1日目   那 覇 市 首 里

 

  この日の飛行機は関空発8時25分だが、これは、関空利用開始以来、もっとも早い出発時間。でも国内線であるので、関空に到着した時間は7時30分で余裕だった。

  チェックインは自動化されているので、あっという間に手続きが終わり、出国手続きもないので、10分後にはゲートに到着。

  定刻に出発。那覇まで2時間あまりだが、国内線だから、サービスは飲み物だけ。

  ソウル、台北、上海と短距離国際線に乗り慣れている身には、機内食がないので、ちょっと手持ち無沙汰になり、退屈に感じた。

  4年半ぶりの沖縄。前回は、八重山に絞った旅だったので、那覇市は7年ぶりだ。

  この間に、ゆいレールが開通しており、まずこれに乗って首里に向かう。右は、ゆいレールの那覇空港駅。  

  ゆいレールには一日乗車券を使って乗車した。この一日乗車券、観光客にとってはなかなか使いでがあるのだ。

  値段は600円。最低運賃は200円であるので、どんな区間であっても3回以上乗車すれば必ずもとがとれる。今回は、最初に全区間通しで、首里まで乗ったがこれは、普通の切符だと290円。あと、230円の区間に2回乗った。だから、合計750円分乗車。

  さらに観光客にとってうれしいのは、その日に有効な一日乗車券を見せると料金が割引になる観光施設がいくつかあることだ。自分の場合は、首里城、玉陵、歴史博物館で割引をうけた。 首里城は800円のところ640円。玉陵は200円のところ100円。歴史博物館は300円のところ240円だった。運賃分の割引と観光施設の割引をあわせると470円分になり、かなりのお得感をもった。

  前回は、空港から市の中心部までバス、中心部から首里もバスで、それぞれ30分ほどかかっていたように思う。ゆいレールは、早いだけでなく、初めての人でも迷わずに利用できて、とても便利になった。

  車中からの眺めもたいへん良い。モノレールが走るのが地上20mくらいの高さであるためだが、加えて、車両の窓もとても大きくて、座席に座ると、腰の位置より少し高いところからが窓ガラスになっていることも、眺めがよい理由だ。

  首里で下車して、まず向かったのは「首里そば」という沖縄そば店。11時30分開店だが、開店時に行っても店には入れないらしい。11時20分ごろ着いたが、なるほど20人ほどの行列ができていた。開店時には、さらに長くなっていて、入店できない人もいた。

  沖縄そばは、うどんに近いような麺だ。隣の人が「ジューシー」を頼んでいたので、何かと思ったら、炊き込みご飯だった。追加注文しようと思ったが、この日は、国際通りで2度目の昼食を予定しているので、次回の沖縄旅行の楽しみにする。

  食事後は、首里城に向かったが、途中で、円覚寺跡、弁財天堂、龍譚、第32軍司令部壕を見ながら歩いた。

  右が第32軍司令部壕なのだが、ここは、案内の看板や説明板がなく、ガイドブックで位置を推測していかなくてはならなかった。実際、少し行き過ぎてしまい、後戻りした。

  米軍が昭和20年4月1日に上陸したあと、約1ヶ月間、ここが沖縄の日本軍の司令部になっていた。ここも、海軍壕のように整備すれがいいのに、どうしてしないのだろうか。

  第32軍司令部壕のあと、園比屋武御嶽(すぬひやんうたき)を見て、すぐに首里城に入る坂道があったのだが、守礼門に敬意を表して、遠回りになるが見にいった。

  この門は、2000円札に描かれるなど、沖縄を代表する文化財なのだが、有名な割にはあまり大きくなく、がっちりとしたものでもない。

  このあとで、来た道を少し引き返し歓会門から首里城の中に入った。

  いくつかの門を入って、大きな中庭に出ると、そこに正殿が正面にあり、左右には、北殿、南殿がある。

  横断歩道のように見える縞模様は、かつて琉球王朝の儀式のさいに、家臣が着席した場所を示している。

  首里城は1945年、戦災で壊滅したが、修復が行われ、1992年から公開されている。7年前にもここは訪問したのだが、その後、公開されたところもあるということで、再訪問した。
 

