5 マ ン ダ レ ー その1
5時40分にレストランに行ったが、真っ暗。で、レセプションに行って、事情を話そうと思ったら、ちょうど従業員がやってきて、朝食の用意を始めてくれた。6時に食べ終わり、同時にピンピンさんの車がやってきた。 すぐに空港へ向かう。6時20分ごろ空港に到着。寺院風のターミナルだ。7時35分発の便に乗るのだが、チェックインの手続きが始まったのが7時30分。
客もあきらめはてた感じで、いつ飛ぶともしれない飛行機を待ち続けた。乗る予定の客の中には、あちこちに座り込んで待っていた人もいた。 9時30分ごろから一部の飛行機で搭乗がはじまり、やがて出発していった。だが、自分が乗る予定だった便は一番最後に出発となり、他の便が飛びたったあともしばらく待ち続けた。本来は、自分の搭乗便より遅く出発する便まで先に出発した。 自分の搭乗便は数少ないジェット機だったのだが、ほかはすべてプロペラ機(ATR72)。マンダレーの着陸許可がジェット機にはまだ出ていなかったのかもしれない。 10時すぎにようやく搭乗開始。乗客が乗り込むとすぐにあっという間の早業で離陸開始。バガンからマンダレーはわずか20分ほどのフライト。離陸したかと思えば水平飛行に移る間もなく着陸だった。飛行機だとほんのわずかだが、この区間をバスで行くと6時間かかるのだ。 マンダレーはつい最近、新しいターミナルができたようで、どこもたいへんきれいだ。そして、ヤンゴンよりずっと大きい空港だ。到着後、3日前に通ったコースを歩く。そう、悪天候のため、バガンに着陸できずマンダレーに到着したそのときに通った通路だ。ただ、今度は、外に出られる。 ここでも、まずは入域料10ドルを払わなければならない。10ドルでマンダレーのほか、アマラプラ、インワのみどころにも入場できるが、ザガインと今回は訪問しないがミングォンは別地域になっていて(この2つで1つの地域扱い)、3ドル必要だ。 外では、自分の名前を書いたドライバーが待っていてくれた。2時間遅れたのだが、ずっと待っていてくれて感謝を伝えた。ドライバーは車に連れて行こうとするが、自分は、まずリコンファームをしなければならない。で、リコンファーム!と言うが、ドライバーは、なぜか、ノープロブレムだと。 ここで、もう少し、強引に、エアバガンのカウンターに行くと言えばよかったのだが、何となく、ドライバーに引っ張られてしまって、リコンファームをせずに、空港を離れることになってしまった。これは、大きなミス。 この日は、空港からインワ、ザガイン、アマラプラを見学して、マンダレーのホテルに向かう予定だ。この3箇所は、マンダレーから1日で回るコースなのだが、どこもマンダレーの南方にあるので、空港から市内に向かうときや、市内から空港に向かうときに一緒に回ると、時間のロスが少なくてすむ。 11時ごろに空港をスタートし、まずは、インワに向かう。インワは14世紀まで19世紀まで長きにわたり、統一国家ビルマの都であったところだ。とはいうものの、現在ではすっかり廃墟になっている。 インワに向かうには、まず船着場まで車でいったあと、そこから渡し舟で川を渡り、降りたところで馬車をチャーターするようで、なかなか面倒な感じだ。しかも、ドライバーは、インワを一通り回るには3時間かかるという。これでは、ザガイン、アマラプラを十分にみられないではないか。急いで回ることにしよう。 11時30分ごろ車がそれ以上すすめない場所に到着。ドライバーにはそこで待っていてもらって、すぐそばの船着場から渡し舟に乗った。船からは、インワ鉄橋がよく見える。エーヤワディー川にかかる数少ない橋である。その向こうに見える山がザガインヒル。 船には乗客だけが乗れるボートと二輪車なども乗せられるフェリーとがある。行きはボート、帰りはフェリーだった。乗客が少なくても、一定の間隔で運行しているようで、行きは船頭以外に自分を含め3人しか乗っていなかった。 10分で反対側に到着。すぐに馬車乗場があり、だまっていても馬子がやってくる。ここで値段交渉。行きたいところを伝えて、4ドルで交渉成立。すでに、12時前なので、ドライバーの言う通りなら、インワを回り終われば15時で、ザガインは行けても、アマラプラは無理なので、交渉はそこそこにして、馬車を急がせた。当然、この日は昼食抜きだ。 インワの道路は舗装されておらず、しかも凸凹だらけ。馬車に乗って、写真を撮るのは至難の業だ。下は、そんな中で撮影したましな一枚。 最初にやってきたのは、北門。インワの城壁は、ほとんどなくなってしまいっているが、ここには少し残っている。 次に、ローカタラビェパゴダへ。18世紀に建てられたもの。緑の海の中に浮かぶ真っ白なパゴダだ。 