2   多 良 間 島

 

 

  2泊3日の今回の旅行の真ん中の日、この日は日帰りで多良間島に行ってみることにした。

 7時からホテルの朝食。バイキング方式だとどうしても食べすぎ気味になってしまうのが、いつもながら反省しなければならない点だ。

 8時過ぎにホテルを出れば間に合うので、食事後に一休み。やがて時間になり、小雨が降っていて、傘をさしてバス停に向かった。

 空港行きのバスは”北給油所前”から乗車する。そばにガソリンスタンドがあるのだが、これが北給油所なのか?

 定刻に”上野一周”というバスがやってきた。このバスのはずだが、念のため空港に行くバスかどうか尋ねて乗車。

 乗客は空港入口に着くまで自分ひとりだった。

 空港入口のバス停は、時刻表の紙がはがれていて、時刻が不明な状態。少ない本数だけど、、

 空港入口からターミナルまでは歩いて7,8分かかった。見えてはいるけれども、ちょっと遠い。ターミナルまで入るバスは1日に4往復ほど。

 搭乗するのは9時15分発 の琉球エアコミュウーターだが、バスが遅れた上、空港入口のバス停がターミナルから結構離れていて、保安検査を終わって、待合室で腰を下ろしたのは8時55分ごろ。

 ターミナルから飛行機までは傘をさして歩いた。搭乗した飛行機はボンバルディアDHC-8 Q100。

 搭乗人数は14人で、39人乗りの小さな飛行機でも、座席はガラガラ状態。14人中、観光客らしきは自分以外に4人。

  多良間空港到着。歩いてターミナルに向かう。琉球エアコミューターの垂直尾翼にはかわいいシーサーのデザインが。 

 多良間空港は数年前に新空港に移転したもので、ターミナルは小さいが新しい。ターミナルの屋根は赤瓦になっていて沖縄らしい雰囲気だ。観光客5人のうち、多良間空港で2人組は迎えにきた宿の車に乗車。自分と別の2人組は有償輸送の村のミニバスに乗り込んだ。

 2人組は村の中心のレンタカー屋で下車。自分だけが歩いて島を回った。有償輸送のミニバスは空港と村の中心の間で400円。最初、どこに行くか聞かれて、決めていなかったので、そういうと、村の中心の小さな広場まで連れて行ってもらえた。降りる際に、帰る時にもミニバスを頼み、この場所に15時30分に約束した。

 下車した広場のそばには村役場がある。15時30分に降りた場所に戻れるか心配だったが村役場があるので戻りやすい。このとき10時で、5時間半の島内探索のスタート。何の変哲もない、人のほとんど見かけない道を歩く。

 最初に行ったのは多良間神社。15世紀末に島を統一した土原豊見親を祀る神社で明治35年にできた。小学校の校舎を瓦葺で造る際に島にいくつかある御嶽の大木を切ろうとしたが、島民は神のたたりを恐れて切ろうとしなかった。小学校長の進藤栄氏が自ら伐採にかかり、島民は安心して伐採を行った。けが人は一人もなく、小学校長が土原豊見親のおかげだとして神社を建てたという。

 次に、土原豊見親のミャーカ。ミャーカは宮古諸島の石造墳墓。規模や石工技術から上中下に分類され、このミャーカは宮古諸島に5つある上級ミャーカのひとつ。入口にアーチがあり、くぐりぬけると屋根型の石積がある。民家の庭先のようなところにあり、気をつけていないと見過ごしてしまいそうだ。

 アマガー。自然の洞窟を利用した飲料水を得る場所。金網の中に洞窟への入口があるのだが、草に覆われていて、中へも入れたのだが、洞窟の入口まではたどりつけなかった。

 運城御嶽のフクギ群落。道路から御嶽にいたる40mほどの間にフクギの大木が並んでいる。一番奥には赤屋根の運城御嶽がある。

 このあと、宮古遠見台に行ったが、樹木に覆われ見晴らしはまったくなし。さらに泊御嶽に行った。ここも上の運城御嶽と同じような感じ。

 そして、海岸道路に出た。この島には2つの港があって、フェリーが着くのが普天間港でここからは少し離れている。集落の近くにあって、立ち寄ったのは前泊港。前泊港では工事をしていて、島に来て初めてたくさんの人が集まっているところを見た。建設工事がこの島で最大の産業のようだ。

