7 ピ ン ウ ー ル ィ ン
前日も聞こえていたのだが、この日も夜明けが近づくとアザーンが聞こえてきた。まるで、イスラム国にきているような気分だ。近くにモスクがあるに違いないが、前日は見つけられなかった。6時30分に、散歩に出たが、この日は、ホテル近くの路地をのぞいてみた。すると、あった、あった。モスクが、、ミャンマーでもイスラム教徒は結構、いるのかもしれない。
モスクの写真をとった後、シュエチミンパゴダまで歩いた。すでに多くの人たちが参拝していた。ここはマンダレーで最古のパゴダらしい。
この日もマーケットに向かったが、途中に動いていない時計塔があった。上部はパゴダ風になっているのがミャンマーらしさを感じさせる。毎日、朝方は霧が深いが、この日も視界がよくない。画像からも、霧が深いことがよくわかる。
マーケット近くでのひとこま。
托鉢僧への食事サービスをやっていた。前日、アマラプラのマハガンダーヨン僧院を思い出しながら、しばらく見ていた。
前日に続いて再度、マーケットを訪問。客と販売人が行きかって活気がある。これは、ほうきを売りながら歩いているのだろうか。落とさないかはらはらしていた。
ホテルに戻って朝食。この日は、チャーハンを選んだ。付け合せにしょうがのようなものがついていて、美味しかった。 この日も、シンさんの車が8時にやってくるので大急ぎで食事。この日はピンウールィンに向かう。ピンウールィンは、マンダレーから70kmほど東にあるのだが、高度差がかなりあって、マンダレーの高度はよくわからなかったが、ピンウールィンは1100mある。ピンウールィンは、イギリス領時代には、暑さになれないイギリス人の避暑地として発達した街だ。かつては、メイミョーと呼ばれていて、現在でもメイミョーという言い方も使われている。 時間通りやってきたシンさんにこの日の回ってほしいところを書いて渡す。すると書いた中で、ペイチンミャァウン(洞窟寺院)は、遠いから行けないという。ピンウールィンからさらに、20kmほど離れているらしい。結局、前日は50ドルの約束だったが、60ドルで行ってもらうことになった。しかも、希望するところ全部回るのは時間的に無理だろうといわれた。
峠道にさしかからる少して手前の村にて。このガソリン屋でガソリンを入れるのをしばらく待つ。この付近、2,30軒のガソリン屋が道路に沿って並んでいた。
峠を上りきったあたりからの遠景。実は、マンダレーの町が見えていたのだが、画像では空と区別つかなくて残念。
このような急な坂が延々と続いていた。列車でマンダレーからピンウールィンに向かう場合は、スイッチバックやループ線があるらしく、壮観だという。列車も捨てがたかったのだが、時間がかかる上、到着後、駅で車を手配する必要があるので、前日に引き続き同じ車をチャーターしたのだ。 マンダレーの市街に到着する前に、アニサガンの滝の入口に到着した。ここまでで1時間40分くらいかかった。シンさんによると何と滝まで歩いて1時間かかるという。ガイドブックを見ると、入口のところから滝には山道を下るようで20分、上がるのには30分かかると書いてある。ところが、よく読むと、雨が降ったあとは滑りやすいので、それぞれ倍くらい時間がかかるとも書いてあった。そういえば、先日の雨は、この地域でも降ったのだろう。だから、時間がかかるのだろうなと思った。
山道を下り始めると女の子が一緒についてくる。クーラーボックスをかついでいるので飲み物を売るつもりなのだろう。それで、最初は、無視して歩いていたのだが、雨でぬれて滑りやすくなっている箇所で、下りるのにてこずっていたら、木の枝を折って杖をつくってくれて手渡してくれた。 山道の途中には休憩所が何箇所か設けられていて、少しずつ休んだ。何ということはない景色だが、木々も空も美しい。女の子も一緒に休憩。出発するのも同時。 途中ですれ違う上ってくる人たちや、自分がゆっくりなので抜かして行く人たちを見ていると、どのグループにも女の子が一人ずつついていて、たいてい最後を歩いていた。自分の場合は、先を歩いてくれるので道案内にもなっている。こういうことで、飲み物を買わざるを得なくなってしまった。
