8  ニ ァ ャ ウ ン シ ュ エ

 

 5時45分にレストランに行くと、まだ真っ暗だったが、気付いてくれて、何とか6時ちょっとすぎに、トーストの簡単な朝食が終了。すぐに、玄関を出てシンさんを待つがなかなかやってこない。20分遅れて、車が到着。空港に急ぐ車の中で、ノープロブレムを繰り返すシンさん。本当は、かなりあせっていたのだと思う。この日も、深い霧で、ディレイは間違いないと思っていたから、空港では待たされるだろうとわっていたので、急いで事故なんてないようにと思っていた。

 マンダレー空港では、手続きのあと、すぐに待合室に向かったが、その途中でイミグレーションがあった。国際線用のイミグレーションを通るのだが、国内線の客に対しても、パスポート番号を搭乗客名簿から探してチェックしていた。この作業、手作業で行われていて非能率だ。国際線と国内線の客が混じったりしないかと思ったが、国際線はタイのチェンマイ行きがあるだけなので、その心配も実はない。

 案の定、2時間ほどの遅れ。8時20分発のはずだったが、10時過ぎまで待合室ですることもなくひたすら待つ。ミャンマーに来てからずっと、国内線は遅れに遅れているからもう慣れてしまった。上の画像は、待合室の僧侶専用席。ここだけ袈裟の色のシートがかけてある。

 2時間遅れで出発したが、飛んでいる時間は25分間。あっという間にヘイホーに到着。ヘーホーの空は澄み渡っていた。

 ターミナルビルに歩いて行く。リコンファームをすぐにしておこうと、エアバガンのカウンターに向かったが無人。となりの別の航空会社の係員が、皆、飛行機のほうに行っている、とかいうので、20分くらい待って、ようやくリコンファームを済ませた。

 この空港では車は空港の敷地内には入れないようになっていて、ゲートの外にドライバーが待っていた。ドライバーの隣に別の人がいたので、つい2人で迎えにきたのかと思い、荷物を受け取ろうとするその人に荷物を託した。駐車場は空港のゲートから100mほど離れているので運んでくれた。車のところまでやってきて、ようやく別の人は、ポーターであることがわかり、チップを100チャット渡した。11時に空港をたつ。

 ヘイホー空港からニァャウンシュエの村まで1時間。途中、ほとんど山の中であった。村の手前に、シュエヤンウェ僧院があり立ち寄ってもらった。

 19世紀につくられた木造の僧院である。丸い扉が印象的だ。

 湿気よけのために高床式になっているのだろうか。それほど太い柱ではないが、建物全体をよく支えているものだ。

 ニァャウンシュエはとても小さい村だ。村の中を抜け、12時30分、宿泊するアクエリアスインに到着。

 ウェルカムフルーツを出してくれた。食べながら、宿の主人と翌日のボートでの観光についての交渉。ホテルのボートでインレー湖の主要スポットだけを回るなら12ドル、丸1日乗って回るところを増やし、サンセットまで見るなら15ドルだという。自分は、奥インレーと呼ばれるサガー遺跡にもいこうと考えていたのだが、そうなるとボート代は30ドル、くわえてガイドをつけるのが必須となり、ガイド代が50ドルだという。どうしようか悩んでいたら、サガー遺跡はあまり面白くないと言われて決心がついた。丸1日まわるコースを選んだ。

 また、この日は歩いて村の中を回るだけのつもりだったが、村の周辺を手漕ぎのボートで回るツアーをすすめられたので、こちらも申し込んだ。こちらは1500チャットと安い。

 村の周辺をめぐるツアーは15時出発だということで、2時間で村の中を大急ぎで見て回ることになった。いったん、部屋にはいったが、荷物を置いてすぐに出発。

 まず、ヤダナマンアウンパゴダへ。パゴダのそばでは、子供が凧揚げをしていた。向かって右端の子が持っているのが、凧の糸を巻いているもの。一番小さな子は、タナカをぬっている。

