11  チ ャ イ テ ィ ー ヨ ー

 

 この日は、日帰りでチャイティーヨーに向かった。車のホテル出発時刻は、何と4時。さて、こんな時刻だから、ほかの国なら朝食は望めないし、遠慮しておくのが常識。しかし、何かと無理が通っていたミャンマーのホテルのこと、頼めば、朝食も可能かと思い、前夜に頼んでみたら、何と3時45分に朝食となった。もちろん、トースト、紅茶、ジュース、バナナという簡素なものであったが、こんな時間に朝食の用意をしてくれることに感激した。

 朝食中に車が到着したようだ。4時のヤンゴン市内は、さすがに走る車はほとんどなく、すいすいと走った。やがて、空港のあるあたりも越えて、ヤンゴンの北にある、東へ行けばバゴー、西へ行けばピーという分岐点までやってきた。この付近でガソリンを補給。

 このあと、一気に東に向かったが、やがて眠気が襲ってきて熟睡しはじめた。5時30分ごろ、ドライバーに声をかけられ、我に帰った。バゴーを通過しているのだが、そのことを知らせてくれたようだ。帰りにバゴーのパゴダに立ち寄る予定だが、今は一気に通過だ。そのあと、また眠りについた。また1時間ほど眠ったあと、目が覚めると、すでに夜が明け、車は延々と続く平原をひたすら走っていた。楽しみにしていた日の出は見損なった。

 7時30分ごろキンプンに到着。ガイドブックによると、バスならヤンゴンからキンプンまでバスで6時間かかるらしいから、早朝のバスに乗っても、ここまでで昼過ぎになり、このあとチャイティーヨーに行って、ここに戻ってくると夕方近くになり、ヤンゴンに帰るのは難しい。その点、車をチャーターしたおかげで、3時間でキンプンまでやってくることができた。

 さて、キンプンはチャイティーヨーのふもとの町なのだが、ここからヤテタウンというところまでトラックバスに乗り換えなければならない。この先の道は、一般の車の通行が禁止されていて、トラックバスが唯一の足になっているのだ。

 車を降りて、ドライバーとともにトラックバスの乗場にやってきた。すでに満員になっているトラックバスを見てびっくり。よくこれだけ人間が積み込めるものだと思うくらい大勢の人間が荷台に座っているではないか。1列に5人で7列、35人くらいが荷台に乗っている。

 ドライバーがトラックバスの運賃を聞いてくれた。1人800K(約120円)。運転席横のシートだと1600K(約240円)。ドライバーは運転席の横をすすめてくれたので、運転席横に乗ることにしたのだが、このあと出発する数台のトラックバスの運転席横はお坊さんが予約しているという。それで、荷台に乗ってみることにした。

 ここで、ドライバーは自分が下山してくるまで待っているとのこと。トラックバス1時間、そのあと徒歩30分ほどなので、下山するまで6時間くらいだろうとのこと。

 トラックバスの荷台に上がるために、駅のホームのようなものが作られていて、そこからトラックバスに乗車する。満員のトラックバスが出て行くと、すぐに空のトラックバスがやってきた。椅子を目にして驚いた。腰掛ける木の椅子の幅は10cmほどしかない。しかも、木の椅子の間隔は20cmほどだ。これに座ることができるのか不安になった。

 座ってみると、木の幅が狭いので座り心地はいたって悪い。しかも、木と木の間隔も狭いので、足が前の木につかえてしまう。やがて、客がどんどん増えていき、1列に5人座るまで、詰めて座らされる。満員になってようやく出発。7時30分スタート。

 最初の10分ほどは平坦なところを走り、そう苦痛じゃなかった。やがて、行き違いのできなくなる区間にさしかかる。待避所で20分ほど停車。しかし、すわり心地の悪い木の椅子に座ったまま。ここで、下山してくるトラックバスを何台も待たされた。待っているうちに、トラックバスがたくさん並んできた。

 ようやく発車。ここからが急な坂道を上がっていくのだ。この坂道だが、凸凹が激しい上、ヘアピンカーブが連続しているのだ。よって、荷台はジェットコースター状態。

 荷台の端に座っていた自分は、必死でトラックバスの横の仕切りを持つが、カーブのたびに隣の人に寄りかかったり、トラックから落とされそうになったりの連続。しかも、大きな凸凹があると、そのたびに腰が浮いて、尻が痛くなり、膝が前の木にぶつかって、膝も痛い。早く着かないか願い続けること30分。

