1 竹 富 島 へ
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2008年2月。出発の前日。明日から石垣に行くというのに、まったくテンションがあがらない。とはいえ、旅行中止にする気にもならなかった。テンションがあがらぬ理由は、雨天になりそうなこととと、寒そうな感じであること。避寒も兼ねて暖かいところに行こうとしているのに、行く気がなくなってしまっているのだ。
石垣に2泊しての、第1目標は波照間島に行くことだが、行けたとして、寒くて雨の降る中を動くことになりそうなのだ。その前に、島へ行く船が欠航で行けないかもしれない。波照間便が欠航の場合は、第2目標の黒島に行くつもりだが、こちらに行けたとして、寒くて雨の降る中を動くことになりそうなのは同じ。 |
実は、出発の数日前から、日本国中が寒波に見舞われ、低温・大雪で混乱していたのだ。沖縄も期待していた気温にはほど遠く、そのうえ天気予報では雨がちだったのだ。 さて、当日、家を出たときは穏やかだった天候が、関空につく頃には、みぞれになっていた。しだいに吹雪きのような感じになっていき、飛べるのか心配になってきた。
石垣「島」行きはちょっとおかしい。 結局、定刻の10時25分より10分遅れで出発。あとで、機長から、あと2、3分離陸が遅れたら、あと30分ほど出発が遅くなっていたところ で、迅速に搭乗していただいたお客さんに感謝しますとのアナウンスがあった。 |
石垣空港には、定刻
の13時15分より10分遅れで到着した。飛行ダイヤは余裕が見てあるはずだが、10分遅れで出発して、10分遅れとは、やはり悪天候の影響だろうか。
13時30分のバスが客を待っていてくれて飛び乗った。曇り空だが時々太陽も出ていた。気温は18度で暖かい。寒くなくてよかった。そのまま離島桟橋へ。途中、ロッテのキャンプ地の横を通過した。 |
14時の竹富島行きに飛び乗ることができた。安栄観光と八重山観光フェリーが同時刻発だが、今回は安栄の往復券を買った。
集落行きのバスは、集落内は希望するところに行ってくれ、どこでも200円。まだとってない昼食のため「竹の子」に行ってもらった。 |
「竹の子」は集落の西端にある八重山そばの店。2月から値上げがあったようだ。
建物の外の席で食べていた客もいたが、寒いので中でいただく。 |
注文したのはソーキそば。 八重山そばは、沖縄そばの一種で、中華めんと同じく小麦粉だけで作られて黄色いのだが、一般の沖縄そばよりもやや麺が細い。
調味料として「ピィヤーシ」が置いてあった。コショウに似たものだが、竹富島に自生しているもので、赤く熟した実から作るという。竹富独特の調味料だ。 おみやげに「ピィヤーシ」も買った。500円。 |
「竹の子」のすぐ近くの民家で赤瓦の屋根の修復工事をおこなっていた。 この工事を見るのははじめてで興味があった。ただの屋根の工事じゃなく、赤瓦の保存地区の屋根の修復だからだ。 このようにして赤瓦の屋根が守られているのだという実感がわいた。 |
「竹の子」から西に少し歩くと、スンマシャー(集落の入口にある巨木とそれを取り巻いている石垣)がある。 病魔や凶事が集落に侵入するのを防ぐために設けられていて、ここからが生活の場だという目印でもある。 左手の道の奥のほうの車が止まっているところが「竹の子」だ。 撮影している自分の背中の側をさらに5分ほど歩けば、西桟橋だ。 |
八重山地方の方言では、「ニシ」は「北」の意味で、「西」は「イリ」というのだが、西桟橋の「西」は本当の「西」で、北の意味ではなさそうだ。 長い桟橋が海に突き出ていて、沖縄本土復帰のころまで、この桟橋から西表島へ島民が渡るのに使われていたという。 桟橋の上でしばらく休憩。桟橋から見る海の水はとても透き通っている。 |
画像でははっきりしないが、海底がとてもきれいなのだ。 彼方に見える島影は西表島だ。
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コンドイビーチ。西桟橋から南に1kmほどのところの海岸。 遠浅の美しいビーチ。干潮のときには、沖合いに浜ができるのだという。 次回はゆっくりと眺めにやってこようか。 |
