのだろう。民営バスやグランタクシーの乗場はホテルから遠いのでだめ。結局、翌朝は9時39分までゆっくりすることにして、ホテルで休んだ。

 

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