 9時、何とかヤテタウンに到着。到着したトラックバスは今度は下山する客を乗せる。下の画像は、ヤテタウンのトラックバスの乗場。

 ヤテタウンからは歩いて上るのだが、思っていた以上の坂道。よって、かなりの頻度で途中休憩をしながら歩いた。

 この区間を歩いたとき、足の裏がどうもおかしいことに気付いた。サンダルを脱いでみると足の裏が悲惨な状態になっている。皮がずるむけ状態になっていたのだ。このサンダル、すでに長年使っていたのだが、足首を固定するベルトがたるんでしまい、坂道を歩くと、足の裏がサンダルから離れ、着地のさいに擦れて、そのために皮がめくれてしまったのだ。

 暑い国では必需品のサンダルであるが、平地を歩き回ることはよくあるものの、坂道を長時間歩くことはそうなかった。今回、サンダルでほとんど登山に近いような歩きになり、悲劇が起こったのだ。

 幸い、医薬品を手荷物の中に入れて歩いていたので、絆創膏を足の裏に張った。傷口を保護することはできたものの、ミャンマーでは、パゴダの中ははだしにならなければならない。汚いところもある境内をはだしで歩いて、雑菌が入ることが怖い。チャイティーヨーはせっかくきたので、もちろん境内をはだしで歩くが、翌日のヤンゴン最終日は、パゴダもいくつかみて回るつもりだったが、足裏が剥けたので、パゴダはあまり回らないようにしようと決めた。(結局、翌日は、パゴダに飽きていたということもあって、パゴダには入らずじまいとなった。)

 坂道が苦しいことと、足裏が剥けたため、ヤテタウンからチャイティーヨーへの歩きは超スローペースになった。ようやく、チャイティヨーの頂上にあるゴールデンロックが目に入った。だが、まだまだ遠くに見えているだけ、、あと何分かかるのだろうか。

 ヤテタウンから先は歩くしかないとガイドブックに書いてあるし、ドライバーも歩きだと言っていた。ところが、何台もトラックバスに追い抜かれていった。大部分のトラックバスは、ヤテタウンが終点なのだが、一部のトラックバスは頂上まで行くことを知った。知っていりゃ、最初から頂上まで行くトラックバスを探したのだが、、キンプンではドライバーがいろいろ尋ねてくれていたので、頂上まで行くトラックバスはどれかと聞いてもらうこともできたのに、、

 約1時間かかって、ようやく頂上へ。境内に入る直前に、外国人のチェックポイントがあり、そこでパスポートを提示。名前とパスポート番号が記録され、入域料$6を支払う。

 そして、境内に入るゲート。ここで、はだしになる。はだしになることには、もう慣れきっていたが、この日に限っては、つらい気分だ。雑菌が入らないことを祈って、はだしになって歩き始めた。

 境内に入って10分ほど歩くと、ゴールデンロックのそばまでやってきた。この岩、落ちそうで落ちない。不安定な感じだが、どうして動かないのかとても不思議だ。

 たくさんの人が、金箔をゴールデンロックに貼り付けていた。歩いていけるところは、簡単に金箔を貼ることができるのだが、空中に飛び出している部分は、どのようにして金箔を貼ったのだろうか。これも不思議だ。

 ゴールデンロックの上にも小さなパゴダがあった。石そのものが信仰されているのだと思っていたのだが、石の上にパゴダがあるので、石も信仰対象になっているようだ。

 落ちそうで落ちない石の謎を探ろうと、石の下部も覗いてみた。地面と接触している部分はそう広くない。なのに、なぜ動かないのだろうか、、

 石のそばで信仰する人々。ゴールデンロックの大きさがわかるだろう。予想していたよりも大きな石であった。

 ゴールデンロックのそばは女人禁制になっていて、女性は少し離れたところで祈っていた。赤い看板があるが、そこから先は女性はゴールデンロックに近寄れない。

 チャイテイーヨーの頂上は、その道中が悪路であるので、小さな寺があるだけだろうと思っていたが、それは大違い。頂上の境内は、たくさんの土産物店やスナック類を売る店が並ぶ通りもあって、とても賑やかなのだ。たいへん多くの人が境内にいたことにも驚いたが、次から次に発車していたトラックバスのことを思うと、このくらいになるのだろうかとも思った。

 1時間ほどのチャイティーヨー滞在を終えるときに、最後にもう一度、ゴールデンロックをよ〜く見ておいた。なぜ落ちないのか、結局はわからずじまいだった。

 頂上からの景色は一面の森林。人里離れた 奥地なんだと実感するが、賑やかな境内がそのイメージには合わない。

 チャイティーヨー頂上には1時間30分ほど滞在して下山。少し離れた峰には、他のパゴダもあるのが見えたが、また坂道の上り下りが必要で、足の裏が剥けている状態ではとても無理だ。