  最近、公開され始めたところに、書院・鎖之間というのがあった。その公開記念のような形で、伝統的な琉球菓子の接待があったので、別料金を払って、参加。

  建物とお菓子の説明のあと、さっそく試食。細長いのは、沖縄の代表的な土産である「ちんすこう」、その下の四角くて白っぽいのは「ちんるいこう」、丸くて大きいのは「花ぼうる」。

 

  右は、首里城のお手洗いの洗面台。龍の形をした蛇口になっている。水を流すところにも手のこんだ絵が描いてあり、珍しいので思わず撮影。

  首里城の北殿は、沖縄サミットの会場になったところなので、その時に、外国人受けするように、こうしたのかもしれない。

  ただ、絵が赤いので、血だとほんの一瞬だが思ってしまった。
 

  首里城をあとにして、金城町の石畳道を歩いた。石畳道は、琉球王朝時につくられ、首里城周辺に広くあったのだが、ほとんど戦争で破壊された。金城町の石畳道は、戦争をくぐりぬけて残ったものだ。

  石畳道の近くには、内金城嶽(うちかなぐすくうたき)があり、そばには樹齢の長い大アカギがあった。これも戦争を生き延びたおのだ。

  付近には、古井戸も多くある。井戸のことを「ガー」と読んでいることを知った。  

  続いて、一中健児の塔を見た。昭和20年6月18日に、一中生徒が鉄血勤皇隊として、米軍に斬りこみをして、戦死したのを祀ったものだ。

  そのあと、行ったのが玉陵(たまうどん)。沖縄で最大の家型の墓。

  琉球王家の陵墓で、墓室は3つあり、東(向こう)には、洗骨後の国王と王妃の遺骨、西(手前)には王の家族の遺骨が安置されている。真中の部屋にも1体の遺骨があるが、はっきりとはわかっていない。

  首里の散策はこのくらいで切り上げ。約3時間、坂道を歩き回った。

  ゆいレールの儀保駅まで歩き、牧志駅まで乗車。

  那覇市一の繁華街、国際通りを歩き、そのあと、平和通商店街や牧志公設市場を見て歩いた。

  沖縄のアジア的な雰囲気を一番感じるのが、これらの商店街や市場である。久しぶりに、その雰囲気を味わいにやってきた。

  

  牧志公設市場にて。

  左上は、色鮮やかな近海魚。

  右上は、チラガー(豚の顔皮)と豚足。

  右は、市場内風景。

  すでに4時を回っていたが、2度目の昼食。沖縄独特の料理、タコライス。

  メキシコ料理のタコスの具をライスの上にのせて出し、食べる人が混ぜて食べるのだ。アメリカ統治時代に、米兵向けに作られたものが一般化した料理だ。

  具は、店により多少の違いがあるが、基本パターンとしては、味付けした肉、チーズ、レタス、トマト。見た目のことを考えてか、置く順番も、この順番だ。これに、好みに応じてサルサをかける。

  食後、県庁近くの大型ショッピングセンターの「パレットくもじ」にある那覇市歴史博物館を見学。沖縄の戦後の記録写真展をおおなっていた。

  このあと、ゆいレールで那覇空港まで戻った。

  18時30分発の飛行機で宮古島に向かう。50分ほどの飛行で宮古島到着。今回の旅のメインは宮古島なのだ。

 

  宮古空港から市内へは、公共機関はなく、タクシーで出なければならない。泊まりは、ホテルニュー丸福。現在の宮古島市の中核である旧平良市の中心部に位置していて、宮古島の中では一番便利なところだ。

 

  ホテルで少し休んだあと、夕食に出かけた。この日は「わん」という店へ。

  飲み物は、ゆずビール。

  食事は、左上が、海ぶどう。

       右上が、まぐろの刺身。

       左下が、ゆし豆腐。

       右下が、島らっきょうの天ぷら。

  ホテル近くでネットを楽しみ、ホテルに戻った。翌日は、伊良部島・下地島に行くことにしているので、その計画を考えながら寝てしまった。
 

 

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