3日目  メ ト ロ・マ ニ ラ 一 周  

      

  マニラ3日目。この日は、メトロ・マニラの各地を高架鉄道を利用して回る予定だ。

  だが、フィリピンにきた以上、どうしても乗りたい乗り物がある。ジプニーだ。ほかの国では、この乗り物はない。

  ジプニーは、ジープを後部座席を取り払い、代わりに長椅子をとりつけたような乗り物だ。タイのソンテウに似た面もあるが、小型で屋根が低く、何よりも車体がド派手なものが多い点で異なる。

 

 

  でも、旅行者にとっては、区間がわからず(一応、車体に書いてあるが、初心者にとっては、書いてないのと同じようなもの)安心して乗れない。その上、ジプニー内での犯罪もあるらしい。乗り間違えの起こらない、区間で挑戦してみることにした。順調に行けば、午後に乗れるはずだ。

  道端では、屋台で朝食をとる人々が集まっている。だが、今回は、衛生状態を見て、屋台食は避けた。ホテルの部屋でパンを食べた。

 

 

  

  LRT(高架鉄道)のビト・クルス駅に到着。このLRT1号線は、営業開始が古く1980年代に完成している。この線の駅は、上下線で入口が完全分離されていて、北行と南行では、入口が道路を挟んで相対している。だから、南にいく場合は、道路をまず渡らねばならない。

  そして、そのあとは、荷物検査、そして切符を買う行列。乗車券には、大統領の肖像が描かれていて、大統領が代わると新しい券が発行されるそうだ。

 

 

 

  さて、ホームで電車を待っていると、ホームの端の3両分ほどは、係員が監視をしていて、女性しか入れないことに気付いた。(駅によっては、係員がいなくて、ロープがはってあるだけのところもある。)女性専用車があるからだ。

  だが、9両(なかには6両の場合もあった)のうち、3両が女性専用の場合が多く、女性専用車はすいていても、ほかは満員という場合が多く、男性客からはよくは思われていないと感じた。

 

 

 

  車内は、常に込んでいたが、唯一、1号線では、南端の一区間がすいていた。3号線と乗り換えのエドゥサ駅で大半の客が降りるためだ。 自分は、まず終点のバクララン駅まで行った。バクラランには、マニラで最大の市場がある。

  バクラランや空港は、マニラ市ではなく、パサイ市に属している。パサイ市はマニラ市、ケソン市、マカティ市などとともに、メトロ・マニラを構成しているのだ。東京でいうと、23区のそれぞれが、市を名乗っているようなものだ。  

 

 

 

  バクララン市場は、駅周辺に広がっている。日曜日が一番、混雑するそうだが、この日は月曜日。比較的すいていた。

  バクララン駅から一駅間を歩いて戻った。エドゥサ駅に隣接して、3号線のタフト駅があり、そちらに向かった。乗り換えの通路は、身動きができないほど込んでいた。 乗換えでも、その都度、切符を買うのがマニラ流。いやはや、面倒だ。もちろん、乗換えごとに荷物検査 だ。

 

 

 

  ところで、3号線だけは、なぜかMRTという。車両は、LRT1号線と色が違うだけで、同じようだし。むしろ、あとで乗車したLRT2号線は、車両がより郊外電車に近いような形態だった。それとも、運営主体が違うのだろうか。

  MRT3号線で、タフト駅からアヤラ駅まで向かった。LRTは最低運賃が12ペソだったが、MRTは10ペソが最低運賃。アヤラ駅までは最低運賃で乗車できた。切符は、路線ごとに違う柄だが、なかには柄が印刷されていない白紙のカードもある。

 

 

  MRT3号線の車内。乗車直後に撮影したので、すいているが、その後、満員になった。

 

 

 

 

  

  アヤラ駅で下車。マカティ市の中心の通りであるアヤラ通りを歩いた。この通りには、銀行などが立ち並び、マニラの経済中心地という感じだ。

 

  この地域は、ほかのメトロ・マニラの区域に比べて、明らかに豊かさを感じさせる。庶民臭は一切、感じない地域である。それでも、ジプニーが走っているのを見ると、やはりフィリピンではあるとわかる。

  街角に、ニノイ・アキノの像があった。何をしているところなのだろう。

 

 

 

 

  マカティ市の地上を1kmほど歩いたが、駅に引き返す段になって、地上を歩かなくても、日よけのついた歩道とショッピングセンターの中を通って、駅まで行けることに気付いた。

 

 

 

  マカティ市の中心部は、日よけ歩道とショッピングセンター内を通れば、ほぼ暑い思いをしなくても、いきたい場所にいけるようになっている。

  ショッピングセンターは巨大なものが3つつながっていて、1店の出口が、別の店の入口になっている。その都度、ボディチェックと荷物検査がある。 

  結局、1kmばかり、日よけ歩道と建物内を歩くだけで、アヤラ駅まで来ることができた。途中、アヤラ博物館があって、なかなか面白そうだったのだが、この日は月曜日で休館日。またの機会があればやってくることにしよう。

 

  アヤラ駅から再びMRTに乗り、オルティガス駅で下車。この近くには、エドゥサ教会がある。

  この教会は、1986年のマルコス大統領を亡命させ、コラソン・アキノ大統領を誕生させたエドゥサ革命を記念して、1989年に建てられた教会である。

  「エドゥサ」とは、「エビファニオ・デ・ロス・サントス・アベニュー」の頭文字をとった略称で、MRT3号線はこの「エドゥサ通り」に沿って走っている。

  で、1986年の政変は、なぜ「エドゥサ革命」なのか。民衆の動きのきっかけは、マルコス時代の国防大臣エンリレと参謀総長ラモス(のちに大統領)が、マルコスにそむいて、アギナルド基地内にたてこもり、マルコスに退陣を求めたことからはじまる。革命のきっかけは、クーデターであったのだ。このアギナルド基地が面しているのがエドゥサ通りなのだ。

