2日目 伊 良 部 島 ・ 下 地 島
![]() まずまずの内容ではあるが、できたら、ベーコンではなくて、ポークだったらうれしかったな。 沖縄でポークというと、豚肉のことではなく、豚肉を加工した保存食ポークランチョンミートのことをさす。 朝食では、卵焼きとポークをあわせて出す、ポーク卵がよくあるんだが、、 |
伊良部島へのフェリーは、8時20分発。少し間があったので、宮古島公設市場に立ち寄ってみた。 しかし、この日は土曜日であるためか、ほとんどの店が開いていなくて、中はうす暗い。そこで、建物の前で、店開きしていた店の風景を撮影。 このあと、フェリー乗場に向かったが、場所がわからず、結局、乗場に着いたのが、8時17分ごろとぎりぎりになってしまった。 |
![]() 伊良部島へは宮古島の平良港からフェリーまたは高速船で渡る。
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当初、8時20分発の船で島に渡るつもりをしていた。港まで行くのに手間取って、港に着いたのが8時17分くらい。何とか間に合った! って喜んでいたら、乗船券売場の小屋が目に止まった。 で、伊良部島はどの船で行くのかと聞いたら、すぐ前の船を指差して、この船だという。で、何時かと聞くと8時30分発だという。おっと、時間が変わったのかな、と思い、ゆっくり船に進みかけたら、切符はここで買ってくださいって言われたので、購入。片道400円、往復700円。 |
![]() それで、船に乗り込んだら、同じ埠頭に止っていた別の船が出て行く。ここで、気付いた。別の会社の船だ。8時20分の船と8時30分の船はあって、別々の会社だったのだ! ま、10分くらいの差なので、何の支障もなかった。早い方の船でいっても、バスに乗るまでの待ち時間が長くなるだけだから。 まもなく、伊良部島に到着。左は、伊良浜港。台地上に集落が広がっている。 |
バスは8時55分発。港に到着後、どこからバスがやってくるのかわからなかったが、やがてバスが到着。 マイクロバスである。このバスに乗車したのは、自分以外には、女性2人組だけ。このグループは、渡口の浜に近いバス停で下車。そのあと、終点まで自分ひとり。 港を出ると、すぐに急坂を上って台地の上に出る。このあとは、徐々に下っていって、島の西端にやってくるって感じだ。 |
![]() 終点は、佐和田車庫。そこから、14kmを徒歩で下地島を4分の3周するのだ。これが、今回の旅のメインイベント。 歩きだして10分ほどで浜辺に出た。ここが、日本の渚100選にも入ったという、佐和田の浜。 遠浅の海岸だが、大小の岩がところどころで海上に姿を現しているのが特徴だ。地震のときの津波によって運ばれたらしい。 |
佐和田の浜をあとにして、下地島空港に向けて歩き出してしばらく行くと、マングローブが見られた。 伊良部島と下地島の間の細長い海の部分には、規模は小さいが、マングローブが見られるのだ。
マングローブとは、熱帯・亜熱帯地域で、満潮時には海水が満ちてくるところで生育している植物の総称なので、特定の植物名ではない。
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![]() この時点では、まだ飛行機の姿は見えなかった。だが、飛行機のエンジン音は聞こえる。格納庫から飛行機を出しているところだろうか。やった、これで訓練飛行を見られるぞ。 |
エンジン音はしだいに大きくなり、視界に飛行機が見えてきた。 このまま、ゆっくりと滑走路の北端まで移動するようだ。 北端まで自分が先に到着するか、飛行機が先に到着するか、、 話はかわるが、空港の外側の海岸には、魚垣(カツ)という、伝統漁法に使われた石があった。 |
![]() やがて、飛行機は向きを変え、離陸体勢に入った。うまい具合に、飛行機が回転するところまで、ちょうど歩いてくることができた。 このまま、離陸まで見守った。
さらに歩いて、空港の北端に着いた。海上に、誘導灯の列が伸びている。 海の黒い部分はさんご礁があるところだ。 |
![]() 頭上を飛行機が通り、着陸。しかし、即、離陸するというタッチアンドゴー。
2回目の離陸と着陸の間は6,7分で、その後も、その程度の間隔で、離着陸を繰りかえしていた。その間に、少しずつ歩いて、島の西側に到達。 |
![]() 何度も繰り返される訓練飛行を10回近く見守った。 下地島空港の周辺では、1時間くらい過ごしたことになる。 このあと、下地島の周りを歩く旅を続けた。さいわい、曇り気味の日で、楽に歩けてよかった。 |
やがて、通り池にやってきた。2つの池があり、海の色よりも濃い青色であるのが印象的だ。2つの池と海は、水面下でつながっているという。
割り箸が斜めにさしてあるのが沖縄流だとか。 |