 出口を出たところには、ちょうど客待ちのトラックバスが止まっていた。ヤテタウンまで歩かずに、このトラックバスに乗ることにした。何台か止まっていたうち、一番、客がたくさん乗っていたトラックバスに乗車した。ホームにようなものはないので、荷台にはよじ登った。

 先ほど1時間かけて上ったところを、10分ほどで下っていった。結構、急な坂道もあって、スリルがある。上るのが苦しかったのが、うそのようだ。ヤテタウンでは、30分ほど停車。日よけ布の張ってある下に停車していたから助かった。トラックバスの中には、この 下にも入れず、炎天下に30分くらい止まっていた車もあって、そちらは悲惨だ。

 その間に、運賃が集められた。何と2000K(約300円)。ヤテタウンまでの上りの2.5倍。まわりのミャンマー人も同じ額を払っているから、特別高くとられたわけではない。ヤテタウンから頂上までは、歩くのが基本になっていて、トラックバスは高めの料金設定になっているのだろうか。

 ヤテタウンに止まっていり間に、いろいろなものを売りにやってきた。これは氷屋。カチカチに凍らせた氷を溶かして口に入れるようだ。このほか、スライスしたすいかやジュースなどを売っている。

 ようやく一方通行区間を通れるようになり、たくさんのトラックバスが一路キンプンをめざして駆け下りていった。行きと同じく、ジェットコースターのような感じだ。30分ほどでキンプン着。13時30分ごろ。さて自分の車とドライバーはどこだろうか。どこかの店先で休んでいるのかもしれないと思い、探して歩いた。

 探していたら、突然、ドライバーが出現。一体、どこで休んでいたのだろうか。昼食をどうするのか尋ねられたのだが、早いうちにバゴーに着いて、バゴーを回る時間をたくさんとりたいので、昼食はとらない。ドライバーには急いでほしいと伝える。

 キンプンからバゴーまでは2時間強。平坦な農村地帯を延々と走り続け、16時前にバゴーに到着した。バゴーで最初にやってきたのが、シュエモードパゴダ。バゴーも入域料の制度があって、本来は$10必要なのだが、16時をすぎてからは、無料になるという仕組みになっている。そのため、16時の10分ほど前に着いたので、10分ほど車の中で待った。それから、中に入ろうとしたら、特に何も言われることもなく、無料で中に入れた。

 ここは、バゴーで最大のパゴダである。境内の中心にはシュエダゴォンパゴダに似て、金色のパゴダがあるのだが、高さは、こちらのほうが高くて114m。その周りにはいろいろな建造物があるのも、シュエダゴォンと同じだが、こちらのほうは、その数が少なめだ。

 シュエモードパゴダで見かけたゴミ箱。あひるの目からゴミを入れるようになっている。

 バゴーの繁華街。幹線道路沿いに街の中心があるようだ。

 続いて、シュエターリャウン寝仏。とても横に長い寝仏なので、一枚に収めることはできなかった。全長55mもあり、全体を屋根で覆っているので、その屋根の柱があったりして、写真が写しにくい。

 この寝仏、イギリス領時代に、鉄道敷設の調査をしているときに、ジャングルの中から発見されたのだという。もともとは、10せいきにモン族のミガディバ王によって作られたが、その後、ジャングルに覆われ、その存在も忘れさられてしまったようだ。それが突然、その存在が知られ、バゴーで一番有名な仏になったのだ。

 下は、足の裏。足の裏にも細かな飾りがちりばめられている。

 次は、マハーゼディパゴダ。ガイドブックでは、このパゴダは上ることができるとあったのだが、残念ながら、訪問したときには上ることができなくなっていた。上ってバゴーの市街を見るのが目的で訪問したようなものだから、残念。そのこと以外は、特に変わったことがないパゴダである。

 最後に、チャイプーンパゴダへ。四角い柱の4面に仏様が座っているという変わったパゴダである。このようなパゴダはほかでは見かけない。

 17時20分、バゴーのパゴダめぐりを終え、一路、ヤンゴンに向かって出発。時々眠りながら、19時にヤンゴン到着。4時からのチャイティーヨー日帰りツアーも無事終了。ドライバーに別れをつげた。

 この日の夕食も、前日に引き続き日本料理も出している店に行った。車をつけてもらったのは、中華料理もやっている店で、先客はミャンマー人ばかりのようだった。この日は、トンカツ定食を注文。かなり大きなトンカツがでてきた。

 歩いてホテルに戻った。皮の剥けた足の裏をきれいに洗う。なんともなければいいのだが、、翌日の計画を考えたのだが、はだしにならなければならないパゴダめぐりは極力避けることにした。だが、うまい計画はたたず、成り行きにまかせようということになった。

 

 10にもどる ミャンマーのトップへ 全体のトップへ 12にすすむ