さらに南に1km。カイジ浜。ここは星砂海岸ともよばれ、星砂がたくさんみられる。 星砂は、有孔虫「ホシズナ」の遺骸なのだ。つまり生物。ただの砂ではないのだ。
この海岸はたくさんの客が訪れていたが、皆、星砂探しに熱中されていた。自分は面倒なので、星砂探しはせず、売店で虫眼鏡を使って見せていた星砂をのぞいただけ。 |
ここの浜辺にネコがいて、じゃれあっていたので、しばらく見ていた。 どこでも、ネコがいると撮影したくなるので写しておいた。それにしても、逃げ出さないネコだ。観光客になれすぎているようだ。 |
カイジ浜を少し内陸にはいったところにある蔵元の跡。 蔵元とは、年貢を保管する蔵であったが、のちに役所を意味するようになった。 一時期、ここに琉球王府の八重山地方の蔵元があった。 石碑のうしろに石垣が見えるが、それが蔵元の石垣だろう。その内部は、草が繁茂し自然の姿にかえっている。 |
蔵元跡を見たあとは、島の中心部を経て、港に向かった。 道路は御覧の通り、未舗装の道だ。最近は、離島でもなかなかお目にかかれない、ほっこりとする道だ。
集落に入り、赤瓦の屋根の家を見かけると、竹富島にきているのだという気分が高まるが、今日はゆっくり集落を見て回る余裕はない。 |
人頭税廃止百年記念碑。2003年の設置なので、1903年まで人頭税があったということなのか。明治の末期だ。
竹富小中学校の校門。花いっぱい運動をやっているのかなぁ。とってもきれいだ。 |
集落を突き抜けて、東のスンマシャーから集落外に抜け、港へ。
17時15分の船で石垣へ向かった。到着後はすぐにホテルへ。 |
今回は、ホテルピースイン石垣島で2泊した。ここを選んだのは、離島ターミナルやバスターミナルから300mほどで、グルメエリアの美崎町が目の前にあるからだ。
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1時間ばかり休憩の後、ホテルから50mと離れていない「あじ小屋」に行ってみたが、満員で予約がないと入れないという。そんなに人気のある店なら美味しいのだろうと、2日目夜の予約をそのときに入れ、その日は「ゆらてぃく」に行った。 注文したのは、自家製という島豆腐、それにまぐろと長命草の刺身。 飲み物は、泡盛・請福の水割り。請福は、石垣島では一番飲まれている泡盛らしい。 |
まぐろと長命草の刺身は、ぽん酢に浸けられていた。 まだ食べることはできたが、この店ではこれだけにしておく。 今回、ぜひ行ってみたい店があったからだ。 その店は、石垣で知る人ぞ知る密かな人気のおでん屋「メンガテー」。
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場所は、飲食店の連なる美崎町の大通りから路地を数m入ったところにある。知らない人はまず足を踏み入れないような暗い路地の中だ。 「メンガテー」とはどういう意味だろうか、と考えながら、「メンガテー」のネオンにつられて路地に入った。ネオンの下に店の入口。初めての人で、入るのに抵抗を感じない人はいないだろう。 入るとオバァが出迎えてくれる。なんにするぅ?と聞かれる。おでん1000円とそば500円だけだ。 おでんを頼んでみた。はじめの店で注文を控えていたのは、ここでおでんとそばを食べるためだったのだ。 しばらくしてでてきたおでんは、これが1人前といいたくなるような大皿に山盛り。 |
一瞬、食べられるかどうか心配になった。食べれたらそばもと思っていたが、この瞬間に断念。
おでんの中身は、巨大なテビチ、ソーセージ、コンニャク、ちくわ、大根、たまご。そしてレタスもまじっている。テビチから溶け出したであろう脂でギラギラしている。 しばらく格闘の末、食べ終わると満腹。そばは試すことができなかったので、またの機会やってこよう。 ホテルに戻り、一日目終わり。 |
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