結局、滝まで40分くらいかかった。自分を抜いていった人たちは、30分くらいで着いたと思う。滝に着くと、女の子は飲み物をすすめてきた。クーラーボックスのなかからいろいろな種類の飲み物を見せてくれたので、ジュースを選んだ。どんな値段を言われても、仕方ないなと思っていたら、何と500チャットだという。これは、あまりにも気の毒だと思って、ガイド料だと思って1000チャット渡したら、おつりを渡すではないか。おつりは入らないという仕草をしたら、うれしそうにしてくれた。う〜ン、ここでは、500チャットかせぐのも大変なのだと思った。(街中では、同じものを200〜300チャットで売っていたから、500チャットでも高めで、ガイド料込みなのだろうが、、) 飲み物を飲み終えると女の子がやってきて、空き箱を自分の服のポケットにしまうではないか。滝のそばにも売店があって、そこでも飲み物を売っているので、その売店との約束で女の子たちの売った飲み物の空き箱は自分たちで持ち帰るということになっているのだろう。 滝は、どこにでもあるようなものだが、汗をかいて歩いたあとだけに、しぶきのかかるところまで近寄るととても気持ちがいい。滝のそばにも小寺院があるのがミャンマーらしい。帰りは、今、降りてきたところを上らなければならないと思うと、ついつい動くのが面倒だ。自分よりあとでやってきたグループも戻ったりしていたので、30分ほど休んだあと出発。 自分が動き出すと、女の子も一緒に動き出した。行きと同じ道を上がっていく。幸いなことに、降りるときに滑りやすかったところも、多少乾いてきていて歩きやすくなっているところが多く、そう歩きにくいことはなかった。上がるのも40分くらいで入口近くまで行った。あと少しで、到着というときに、女の子は飲み物をすすめてきた。入口まで上がってしまうと売る前に車に乗ってしまったりすると思ったのだろうか。それとも、入口にある店との取り決めで、店のそばでは売ってはいけないことになっているのだろうか。 ここでも、1000チャットを渡し、おつりはいらないという仕草をした。飲んだ後の空き箱を渡すと、またポケットに入れていた。ここで、女の子と別れて、入口に戻ると、シンさんがやってきて、休むか、と聞いてきたが、女の子から飲・腹をсって飲んだところなので、すぐに出発してもらう。往復2時間かかり、すでに12時前だということもある。
ピンウールィンまでは、まだ20分ほどかかった。その途中に、陸軍アカデミーがあった。3人の像は、誰だったか、、シンさんが説明してくれたのだが、メモを忘れてしまい、今となってはわからない。この陸軍アカデミー、とても広大な敷地があった。
いよいよピンウールィンに入った。高層の建物はなく、イギリス植民地時代からのままだと思われる建物もある。 昼食に入ったのは、ミン・ティ・ハ。チキンカレーを注文。カレーっても、チキンのカレー煮といったほうがよい。画像の左下にご飯があるが、その右側にあるのがチキンカレー。そのほかにおかずが12皿、スープが2種類ついていて、とてもボリュームがある。チキン以外のおかずは、すべてが野菜ものなので、ヘルシーでもある。一通り、食べてみたのだが、もちろん、全部は無理。少しずつ箸をつけた程度。ミャンマーでは、ミャンマーフードを何度か食べ、ほぼこのスタイルだったが、ここの店が、皿数が一番多く、そして一番美味しかったように思う。これで、値段は1000チャットだ。 昼食後、ピンウールィンの街を見るのは後回しにして、ペイチンミャァウン(洞窟寺院)に向かった。30分ほど走って、駐車場に到着。人里はなれた山中に突然、土産物屋などが並ぶ一帯が出現した。
駐車場から300mほど歩いて洞窟へ。このあたりの風景もきれいだ。石灰岩が棚をつくっていて、水が青くなっているのだ。 駐車場から洞窟エリアに入るところで履物は脱ぐ。あたり一面、履物だらけだ。この画像を撮影したところは、全員もう裸足になっている。
洞窟は600mほど。内部にはたくさん、寺院やパゴダがある。ミャンマー国内の有名な寺院やパゴダをまねたものが多いらしい。もともとは、単なる洞窟だったのだが、1990年に洞窟内にパゴダを造ったりして、観光地になったとのこと。 洞窟の中は、もちろん裸足なのだが、床がコンクリートで固めてあるので、一部を除いて、足の裏が痛いところはない。滑りやすいところで気をつけている必要はあったが、逆に、足の裏の汚れを気にする必要はなかった。ほとんどぬれた床なので、、