 ここはパゴダという名がついているが、中に入ることができるので本来は寺院に分類される。金色の仏像だが、目を大きく開けて、とてもリアルな仏像だ。

 このあと、焼ビーフンの昼食。900チャット。

 昼下がりのマーケット。

 日本の饅頭のようなものを売っていた女性。饅頭は油で焼かれ、やや小ぶりである点を除くと、日本のこしあんと同じようなものが入り食べやすかった。200チャット渡したら、10個くらい入れてくれたので、一度には食べきれなかった。

 マーケットの外の店舗。

 小川では洗濯をしていた。

 シャン王宮博物館。シャン族最後の領主で、独立後にビルマ大統領になったサオ・シュエ・タイの宮殿。村のなかでは、ここが一番行きたかったのだが、残念ながら、この日は閉まっていた。

 宿にもどり、少し待っていたら、従業員がボート乗場につれていってくれた。運河に沿って船だまりがあり、そこで一艘の手漕ぎボートに乗った。漕ぎ手は、カヌーだと言っていた。

 この村の運河に面した民家には、船着き場が各戸ごとにあって、自家用のボートも盛っているようだった。

 葉巻タバコを作っている作業場を訪問。専用の用具を使って、タバコの葉に葉を刻んだようなものをつめていた。1本すすめられたが、自分は吸わないので断った。

 タバコ1本つくるのに約1分かかっている。1日10時間このペースでつくると、600本できる。一方、100本をひとまとめにして500チャット(約50円)で売っていた。600本で3000チャット(約300円)だ。しかも原材料費などをさしひくともっと減る。これは厳しいと思った。

 作業場のベランダから運河をのぞむ。

 運河の支流に入った。行く手をみると、水面から1mくらいの高さの橋がかかっている。ここでは、体を横にして下をくぐった。

 橋をすぎたところに、大仏があった。

 ここでも水牛が乗り物になっている。

 いったん、運河の本流に戻った後、別の支流に入った。沼地に睡蓮がたくさん咲いているところがあった。漕ぎ手は睡蓮の花をひとつ取って渡してくれた。

 運河の支流に沿って、水上家屋が並んでいる。

 運河の支流。ボートの行き違いは、すれすれでおこなわれる。

 支流に沿った僧院。ここでサンセットを見ようとしたが、山があるのでうまくは見えなかった。

 村に戻る途中、お祭りの行列にであった。年越しの祭りなのだろうか。

 こちらも行列。皆、楽器を鳴らしていて、とても賑やかだ。

 2時間30分のボートツアーとてもよかった。船だまりからホテルに戻る途中みかけた塔。これはパゴダではなく、独立記念塔。この形のものがあちこちにある。

 ホテルに戻ると18時前。少し休もうとベッドに倒れこんだら最後、疲れがドバッとでてきて、体調が急変。もう立ち上がるのが億劫になってしまった。食べ物にあたったのか、食べすぎなのか、疲れすぎなのか、あるいはそれらの組合わせか、、はっきりしないが、食事は抜きにすることにした。

 休んでいたら、20時ごろ、賑やかな楽器の音が聞こえてきた。先ほど出合ったお祭りの一団の楽器の音にも似ている。それで、少し元気がでたのか、その音源を見に行こうと思って外出し、ついでに夕食も軽くとろうと思った。

 ホテルから100mくらい離れた集会所で踊りが行われていた。でも、それほど面白いものでもなかった。夕食もやはり食べる気にはならず、何も食べずにホテルに戻った。

 部屋が寒いことも体調悪化に拍車をかけた。部屋の窓は、空気入れ替えのためか少し開いた状態で固定されており、夜には冷たい空気が入ってくるようになっていたのだ。だから、夜中中、頭の上から冷たい風が入ってきた。そのため毛布を頭からかぶって眠った。

 

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