1日目  マ ニ ラ 到 着  

 

  旅行者的には、フィリピンは「近くて遠い国」の状態が続いていた。何となく治安が悪く、政情も不安な感じを抱いていたからだ。加えて、世界遺産などの観光資源があまり多くなさそうに思えていたのも、フィリピンを避けてきた背景にある。

  今回、東南アジアの国のほとんどを訪問して、残りの国もわずかになってきて、フィリピンに向かうことにした。ただ、今回は短期間の訪問なので、マニラに3泊という日程になった。

 

  

  関空からマニラ経由バンコク行きのタイ航空機に搭乗。この便は、ミャンマーを訪問したときにも利用している。

  そのときには、マニラでは、飛行機を降り、空港の待合室でしばらく待機したのだが、そのことが、マニラに対する関心が高まる契機になった。

  水平飛行に入るとすぐに機内食。今回は、チキンカレーをチョイス。タイ航空の機内食は、平均点以上だ。食事後、少し眠ったりしているうちに、マニラに到着。

  マニラの空港名は、ニノイ・アキノ国際空港。道路標識などにはNAIAという略称で表されることが多い。

  ニノイは愛称で、本名はベニグノ・アキノ。1960年代末からフィリピンはマルコス大統領の独裁時代であったが、その最大の政敵であったのが、ニノイであった。彼は、米国で亡命生活を送っていたが、1983年身の危険を感じながら帰国。そして、空港で凶弾に倒れた。この暗殺には、今も謎が多いと言われる。

  そして、暗殺を契機に反マルコスの動きが活発化。1986年に、マルコスは大統領選挙にうってでるが、結果が不正に操作されたとして、対立候補であった、ニノイの妻、コラソン・アキノ(愛称コリー)をかついだ反対派が勢いづいた。そして、エドゥサ革命と呼ばれる民衆運動をへて、コリーが大統領に就任。マルコスは米国に亡命した。

  さて、このマニラ空港は、近年、アジアに続々と登場している新空港を見慣れている目には、古臭さ、汚さを感じる空港だ。30年くらい、時代を逆行したような印象を持った。

  宿泊はトレーダースホテル。今回は、一般犯罪を警戒して、自分としては、やや値段が高めのホテルを利用した。また、コレヒドール島行きの船乗場へ歩いていけることを考慮して、ホテルを決めた。

  空港からホテルまでは、チケットタクシーで20分。値段は350ペソ(約805円)。あとでわかったが、メーター利用の場合の3倍程度の値段だ。しかし、空港から市内へ行く途中に邦人が襲われる事件も発生しているので、ここは、安全面を重視した。

 

  チェックイン後、1時間ほど部屋で休憩。この部屋、まずまずではあったのだが、ひとつ難点があった。コネクティングルームで隣室の音が気になった。マニラのホテルでは、コネクティングルームがとても多いらしい。

  チェックインのときに、ウエルカムドリンクのチケットを渡され、さらにウェルカムフルーツもあることを伝えられていたが、なかなかやってこなかったので、街歩きに出発。

 

  ホテルからLRT(高架鉄道)の駅まで徒歩15分。歩き出すと、汗が吹き出てくる。途中は商店と住宅が混じっているような地区であった。裸で遊んでいる子供や、路上に座り込んでいる大人の間を、急ぎ足で通り抜けるところもあった。

  ホテル最寄りのビト・クルス駅から、イントラムロスと呼ばれる城壁で囲まれた旧市街地の最寄り駅、セントラルまで、12ペソ(約28円)。

  マニラ滞在中、高架鉄道は貴重な足になったのだが、乗車のたびに、ボディチェックを受けることと、毎回、切符を買わなければならなかったのには参った。どの駅でも、駅に入るところでは、ボディチェックと荷物検査がある。そのあと、切符窓口に並ぶのだが、必ずといっていいほど列ができていて、時間がかかる。

  下車駅をしっかり決めておき、その駅を言わないといけない。プリペイドカード式の割引チケットも存在しているようだが、窓口で売っているのかどうかはっきりしなかった。

  マニラの近代的な都市交通網は、高架鉄道になっていて、地下鉄ではない。車窓からマニラの市街地を見ることができた。

  セントラルで下車後、城壁内に向かった。左は、城壁の門。

  城壁内のイントラムロスは、観光客が訪問するような場所が集中しているが、民家もかなりある。やはり、貧しさを感じさせられる。

 

 

  最初に行ったのは、サンチャゴ要塞。イントラムロスの一番、北端にある。城壁内の軍事的な拠点であったところ。スペイン時代に作られ、米国時代、日本の占領時代を通じて使われた要塞である。

  この要塞内に、左のリサール記念館がある。19世紀末期、スペイン時代の終盤に独立運動のリーダーであったホセ・リサールが囚われていた建物だ。

 

  

  右は、サンチャゴ要塞の門を内側から撮影したもの。地面に光っているのは、ホセ・リサールの最後の足跡。リサールが処刑場まで歩いた跡である。

  要塞内には、このほか地下牢もあったが、明かりがなくて、どんな様子かよくわからなかった。

 

 

  

  続いて、マニラ大聖堂へ。フィリピンで最重要な教会らしい。そして、教会では珍しく、聖堂内に冷房が入っていたので、しばらく休憩させてもらった。

  ちょうど結婚式が終了した直後だったようで、聖堂内で記念撮影などが行われていた。

 

  このあと向かったサン・オーガスチン教会でも結婚式が行われたあとのようだった。この教会は、17世紀はじめに建てられたフィリピンで最古の石造教会。

  バロック様式の教会として、フィリピンのほかの街の3つの教会とともに、1つの世界遺産として登録されている。また、マニラでは、唯一の世界遺産でもある。

 

 

  このあと、イントラムロスの南にあるリサール公園に行くつもりだったが、道を間違えたのか、LRTのUN(国際連合)通り駅のほうに出てしまった。で、1駅だけLRTに乗って、ペドロ・ヒルで下車。

  マニラでも有数の繁華街を歩き、ロビンソンデパートに入った。デパートの入口でも、荷物検査がある。そこのフードコートで夕食。フィリピン独特の料理を食べようと思って選んだのは、シシグ。豚のミンチを炒めたもの。

  食後は、再度、LRTでビト・クルス駅に戻り、さらに徒歩でホテルに戻った。途中、コンビニで飲み物や翌朝の朝食用のパンなどを購入。コンビニの入口にも銃を持った警備員が配置されているが 、コンビニでは荷物検査はなかった。

  ホテルに戻ると、入口で荷物検査。ロビーでウェルカムドリンクをいただいたあと、部屋に戻り、シャワー。そして翌日の計画を練っているうちに寝てしまった。

 

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