フ ェ ズ

 

 

 本当は8時ごろにメクネスを出発、9時ごろフェズに着きたかったのだが、適当な手段が見当たらず、9時39分発の列車で移動となった。

 この日は8時からゆっくりと朝食。前日と同じなので、画像はなし。食後は、それでもホテルに長居していても仕方がないので、9時に駅へと向かった。

 9時51分発が2本あるように見えるが、タンジェ行きは、マラケシュ行きに乗り、途中駅で乗り換えであり、実際は1本。

 メクネスのアブデルカデル駅。ここが新市街の中心にある駅で、旧市街にも近い。ほかに、中央駅もあるのだが、なぜか街はずれにあるようだ。

 この列車は、カサブランカを6時15分に出発したあと、ずっと始発列車で、9時39分のメクネスでも始発列車。

 モロッコの列車は、かなり正確に走るらしいが、それでも、自分が乗った列車は、どの列車も数分遅れだった。

 

 2等のコンパートメントに乗り込む。先客は、モロッコ人ばかりで注目を浴びた。

 メクネス中央駅で、新型車両が止まっていた。2階建てで開放型だった。

 このあと、ずっと、平地を1時間あまり走行。

 少し遅れて11時ごろフェズに到着。フェズから先、ウジダまでは1日3往復の列車しか走っていない。うち1往復は夜行列車。

  

  フェズ駅は、新市街の北端にあり、ホテルまで歩く。
 

 20分ほどで、ホテル・ムーニアに到着。すぐにチェックインしてしばらく休憩。ここは、300DH(約4290円)。

 

 

  

 いったん、CTMバスターミナルへ行って、翌日のシャウエン行きの時刻を確認。
 

 フェズ・エル・バリと呼ばれる旧市街に行く途中に、フェズ・エル・ジェディドという、エリアがある。旧市街と新市街の中間の時期にできた地区である。

 ここに王宮がある。ただし、門は固く閉じられていて、中をのぞくことはできない。国王がフェズに滞在するときに使われる。

 メラーと呼ばれる、かつてのユダヤ人居住地区。

 中世、ヨーロッパではユダヤ人の迫害が激しく、モロッコに渡ってきたユダヤ人も多かった。この地区は15世紀にできた。しかし、イスラエル建国後は、ユダヤ人はイスラエルに渡り、今はいない。

 木のバルコニーなど、ほかの地区と異なる家のつくりになっている。かつてのシナゴーグもあるらしいが、どこにあるのかわからなかった。

 フェズ・エル・ジェディド通り。

 このエリアのメインストリート。道路の真中で露店がでていたりして、歩きにくかった。ここは旧市街ではないが、すでに気分は旧市街にいるようだった。

 

 しばらく行くと、藁を使ったアーケードになり、強い日差しがよけられてよかった。藁のアーケード、今後、モロッコ各地でみることになる。
 

 フェズ・エル・ジェディドとフェズ・エル・バリを結ぶ道路。2つのエリアは500mほど離れているのだが、2エリアを結ぶ道は、メクネスの「風の道」に似た雰囲気だ。

 

  

 犠牲祭が近く、羊を連れた人が目立つ。運命を察知して、歩くのをいやがる羊も多い。
 

 広場を突き抜けて、フェズ・エル・バリ突入。まずは、昼食。すでに、13時30分なので、ハラペコ。フェズ・エル・バリ入口には観光客向けの店が何軒もならんでいる。その1つで、サラダとチキンタジンを注文。

 

 
 コーラを含め50DH(約715円)。日が差し込むテーブルに座ったため画像がよろしくないが、味のほうはまあまあ。、
 

 食後、いよいよ、フェズ・エル・バリのメディナに突入。 

 

 

  

 らくだの頭のかかった肉屋。らくだ肉も売っているのだろう。
 

 ブー・イナニア・マドラサ。薄くらいアーケードにある小さな入口から中庭に入ると、とてもまぶしい。ただし、2階のあった修行僧の小部屋は、修復中で入れなかった。

 

  

 メディナ内は自動車は入れないので、ロバが荷物輸送に活躍している。
 

 しだいに、道が細くなっていく。そして、だんだん坂を下っていく。

 

 

 

 

 

 

 

  

 途中、ネジャーリン広場という一番賑やかなところが、メインストリートからはずれたところにあるので、人がすれ違うのがやっとという横道に入っていった。

 ガイドブックの地図では、すぐに着けるような感じだったのだが、迷子になってしまった。

 ぐるぐる回って、あとで行く予定のアッタリーン・モスクまで行ったり、もと歩いていた道に逆戻りしたりと、一苦労。 

 

