4日目  帰  国  

 

  早いもので、帰国の日になった。この日も少しはマニラの街歩きをするつもりだ。ただ、ホテルのチェックアウトタイムは12時なので、10時30分くらいには、ホテルに戻り、シャワーを浴びてさっぱりしたい。そのために、行けるところは限られている。

  選んだ行き先は2つ。1つはかつてゴミの山と言われ、この国の貧困の象徴のようなものであったスモーキーマウンテン。今は、その上に草が生えて、丘のようになっているという。ただし、ガイドブックでは、決して立ち入らないように、と注意書きされている地区内にあり、もちろんはっきりした場所は不明だ。

  もう1つは、マラカニアン宮殿。言わずと知れた大統領の宮殿。現在、宮殿の本体には入ることはできないが、大統領記念博物館に入ることができる。ただし、予約が必要なので、連絡先を調べて、一応FAXを送っておいた。返事がないので、心配はしているのだが、、果たしてどうなるやら、、

  ゴミの山と宮殿、なんという組み合わせか、と思われるかも知れないが、フィリピンの現状を知るためには、最後の日の訪問地として、限られた時間で行くには適当かと、自分なりに考えた結果だ。

  7時にホテルを出発。ビト・クルス駅から、LRTでホセ駅へ。前日、2号線レクト駅で下車したが、その接続駅が1号線ホセ駅なのだ。

  下車後、西へどんどん歩く。5分と歩かないうちに、街の様子が変わったことに気付く。異様にゴミが多く散乱し、舗装されているにもかかわらず、道路が泥でぬかるんでいるようなのだ。靴もすぐに汚れてしまった。前日、チャイナタウンで激しいスコールに見舞われたが、そこから1kmほどしか離れていないこのエリアでは、道が冠水したのであろう。

  それでも、大きなマーケットがあり、人々が繰り出していた。その活気は、前日見た、バクラランとそう変わりがない。ただ、品物を売っているそばにゴミの塊があったりして、衛生状態が悪いのが、よくわかる。

  ある一角では、ゴミの収集をしていた。それも、ショベルカーでゴミをすくいあげて行う大がかりなやり方だ。

  ゴミには、家庭や食料品店からでる生ゴミも多いようで、一帯の悪臭はひどかった。

 

 

  そして、ショベルカーでゴミ収集するそのそばで、ゴミの中から、売れそうなものを集めて回るスカベンジャーの人たちもいる。

  集めているのは、カン、ビンはもちろん、プラスチックやビニールの製品全般のようだ。資源として再生可能なものは、たとえわずかであっても、お金に換えることができるのだろう。だが、悪臭の中での作業は大変なことだ。

 

 

  商業地区を過ぎると、住宅地区に入る。見るからに貧しそうな建物が連続している。驚いたのは、今にも壊れそうであるにもかかわらず、3階建てになっている建物がたくさんあることだ。大きな地震があれば、と考えると、何とかしなければならないと思うのだが。

  さらに、進むと、このあたりにスモーキーマウンテンがあるはずだというエリアまで達した。でも、結局はわからずじまい。引き返すことにした。   

 

 

  道路に沿って、鉄道線路も走っている。現在は、列車の運行はされていないのであろう。線路の上が家の中のような感じになっている。線路が店舗になったり、公道のようになったりしているのは、今までに見たが、家の中に線路があるってのははじめてだ。

  来たときと同じ道を引き返したが、ホテルに帰る時間のことを考えると、タクシーでマラカニアン宮殿に行きたい。でも、このエリアでは、タクシーの需要がないのであろう。なかなかタクシーが見つからず、かなりホセ駅の近くまで戻って、やっとタクシーをつかまえることができた。  

  マラカニアン宮殿のすぐ前を通る道までタクシーで入ることはできず、少し離れたところで降ろされた。で、検問所でパスポートを見せて、宮殿前の道路に入った。

  冒頭にも書いたが、現在、マラカニアン宮殿は博物館だけ見学することができるが、それも予約が必要だ。だから、事前にFAXを送っておいたのだが、出発にいたるまで返信がなかった。いちいち返信はしないのだろうと好意的に考えてはいたが、不安はあった。

  その不安が、現実のものになった。入口で予約は入っていないといわれた。リストに自分の名前はなかった。予約のFAXを送ったと言っても、平行線。結局、調べてくれることにはなった。それで、30分間、門のところで立ちぱなし。結局、無駄な時間消費だった。やはり、そんなFAXは届いていないということで、宮殿には入場できずじまい。

