2 波 照 間 島
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朝食は半セルフサービス。ご飯や味噌汁は自分で運んで待っていると、おかずはトレーに入れて運んできてもらえる。
さて、この日は波照間島に向かう日だ。昨日まで50%だった石垣地方の降水確率が昨日40%になり、今朝は10%まで下がっていた。天気も曇りで雨マークがなくなっている。最高気温も20度と暖かそうなので良かった。
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港に行くと、波照間行きの船が出ることが判明。波照間行きは、安栄観光と波照間海運が3往復づつ運航している。どちらにしようか港にやってくるまで迷っていたが、結局、安栄にした。 どうしてかというと12人限定というのでどんな船かと思ったからだ。
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8時30分発。はじめの30分は島の間を通るのであまり揺れなかったが、後半30分はものすごく揺れた。まさにジェットコースター状態。船が壊れるのではないかと怖った。
右は、波を撮影したつもりだが、写っていたのは水しぶきを受けて何も見えない状態。 |
9時40分ごろ波照間に到着。手前が安栄で向こう側が波照間海運の船。 画像では波静かな感じだが、このとき強風が吹き、小雨も降っていたのだ。 雨は、何とか傘なしでもしのげる程度であった、風はとてもきつく、帰りの船が欠航にならないか心配に思った。
旅客ターミナルに行って、心配が現実のものになった。波照間海運の船は朝の1便のあとは欠航になったのだ。 安永は欠航とは書いていなかったのだが、いつ欠航が決まるかもしれず帰りの船に乗るまで心配だった。 |
学童慰霊碑。太平洋戦争のとき犠牲になった疎開児童の慰霊碑のようだが、詳細は不明だった。
慰霊碑は少し高いところにあり、そこに上ると、波のきついのがよくわかった。 |
沖縄電力の波照間風力発電所。
サトウキビ畑の向こうに集落が見えた。 |
コート盛。かつて海上の監視をしたり船に連絡するための烽火をあげたりしたところ。
右は、コート盛の上から見た村の様子。このときも、小雨強風だった。 |
波照間駐在所。日本最南端の警察はここ。 ちなみに、入口の上に描いてある日本地図で、波照間島が赤くなっているのだが、わかるだろうか。
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島内の商店は、共同売店を名乗っているところが多い。っても4つほどだが。ここは名石共同売店。
島の泡盛「泡波」のミニボトルを購入。島の外では手に入れにくいようだ。 |
建物は民宿の「星空荘」、商店「仲底商店」、食堂「たかな」が入っている。その前の広場では、旧盆の行事ムシャーマもおこなわれる。
広場の周りには公民館などもある。この広場が島の中心なのだ。 |
すぐそばに、波照間小中学校がある。
民家には赤瓦屋根のものもある。 |
フクギの防風林に囲まれている民家も多い。
オケヤアカハチの生誕地。八重山を支配する豪族になったが、琉球王府に討たれた。 |
ローカルムードただよう立て看板。 危ない!子供の飛び出しは、「ピコハン!ウタマヌ トゥンジ」 「乗ってしるぞ ベスマの空の旅」は、空港の拡充を呼びかけるものだろうか。「ベスマ」とは波照間島のこと。
集落の西の端のあたり。集落を抜けたあとは、畑の中の道を通って、島の西南部にある高那崎や星空観測タワーに向かった。 このころになると、小雨がやんだ。 |
あたり一面、さとうきび畑だ。延々、このような景色がしばらく続く。 雨上がりは、ほこりが舞い上がらず、気持ちよかった。 |
しばらく行くと、さとうきび畑の真ん中に灯台が出現する。これにはびっくりした。灯台は、海岸にあるはずって固定観念があると、どうしてこんなところにあるのって驚くわけだ。 灯台は船の道しるべなので、船から良く見えるところに建てる必要がある。波照間島は、ほかの島と離れてある島なので、島の周りのどの方向からも灯台の明かりが見える必要がある。 波照間島の中で一番標高が高いのは、この灯台のある集落の南の畑の中なのだ。ここからだとどの方向からも灯台の明かりが見えるというわけ。もっとも、標高が高い、といっても50mほどのようだが。ほかにもこのような島はあるのかなぁ。 |
ファームポンド。かんがい用水のタンクである。高さ11m、直径22m、貯水量4000トンという。 波照間島は海岸に崖が多く、島の全体が丘の上にある感じだ。水が得にくいと思われる。 手前にはコイン式の給水設備もあるのだが、どうやって水を運ぶのかなって思った。 |
このころから、少し晴れ間もでてきた。 畑の中の一本道を西に向かった。 さとうきびの刈入れには下の機械が使われていた。