![]() さらに、しばらく歩いて、帯岩へ。江戸時代の大津波でこんな巨石が運ばれたきたとされる。
このあと、空港の南端をすぎ、さとうきび畑の真中を通る道路を歩く。延々と直線道路が続くので、1時間近く、ちょっと退屈な歩きだった。 |
![]() 伊良部島と下地島を結ぶ橋は6本あるのだが、そのうちの通ろうと思っていた橋が塩害によって、崩落するかもしれないので通行止になっていた。 もっとも、6本の橋のうち3本は、南のほうに集中していて、次の目的地、渡口の浜に行くのに不便はない。
渡口の浜の砂はとても細かくさらさらしていた。ここでしばらく休憩。
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![]() すでに、13時半を回っていて、お腹はペコペコ。だが、食堂がほとんどない島だ。この付近でたったひとつの食堂のあるホテルサウスアイランドへ。 ソーキそば定食。750円。ソーキとは、骨付きの豚肉をやわらかくなるまで煮込んだもの。チャーシューメンの沖縄そば版といもいえるものだ。それに、刺身が少しついていた。 |
ボリュームのあるソーキそば定食を食べてすぐだというのに、同じホテルの1階に入っているスーパーで買った、うずまきサンドを試食。 まるそう、という伊良部島のパン会社ノ製造で100円。あっさりクリームで美味しかった。ここで食べて正解と思ったのは、このあと伊良部島の店を3軒、見て回ったのだが、どこもすでに売り切れだったからだ。余りたくさんつくっていないのだろう。 |
![]() 左の画像は、下地島と伊良部島の間の入江。 2つの島の間の細長い部分なので、川のようにも見えるが、海水が流れている。れっきとした海なのだ。
このあとバスに乗って、島の東にある伊良浜港に戻った。 さて、この「ダキフガー」って一体何? と思ったのだが、バス停から5mほど離れたところにその由来を書いた看板があった。 「ガー」というのは井戸のことで、そういえば、前日に歩いた首里の石畳道でも、「ガー」という名のついた井戸があったことを思いだした。 |
![]() 伊良浜港に戻るバスの乗客は自分ひとり。ダキフガーまで空気だけ載せてやってきて、港の少し手前のAコープ前で自分が降りると、また乗客なし。毎日、こんな感じなのだろうか。 さて、Aコープ前で降りたのは、サバオキ井戸(サバウツガー)と呼ばれる井戸を見るためだ。 井戸の近くまで行って驚いた。井戸は海岸にあるのだが、階段を123段降りるのだ。そして、水を汲んだら、水をもってこの階段を上らねばならないのだ。
この井戸は、水道ができる昭和41年まで使われていたそうだ。それまでは、1日に3,4回、この階段を上り下りするのが、島の人々の日課だったのだ。 |
![]() 港まで戻ると、次のフェリーは、朝に乗ったのと同じ会社。それでは、片道券にした意味がないし、別の会社の船にも乗ってみたい。ということで、帰りの船は1本遅らせて、30分ほど、港の周辺を散策。 帰りの船は、乗ってからお金を払うシステムになっていた。朝も、この船をみつけて、乗り込んでしまえば、少し早く出る船に乗れたというわけだ。 |
宮古に戻り、すぐに、バナナケーキを買いに行く。指定された土産で、ほかの土産も含め、たくさん買ったので託送してもらった。
すでに、17時になっていたが、平良市街地にあるみどころをいくつか回ることにした。 まずは、ドイツ船博愛記念碑。明治6年、ドイツ商船が上野村沖で遭難したのを助けたお礼にドイツ皇帝が贈った石碑。 平良の港が見渡せる位置に建てられたのだが、今や路地の中に埋まってしまっている。 |
張水御嶽。宮古島をつくったといわれる神を祀っている。
15世紀に島で権力をふるった仲宗根豊見が父を葬り、のち本人もここに葬られた。 |
人頭税石。 琉球王朝は、17世紀に薩摩藩の支配下にはいるが、このとき、琉球王朝は、宮古・八重山地方で重い人頭税を課した。 高さは143cmで、この石の高さに身長が達すると、男性は、粟などを耕作して納め、女性は、布を織って納めさせられたという。
宮古島の家屋は、コンクリートつくりで、屋根は平らなものがほとんどだ。そんな中、昔風の瓦ぶきの家屋が残されていた。 |
平良市街地で一番の繁華街、西里通り。 ホテルに戻って、少し休んでから、夕食に出かけた。この日は「おふくろ亭」へ。下が、この日いただいたもの。 左上 島らっきょう 右上 ぐるくんのから揚げ 左下 ゴーヤーチップ 右下 イカすみ汁 |
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このあと、ホテル近くでネットを楽しみ、ホテルに戻った。翌日は、やっと宮古島めぐりだ。歩きつかれて、すぐに寝てしまった。 |
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