 でも、何とか到着。上の土産物屋は、18世紀の旅人宿、ネジャーリン・フンドゥーク。

 左は、ザウィア・ムーレイ・イドリス廟があるが、異教徒は中に入れない。

 

 いったん、元の通りに戻った。あたりには、香料や香辛料の店が集まっている。このあたりが、アッタリーン・スーク。アッタリーンとは、香料屋のことだそうだ。  

  

 鮮やかな色をした激甘らしい菓子もあちこちで売っていた。

 

 なつめやし屋。

 ほかに、塗料の粉とか、ヘンナ(女性が手に描いているオレンジ色の細かい模様)の粉とかの店もある。

 

 メインストリートの突き当りには、アッタリーン・マドラサがあった。が、、、すでに鍵がおろされていた。

 すぐ近くには、カラウィン・モスクがある。このモスクは、フェズ・エル・バリで一番大きなモスクであり、周囲を回ると500mくらいある。

 ところが、モスクの全景を見ることが結局できなかったのだ。というのは、モスクの周囲は、モスクの建物とその周囲の別の建物とが2階以上の部分でつながっていて、トンネルのようになっているからだ。

 ようやく、モスクの外周の一部を撮影したが、これでは何なのか全く不明。それらも迷路が邪魔で写真がとれなかった。

  次に、サファリーン広場へ。

  カラウィン・モスクの外周に接している小さな広場だ。外周っても、モスクがはっきりとは見えないのは、上に書いたとおり。

 

    

 広場に面した仕事場では、職人たちが手作業で銅製品を作っている。

 銅製品の土産物屋も何軒かある。

 

 さらに坂道を下って川沿いに行くと、なめし革職人街があり、タンネリと呼ばれる。

 歩いていると、なめし革、なめし革、と日本語で呼びかけられ、建物の中に入るようすすめられる。

 ガイドブックにあるような作業場が果たして見られるのだろうか。そうじゃなくても、高額のチップを請求されるんじゃないだろうか、とつい心配になり、入れずじまいだった。臭い、というのはどんな臭さだろうか気になるし、入れば良かったな。

 川沿いでは、革を洗う人がいたし、それで雰囲気だけつかんだ。

 川に沿った建物では、いろいろな色で染められた布が干してある。このエリアは、なめし革とともに染色の職人が仕事をしているエリアでもあるのだ。

 川を渡り、アンダルース地区に向かった。橋は壁で外が見えにくいのだが、一箇所だけ窓のような穴があけられていて、川の様子がわかる。

 ところが、またもや道に迷いアンダルース・モスクには行きつけず、フェズのはずれのほうに出てしまった。

 人に尋ねたが、日本語の地図では、まったく理解してもらえずじまい。

 たぶん、メディナの北のはずれにいたと思う。で、アンダルース・モスクの方角の見当をつけて歩き出した。

 左の写真は、まだ城壁内だろう。ところが、いつのまにか、城壁外にでてしまっていた。そして、城壁の外側の道路を城壁内と勘違いして歩いていた。

 どうして勘違いしたかというと、ガイドブックの地図で城壁外は公園のような緑で塗られているが、実は市街地になっているからだ。

  城壁外の木炭屋。

 

 

 

    

 タジン鍋の販売所。
 

 ようやく、城壁外にいることがわかり、クフーカ門から城壁内に入った。  

 クフーカ門から真西に進めば、アンダルース・モスクだったのだが、いつのまにか道を間違ってしまい、フトー門に出た。

  

 フトー門から慎重に歩き、ようやくアンダルース・モスクにたどりついた。このあと、川の西側に戻るまでは、細い道を歩いたが、勘があたって、間違えずに西側に戻れた。
 

 川の西側に戻ったあとは、先ほど歩いたのと、逆コースで歩いた行った。

 なめし革エリア、カラウィン・モスクを経て、メインストリートを歩いた。途中で、メインストリートにあたる通りが、もうひとつあることに気付き、そちらの道を通った。

 夕食は、昼食をとったレストランのすぐ近くの別の店にした。こちらも旅行者向けの店。

 ハリラ、羊肉のプロシェット(串焼き)、デザートのセットメニューにした。水を入れて75DH(約1073円)。

 

 今回の旅ではじめてのプロシェット。

 乾燥地域では、この料理が一番食べる機会が多いのだが、モロッコでは、このときが唯一の串焼きだった。たまには、このメニューもいいものだと思った。

 デザート。
 

 食事後、メディナの入口のブー・ジュルード門を見た。

 緑のタイルで覆われている。ここから入らなかったので、最後になってしまった。

 タクシーでホテルに戻ったが、13DH(約186円)と安かった。

 フェズは、半日強では、とても駆け足になってしまい、もう少し、時間をかけて回りたい。モロッコにくる機会がまたあれば、フェズはもう一度訪問したい。

 

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