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島の東端近くまでやってきた。北側には、波照間空港の一部が見える。滑走路の延長線上なのだろうか。
やぎが多いはずだが、やぎは一向に見かけず、馬に遭遇。 |
島の東南部の絶壁の上にある高那崎。 島では、ニシ浜につぐ絶景だと思った。 高那崎にいたときは、晴れていたが、風が強く、打ち寄せる波の迫力に圧倒された。 |
ついで、星空観測タワーへ。 着いたときは晴れていたのだが、中に入っている間に天気が急変し、出た時には再び小雨が降っていた。 内部には、簡易プラネタリウムがあり、夜空が球状の天井に映し出され、星座の説明が聞ける。最上部には望遠鏡があるが、望遠鏡室までいったものの中には入れなかったのが残念だった。 |
タワーの外で、ようやく、やぎに遭遇。 雨に降られながら撮影した。 このあと、屋根の下でしばらく待機したが、一向に雨がやむ気配はなく、あきらめて雨の中、最南端の碑を見て、集落に戻ることにした。 |
星空観測タワーからしばらく歩いて、最南端の碑に到着。タワーが遠くに見える。 ところで、本当の碑はどれなのかよくわからずじまいだった。 どうやら、この碑は個人が建てたものらしい。 |
こちらは竹富町の建てたもの。 だが、地図を見れば誰にでもわかることだが、日本最南端は碑がある場所ではない。
これらの碑のある場所からさらに南に200mほどのところを島内一周道路が通っているのだ。 |
この道路が島の最南部を東西に走っている道路だ。 だから、誰でも行ける日本最南端はこの道路のどこかだ。
でも、どこが最南端なのかは表示がないからはっきりしない。
この道路を端から端まで通ったので、どこかで最南端を通過したことになる。おそらくは、画像で道路の先のほうが、最南端だ。 なお、柵を乗り越えて、南側に行こうと思えば行けそうが、それは危険なのでダメ。 |
島一周道路の最南部を東から西に向かった。このとき、雨が一番きつかった。一時は、船が欠航して島に泊まることも考えた。 やがて、一周道路がとぎれているところに達した。そして、北にある集落に向かった。
集落までの途中で再び、やぎに遭遇。確かにやぎの多そうな島だ。 |
島の中心の広場に戻ってきた。雨は一向にやむ気配なし。
下水用のマンホール。星空観測タワーが描かれている。 |
昼食は、「青空食堂」でとったが、それまでが大変。もともと、昼食場所の少ない島だが、ガイドブックを見て訪れた「パナヌファ」「花HANA」がどちらも休み。それで、この食堂にきて、営業していてほっとした。
食事は裏庭のテントでとる。そこから「青空食堂」という名がついたようだ。なお、この店は金・土休業とのこと。訪れたのは日曜だったが、土曜なら営業していた店はあったのかなぁ。 |
注文したのは、今日のおすすめになっていた、刺身キムチ丼。刺身は、この日は、まぐろとのこと。 まぐろ刺身が10切れほど乗っかっているのは豪快。そして、その味付けがキムチ味というのがまた珍しい。 キムチが丼の中に混じっているのではなく、コチュジャンで味付けされているのだ。韓国で刺身を食べたときのことを思い出した。しょうゆのほか、コチュジャンもつけて刺身を食べることができたことを。 |
食事前には降っていた雨が、食事後はやんでいて、太陽が照り始めていた。 「青空食堂」からニシ浜に向かった。その途中、精糖工場があった。波照間名産として黒糖があるがそれを作っているのだろう。 工場の左手にニシ浜、右手に港がある。 左手の道を海岸に進むと、ペンション最南端があり、すぐにニシ浜だ。 |
1ヵ月前に行った久米島のイーフビーチ、昨年行った伊良部島の渡口の浜も同じくらいの美しさだが、ニシ浜は人工的な建造物がやや離れて見える港の防波堤と桟橋の屋根以外は視界に入らない点で勝っている。
ニシ浜の「ニシ」とは方言で「北」の意味だ。ニシ浜に連続して西南側にペー浜があるが、「ペー」とは「南」の意味だ。 島に到着したときから天候がすぐれなかったが、ニシ浜にやってきて午前中の天気がうそのように太陽が照りつけ、南国ムードをかもしだしてくれた。ただ、風はずっときつかった。 |
ニシ浜を端まで歩き、さらに連続しているペー浜の端まで歩き浜シタン群落を見てきた。
ニシ浜とペー浜には、あわせて1時間半ほど滞在したが、きれいなビーチを見ているだけで何とも幸せな時間だった。 |
帰りの船は16時30分発だが、16時すぎに港に着くように、港に向かった。 ずっと心配していただけあって、安栄の船がやってきたときにはほっとした。 帰りは20人ほどの乗船。欠航となった波照間海運に乗る予定だった人も入れてで、ちょっと少なめの感じだった。 はじめの30分はまたしてもジェットコースター状態。でも、17時40分ごろ無事、石垣に到着。まずはホテルに向かった。 →この日の夕食などは「3」に記載しました |