境内の一角では、お祭りなのだろうか。踊りが行われていて、村人が見学していた。 下の仏像は、ひとつの大理石から掘り出されたものだという。重さは490トンだとか。 次の訪問地に行く途中の光景。いま見たばかりのパゴダが田んぼに映し出されて美しい。 バガヤー僧院に到着。ここは19世紀、アマラプラに遷都の直前に建造されたチーク造りの僧院だ。 中では、まだ10歳ほどの少年僧が勉強をしていた。 木の柱がたくさんある本堂。外よりも少し涼しかった。 次のポイントに向かう途中、ヤシ林の向こうに遺跡らしきものが見えた。 馬車は、畑の中の小道を行った。こんな道でも、途中で馬車の離合があり、なんとかすれ違うことができた。 1822年に建てられた監視塔。傾いているのがわかる。1838年の地震のためだ。この地震で、インワは大被害をうけ、都はアマラプラに移った。この塔は、今でも上ることができる。 塔の上からの眺め。それほどの高さではなく、眺望も特によいわけではない。 続いて、マハーアウンミェ僧院。19世紀初期の建造。レンガ造りだったので、地震にも耐え残った。今は使われていない。 内部の様子。たくさんの部屋に分かれている。 結局、船着場に戻るまで2時間30分かかった。帰りの船はフェリータイプ。 再びエーヤワディー川を渡る。インワ鉄橋は、新しい橋につけかえるのだろうか。新しい橋の工事中で、すでに半分くらい完成していた。 反対側に到着。すぐに車に戻り、ザガインへと急いだ。 鉄橋の手前で入域料3ドルを払う。そして、インワ鉄橋を渡る。橋の真ん中が鉄道、その両側が1車線の道路になっている。 ザガインヒルにはたくさんのパゴダがある。その中で、頂上にあるのが、サンウーポンニャーシンパゴダ。 とても広い境内の大部分はテラスになっていて、正面入口以外の三方の風景を眺めることができる。 金色のパゴダは、インワへ行くときの渡し船からも見えていた。 テラスからの眺め。新しいインワ鉄橋の建設が進んでいる。 本堂の仏像の前、左右に、うさぎとかえるが置かれていた。 サンウーポンニャーシンパゴダに隣接して日本パゴダがあり、その中に第2次大戦時の日本兵の慰霊碑がいくつかあった。 ザガインヒルをあとにしたのが、16時。アマラプラでは、ウーペイン橋を渡り、夕日を眺めるにとどめ、残りは、翌日に再訪問することにした。ウーペイン橋は、タウンタマン湖を渡る木の橋で長さは1.2km。 反対側近くの橋の様子。乾季のためか水のない部分も広がっている。家に見えるのは、橋の途中にところどころ設置されている休憩所。 ウーペイン橋を渡ったところにある屋台。魚の揚げ物、えびの揚げ物を売っていて、試食。日本の天ぷらのような感じだった。 橋の反対側に渡ってからさらに500mほど歩いて、チャウットーヂーパゴダへ。四方に入口のある大きなパゴダ。バガンのアーナンダ寺院を模したものらしいが、こちらはとてもひっそりとしている点が違う。 再び、ウーペイン橋を渡って、車に戻る。 日の入りはウーペイン橋から眺めることができた。 マンダレーのホテルに向かう途中、翌日、翌々日にも車を使いたいことを伝えたところ、別の予約が入っているので、仲間に連絡するとのこと。翌日は、マンダレー市内とアマラプラ再訪、翌々日はピンウールィンへ向かうことを伝える。 そして、気になっていたリコンファームだが、ドライバーのほうから、翌日はエアバガンのオフィスでリコンファームをしなければならないという。空港では、リコンファームできないといっていたのは、リコンファームはオフィスでするものと思い込んでいて、空港でできることを知らなかったのかもしれない。 18時すぎ、ユニバースホテルに到着。ビジネスホテル風の宿だ。 少し休んでから、夕食に出かけた。シャン料理の店、ラーショーレイに行った。入口で料理を指さして指定したら、それを席まで運んでくれるようになっている。シャンとは、タイのことで、タイ系の料理だ。 うれしいことにあまり脂っこくない。ミャンマーにきてから脂っこいものをたくさん食べているので、食が進んだ。それにタイ系というわりには辛くないのもうれしい。 レストランからホテルまでは1km強。歩いて20分ほどだが、たいへん暗いので、懐中電灯をカバンに入れていて助かった。ほとんど街頭がないうえ、道に面した建物からもれてくる明かりも少ないのだ。治安はよさそうなのだが、暗いので気をつけて歩いた。 シャワーのあと、翌日の回り方などを考えていたら、突然、停電があった。すぐに回復したので自家発電をしているのだろう。しかし、一晩のうちに何度も停電があり、電力事情が良くないことを身をもって体験した。
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