 港のそばにヌヌドゥトゥブリという、放射状の道路の海への出口があった。

  前泊港からさほど離れていないところにイビの拝所がある。。船の安全を祈願したところで、背の低い石垣に囲まれている。

 このあたりから、小雨が降り出した。持参の折りたたみ傘で対応。風も強く吹いていて、帰りの飛行機が結構になったりしないことを心配もした。まぁ、何事もなかったのだが。

 左左 ウェーンマの別離の像。島を去る男を現地妻と子供が見送る像である。

 像の左手には、多良間ションカニ歌碑がある。別離の悲しみと男の船旅の安全を願った歌である。

 左右 マイドゥプリという海への出入り口と、仕上世所跡。島から琉球王朝への貢物をいったんここに集めて、そのあと船積みした。

 上左 島一周道路は車道とともに歩道・自転車道が外側にある。

 上右 しばらく歩いて、ふるさと海浜公園に到着。山側には休憩所。

 左 ふるさと海浜公園は遠浅の海岸。干潮時であったので、かなり遠くまで歩いていっていた人もいた。

 海岸を歩くのはここまで。このあと内陸に向かい、八重山遠見台に行った。

 右手の石積みが17世紀に異国船がやってくるのを監視する目的で設置された八重山遠見台。先島(宮古、八重山)で18箇所つくられたうちの1つ。ただし今は木のために眺望はよくない。

 左手の塔は、昭和40年代につくられた八重山遠見台展望台。上からの眺望は360度楽しめる。

 展望台から島の内側を見た風景。低平な島であることがわかる。

 下左 このあと、ふるさと民俗学習館へ。ところが、ここはお昼休みがあって、その時間帯に着いたので、中に入れず。あとで、時間があまったので、再度訪問して入館した。

 下右 土原ウガム。仲筋の八月踊りを行う聖域。周囲には古木がたくさんある。

 土原ウガムの中にある舞台。ここで踊りがおこなわれる。手前には、観客が座るために、スタンド状になった座席もあった。

 下左 東(あがり)食堂でソーキソバをいただいた。

 下右 東食堂の看板。

 左 集落内の道路。ほとんど歩く人を見かけなかった。

 下左 ピトマタウガムの舞台。ここで塩川の八月踊りが行われる聖域。こちらも中央に舞台がある。

 下右 ピトマタウガムも古木に囲まれている。

 左 シュガーガー。かつて地下水をくみだしていた洞窟。入口まで降りてみたが、中までは入らなかった。

 下左 夢パティオたらま。村営の宿泊施設。島で泊まる場合、なかなか快適に泊まれそう。

 下右 寺山の遺跡。どういうところなのかよくわからなかった。

 一通り、多良間島の集落周辺を回って、時間が余ったので、再び、ふるさと民俗学習館に行ってみた。

 八月踊りについてもある程度様子がどんなものかわかった。

 ここで多良間島の言葉について尋ねてみた。飯をイ○、芋をム○ (○は字の右上に書く)と書くのだが、どう読むか聞いた。難しい発音だが練習させてもらった。慣れると簡単ならしいが、自分にとってはなかなか発音できなかった。

 車は15時30分の約束だったが、15時過ぎに待ち合わせ場所の広場へ。そばにスーパーが2つあったので、中に入ったりして時間をつぶした。

 15時20分にワゴン車がやってきたので、乗せてもらって空港に向かった。

 1日2便だけの多良間空港。搭乗手続きを終え、しばらく待った。風のため、まさかの欠航を心配もしたのだが、杞憂に終わりよかった。

 やがて宮古からの便が到着。地元客が大半で観光客らしき人はほとんど見かけなかった。

 搭乗客は11人。うち自分以外に観光客は、朝の便で見た4人のうちレンタカー屋にまずいった2人と別に前日から島に泊まっていたと思われる2人。自分を入れて5人の観光客。地元客は6人。

 空港内を歩いて飛行機に搭乗するのはなかなか気分がよいものだ。

 上左 宮古空港に到着。バス乗り場に行くとた。なんと鉢植えがなぎ倒されていてひどい状態に。あぁ、欠航にならなくてよかった。

 上右 市内行きのバスで空港ターミナルを経由するバスはほんのわずか。乗客ゼロでやってきて、自分と地元客1人が乗車。

 左 2人とも北給油所で下車。北給油所が名の通った地名になっているようだ。歩いてホテルに戻り、少し休憩。

 19時ごろ、夕食に出かけた。疲れているしもあったのだろうが、あまり食欲がなく、少しいただいただけ。料理の種類が少なく、ちょっと不満もあって、早めに退散した。

 上左 マグロ刺身

 上右 グルクン塩焼き

 左 島らっきょうの天ぷら

 

 

1へ   宮古島・多良間島のトップ  ユーラシア紀行のトップ  3へ