上が洞窟の一番奥。周回コースになっているのかと思っていたが、そうではなく、同じ道を引き返して洞窟を出た。
ピンウールィンに戻り、街の手前で、大通りから畑の中の小道を通って、日本人墓地に向かった。たいへんわかりにくそうな場所にあり、シンさんもいろいろ聞いてくれて、車1台がどうにか通れるような小道を通って、たどりついた。自力で歩いていたりしたら、たどりつくことはできなかったと思う。墓には陸軍墓地とあり、戦後に建てられたものだった。このあたりも、戦場だったのかと、思いにひたり、手をあわせた。
墓の周囲は畑だが、熱帯の雰囲気が感じられる。
この時点で14時を回っていた。カンドーヂー植物園に行くか、モーチョビッ村に行くか選ばなくてはならなくなった。どちらもピンウールィンの郊外で、10kmほど離れている。そこで、モーチョビッ村に行くことにした。 途中、ミャンマー陸軍の駐屯地があって、かなり遠回りをして、村に到着。ここは、シャン族の村なのだ。
村にある、シャン式のマハーボーディー・シュエ僧院。どこがシャン式なのかはよくわからなかった。
村で見た牛車。このあと、ピンウールィンの市街に向かう。
ピンウールィンでは馬車が走っている。市内交通に馬車が利用されているのは、ミャンマーではピンウールィンだけ。
植民地時代につくられたと思われる教会があった。今は使われているのか、いなのかよくわからなかった。
15時ごろからようやくピンウールィンの市内の中心部を散策。最初にモスクにはいてみた。この街もイスラム教徒が多いのだろうか。
お祈りの時間が書いてあるのだろう。アラビア文字とミャンマー文字を同時に見るのも不思議な気分だ。
モスクの外観。ガイドブックにのっていた画像はグリーンの外壁なので、最近、塗りかえられたようだ。モスクの向かって左端の1階部分はレストランになっていた。イスラム料理店なのだろうが、モスクの中にレストランがあるのは、イスラム国では見たことがない。こういうのもあるんだなっていう感じ。
ピンウールィンの街の中心のシンボル、時計塔。ここの時計塔はイギリス風だ。
この建物は、植民地時代からずっと使っているのだろう。
ここも同じく、植民地時代からのものだろうが、直さないと壊れてしまいそう。
マーケットは休みだったのだが、その前の通りには屋台がたくさんでていた。
これはタコ焼かと思ったが、うずら卵を焼いているのだった。
こちらは、ヒンドゥー教の寺院。そういえば、このあたり、インド人風の人たちが多いような気もする。
中国寺院。道教の寺院。何やら派手な感じ。
最後に、コロニアル建築を見て回った。今は何に利用されているのかは不明。
こちらも同じく、コロニアル建築。色はうすいがレンガ造りになっている。
こちらは教会。これで、ピンウールィンからお別れ。17時にピンウールィンを去り、途中の急坂を下る手前の峠で夕日が見られるかなと思ったが、残念ながら、数分の違いで見られなかった。 急坂を下っていくが、かなりの傾斜があり、ヘアピンカーブが続くのに、街灯はなしで真っ暗。20分ほどかなり怖い思いをした。ようやく坂道を下り終え、ヤレヤレという感じだった。 ホテルに19時ごろ到着。翌日は、ヘイホーに向かうのだが、6時にホテルを出発して空港に向かう。シンさんに翌日の確認をして別れる。レセプションで、翌日の朝食について相談。5時45分に朝食をつくってもらうことになった。このホテルでは、麺、チャーハンと朝食にとってきたが、早朝はトーストだけということだ。これはやむを得ない。早朝から朝食をサービスしてくれることだけでありがたいことだ。
いったん、部屋で30分ほど休んでから夕食に出かけた。ミンミンという中華料理店だ。店主がイスラム教徒なので、酒類はおいていないのがちょっと物足りない。ご飯の上に野菜類ののったスチームライス(スープ付)、チキンボール、魚の揚げ物のレモン風味を注文。多く注文しすぎて、全部は食べなかったが、ちょっと食べ過ぎたようだ。 食後は、ホテルに戻り、シャワーのあと、くつろいでいたら、またまた頻繁に停電にあったので、早めに休んだ。
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