  今度、マニラに行くときには、電話で予約を入れようと思う。直接、話すわけだから、相手が意図的に電話がなかったことにしない限り、FAXよりは確実だ。

  電話は、英語でのやりとりを避けるためと通話可能時間の関係で敬遠したのだが、こうなるのがわかっていたら、電話で予約を入れたのだが、、

  仕方がない。入口から、木々の向こうに見える建物を撮影しておいた。たぶん宮殿本体ではないだろうが。

  無念ではあったが、どうしようもなく、タクシーでホテルに戻った。途中、パコ駅の前を通ったので、高山右近の像をもう一度見ることができた。結局、4日目は、行きたかったゴミの山と宮殿、奇妙な組み合わせのどちらも行き着くことができなかった。



  とはいえ、貧困なエリアの状況を確かめることはでき、貧富の格差の激しい国だということを実感したし、入れなかった宮殿の一件は、コレヒドール島ツアーの予約の件とあわせて、この国で旅行する上での注意点を教えられた点では有益なものであった。

  ホテルに戻ったのは予定通りの10時30分。ゆっくりとシャワーを浴びて、着替えをして、11時30分。さらに、休んで、チェックアウトタイムちょうどの12時にチェックアウト。

  このあと、ホテル内のレストランで昼食。貧乏性で、値段のはるメニューを見た自分は結局、日本料理でのラーメンを選んだ。

  さらにロビーでしばらく休んで、13時にホテルを出発。玄関をでてタクシーを待っているとボーイがホテルタクシーを使うか聞いてきた。空港までは400ペソだという。この値段は、空港からホテルまでのチケットタクシーは350ペソであったので、それより高い。距離からいって、メーターを使えば、100ペソから150ペソと踏んだ自分は、それを断り、メータータクシーがくるのを待った。

  やがて、タクシーがやってきた。ホテルまで乗ってきた客を降ろしたあと、自分が乗り込んだ。メーターは作動させてある。それで安心しきっていたのだが、甘かった。マニラではタクシーを多用したので、どのタクシーも、黙っていても、メーター使用と考えていた。だが、空港がらみだけは、違うのだ、とやがてわかった。

  しばらく走ってから、ドライバーは、空港までは500ペソだと言うではないか。何たること。これではホテルタクシーに乗ったほうが安いではないか。で、大声で、メーター、メーターと叫んだ。すると、ガソリンが高くなっているだとか、道が混んでいて時間がかかるからとか言う。乗ったところまでのメーター料金だけ払って、下りてしまおうかとも思った。幸い、荷物をトラ ンクに入れていない。だが、暑い中で、また別のタクシーを捜しても、同じことになるかもしれない、と考え、200ペソならOKだと言った。

  ドライバーは400ペソに下げてきたが、こちらは200ペソにこだわった。結局、300ペソまで下げてきたので、それで妥協した。ホテルタクシーや行きのチケットタクシーよりは安いということで、自分を慰めたが、最後の最後になって、マニラの印象が悪くなったのは確かだ。ちなみに、メーターは125ペソをさしていた。

  不幸中の幸いか、ドライバーは悪人ではないようで、とても喜んでいたようではあった。空港着は13時30分。

  航空券とパスポートを見せてターミナル内に入った。続いて、荷物検査だ、と思ったとき空港職員がそばにやってきて、どの便かと聞いてきた。タイ航空の大阪行きだというと、まだまだ時間があるという。確かにその通り。そして、出国カードを見せてくる。かといって、カードを渡すでもなく、手招きする。そばの案内カウンターに行った。そこで、パスポートを見せるように言われたので、見せたら、出国カードにどんどん記入して行くではないか。しまった、と思ったが、後の祭り。書き終わってから、パスポートと出国カードを受け取ると、急いで荷物検査の列に並んだ。後ろから、チップ〜、という声がしたが無視。追いかけてまではこなかったので一安心。 

  さて、出国カードを見ると、フィリピンでの住所は、Hotel in Manila 、職業は、bus manと書いてある。タイ航空のチェックインはまだはじまっておらず、しばらく並んで待った。その最中に、空港職員が出国カードを配って回っていたが、もらって書く必要はなかった。

  やがて、チェックイン。そして、空港税550ペソの支払いとすすむ。そのあと、余ったペソを米ドルに換えた。売店は、近隣国の大きな空港に比べて貧弱だ。しばらく、ゲート付近で待機。  

  

  やがて、バンコクから飛行機が到着。マニラで降りる客、機外で待機する客の順に飛行機からでてきた。さらに20分ほど待って、搭乗が始まった。

  機内食はシーフードを選んだが、はじめて食べるもので、魚のすり身のようなものを固めたものだった。

  予定と同時刻に関空到着。

 

 

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