9  イ ン レ ー 湖

 

 体調は相変わらず良くない。7時30分に朝食。パンかシャンヌードルかを選べるようだったので、もちろんシャンヌードル。前日の夕食は食べていないので、無理にでも食べたほうがいいかと思ったが、ヌードルを半分食べるのがやっと。フルーツは全部食べたのだが、、

 食事中に、宿の人から、オランダ人の2人組とボートをシェアしてよいかと尋ねられた。別のテーブルで食事中の男女2人組だ。ボート代は15ドルを3人で頭割りして、5ドルでよいとのことだ。もちろんOKの返事。いったん部屋に戻って、8時に出発。

 前日、ボートに乗ったあたりまで歩くが、わずか500mほどの距離がつらい。果たして1日もつだろうか心配になる。乗場かと思いまず入ったのは、入域料の支払い場だった。ボートに乗る前に、インレー湖の入域料3ドルを払わねばならないのだ。

 ボートに乗船。エンジン船なので、スピードは前日の手こぎボートの比ではない。まず向かうのは水上マーケット。インレー湖の周辺の村では、5日ごとに市が開かれる。市の開かれる村は5つあり、順番に市が開かれるのだ。だから、観光客はどの日に行っても、どこかの村の市は見学できる。この日はマイントークという村で開かれているとのこと。

 しばらく、運河を走ったあと、湖面に出た。湖面といっても、藻が浮いていたり、ところどころに草の生えた浮島があったりと、山奥深くの湖といった事前のイメージからはほど遠い。そして、ところどころで漁をしているボートにであった。

 湖岸近くには、水上家屋がかなりたくさん見られた。湖周辺に住んでいる人たちはかなり多そうな感じだ。インレー湖は秘境かと思っていたが、まったくそんなことはない。とても開けていることは意外だった。

 45分でマイントークの水上マーケット着。水上マーケットといっても、バンコク近郊のそれのように、ボートを浮かべて物の売り買いをやっているのではなかった。湖岸のマーケットという意味のようだ。ここでの滞在時間は45分の予定。

 揚げ物を売っている。

 こちらは豆類。

 屋外の野菜売場。

 45分たってボートに戻ったが、オランダ人がなかなかやってこない。結局、30分遅刻。ボートの乗り場を間違ったらしい。ボートを降りてから、民家の中庭のようなところや畑の中を通ってマーケットに通じる道路に出たのだが、自分もよくわからずに、道路に出た地点がわからなくなり、少しいく過ぎてから気付いた。オランダ人は気づかずにずっと歩いていってしまったらしい。

 上の画像は、オランダ人が戻ってきて、ボートが出発してから、湖上からマーケットを撮影したもの。

 湖岸に住む人たちは水上家屋に暮らしている人が多い。水上家屋は、杭でささえられていて、住居部分は、湖面を1階とすれば2階部分に位置している。訪問したときは乾季であったのだが、雨季には湖面すれすれのところに住居部分があるのかもしれない。そんな状態を想像すると、水上家屋には住みたくない。

 水上家屋では、足としてボートが必要なので、各家屋にはボートがつけるようになっており、多くの家屋にボートがつながれていた。

  \続いてやってきた村では、織物工房を見学。日本ではもはや見かけない手織りだ。

 少し移動して、前日にも見た葉巻タバコの工房へ。

 また、少し移動して、紙をすく工房へ。和紙に似た紙を作っていた。ここで昼食タイム。しかし、自分は、まだ体調がすぐれず昼食抜き。水上レストランがあったのだが、オランダ人が食事をする間、外で1時間30分ほど待った。本来なら、退屈でたまらないところだったのだが、眠りたかったので、日陰のチェアに横たわり昼寝できたので、ちょうど良かったのだ。

 ようやく戻ってきたオランダ人が言うには、何と彼らも体調を崩して、食後しばらく休んでいたとのこと。そして、サンセットは抜きにして、ガーペー僧院だけ見て帰りたいとのこと。普段なら、しぶしぶ同意するところが、自分も苦しいのでちょうどよかったと思った。

 ここにもパゴダ。水上村には水上パゴダがある。ミャンマーはどこにいってもパゴダがある。

 水上植物園。浮島の上で花が栽培されている。

 ガーペー僧院。猫が僧侶の持つ輪を飛んでくぐることで有名な寺だ。何度か見せてくれたので、何とか猫が飛ぶところ撮影できた。

 ガーペー僧院の内部。木の柱が林立していた。

 このあと30分ばかり水上ドライブして、ニァゥンシュエに戻った。結局、サンセットも見なかったので、ボート代は12ドル。3人でシェアして4ドルだった。前日は一時、サガー遺跡までボート代とガイド代で80ドル出して行こうか迷ったのが、4ドルですんでしまった。

 15時にボートを降りると、オランダ人たちは、元気になったようでレンタサイクルで村を回るらしい。彼らは、ひょっとして体調が悪いわけではなく、自分を帰らせるために、彼らも体調が悪くなったと言ったのかもしれない。

 インレー湖は、予想外に開けた湖であった。湖の周辺には村が点在するうえ、行きかう地元民のボートも多い。だが、水上生活の様子をうかがえるなどの収穫があってよかった。

 ホテルにすぐに戻って、19時ごろまで眠った。

 19時ごろ、宿の人が呼びにきた。この日は大晦日。それで、パーティーをするからどうするかということだ。まだ体調が回復したわけではないが、少し楽になってきたので、参加してみることにした。20時からということで、それまでにシャワーを浴びたりしておいた。

 たまたま、空いている席の隣には日本人女性がいたので、ミャンマーに来てはじめて日本語で会話ができた。彼女もミャンマーは初めてなのだが、自分では行くことを考えもしなかったミッチーナーまで行ってきたということだ。お互いに自分の行ったところの話しをしていくうちに何だか元気が出てきた。

 食事は無料で供されて、ありがたくいただいた。湖でとれた魚にスナック類、ビール、シジュースなど。豪華ではないが、宿の人の心がこもった印象を受けた。体調が悪かったのがうそのように食べてしまった。

 久しぶりの日本語の会話で2時間あまりの時間はあっという間に過ぎ、パーティーも閉会となった。部屋に戻ってベッドに入ったが、かなり元気であることが実感できた。年越しの瞬間はすでに夢の中であった。

 

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