  さてこのクーデターは、マルコスの命を受けた軍のマルコス派が、エドゥサ通りをはさんでアギナルド基地の反対側にあるクラメ基地から戦車を出して鎮圧に乗り出した。そのため、内戦になりかけた。

  このとき、カトリック教会のシン枢機卿が、クーデター派支持の呼びかけを市民に対して行ったため、市民がエドゥサ通りに繰り出した。そして、4日間、マルコス派の部隊の行く手を阻んだ。このときの状況は、リアルタイムで世界に発信されたので、よく覚えている。市民が登場することで、クーデターは革命へ変質していった。  

  結局、マルコス大統領は、米国が革命派を支持することが明らかになって、マラカニアン宮殿を脱出し、ハワイへ亡命した。

  さて、この教会そのものは、プロテスタントの教会であることはわかったが、宗派が何であるかは、わからなかった。

  この教会に隣接して、ロビンソンデパートがあり、書店に入ってマニラの地図で適当なものがないか探してみたが、これは、、というものがなかった。

 

 

  デパートやショッピングセンターの中のフードコートはだいたい、このような感じである。

  安く、手軽に食事しようとすれば、フードコートを利用するのが便利だ。 この日の昼食もここでとることにした。

  飲食店の数はとても多いが、米式ファストフードや中華系、日系、ほかの東南アジア系の料理店がとても多く、フィリピン料理と限定すると、それほど多くの店があるわけではない。

 

 

 

  左下のカレーのようなものは、カレカレ。チキンと タマネギ、ナス、ニンジンなどの野菜をピーナツソースで煮込んだものである。辛いものかとサンプルを見て思ったので、拍子抜けであった。

  ご飯の横についているのは、レチョン。カリカリに焼いた焼豚で、右上の酸味のきいたソースをつけて食べる。左上のスープは、酸味のものだが、具がなにも入っていない。

 

 

 

 

  次に、サントラン駅まで1駅MRTに乗り、エドゥサ革命の記念碑を見に行った。革命の際、 エンリレ、ラモスらがたてこもったアギナルド基地の前にこの像がある。

  実は、MRTに乗らずに、エドゥサ教会からそのまま歩いたほうが近かったようだ。

  毎年、2月25日には、この前で、革命記念式典がおこなわれている。 なぜ、2月25日かというと、コラソン・アキノが大統領に就任したのが、その日で、大統領就任が革命成就とみなされているからだ。

 

 

  サントラン駅に戻り、ケソン駅まで再びMRTに乗車。そして、ケソン駅からケソン市の中心まで1kmほどあるのだが、この区間でジプニーに乗ってみた。

  ケソン駅からケソン市の中心までは一直線だし、ジプニーがその途中で横道に入るとは考えられないから、安心して乗った。

  乗車後、他の客が、客の手渡しでお金を送っているのを見て、自分もそのやり方でお金を送ってもらった。運賃は10ペソ(約23円)だ。

 

 

  ケソン市は、かつて首都であったが、1976年に首都はマニラになった。これは、ケソン市を含むメトロ・マニラが誕生したからだ。したがって、現在でも、ケソンの中心でジプニーを降りて、幹線道路に沿って歩くと国家機関の建物が並んでいる。

  なかでも、大きな建物が、ココナッツ省。農業省とは別に、ココナッツ省があるのが面白い。右が、ココナッツ省。

 

 

    

  ケソン・メモリアル・モニュメント。初代大統領ケソンを記念して建てられたもの。博物館もあるのだが、月曜日で休館だった。

 

 

 

 

  ニノイ・アキノ公園。地元の人たちがのんびりすごす公園になっている。池の周囲の風景がきれいだ。

 

 

  池をぐるっと半周すれが、外に出られると思ったが、甘かった。一周しないとだめだった。そのため、この特に何もない公園で、30分以上、滞在することになった。

  出口近くに、ニノイ・アキノの胸像があった。名前は、ニノイとついていても、特にメモリアル的なものがない公園の中で、唯一、ニノイに関係しているものだ。

  公園を出て、ジプニーに乗って、MRTのケソン駅に行った。外をよく見て、降りそびれないように注意していた。ジプニーは、中で立つことができないうえ、外を見るのも不便だと思った。

 

  右は、ジプニーの中。

  ケソン駅からクバオ駅まで、MRTに乗車。クバオはLRT2号線との乗り換え駅だが、そこでは、大ショッピングセンターがあり、乗り換えのさい中を通ったら、結構、時間がかかってしまった。  

 

 

 

  LRT2号線は、2005年の開業と新しい路線である。切符は、自動券売機で購入するようになっているのが、ほかの線と違っている。

  切符に大統領の肖像が入っているという点は、他の路線と同じだ。

 

 

 

  2号線は、車両も1,3号線と比べて洗練されている上、1,3号線が、路面電車っぽい感じもするのだが、こちらは、郊外電車らしいスタイルをしている。

 

 

 

 

  車内の感じも郊外電車のような感じ。それに、1,3号線が、常に混んでいるのに対して、席が埋まる程度の利用であった。

 

 

  2号線の終点、レクト駅は、1号線との乗り換え駅だが、キアボ地区の街歩きに繰り出した。

  下町風の商店街を通って、キアボ教会までやってきた。付近は、多くの買い物客でにぎわっている。

 

 

 

  正面の祭壇上には、ブラック・ナザレ像がある。黒い木で作られたキリスト像だ。奇跡をおこす像とされている。1月9日には、この像が街を練り歩く、ブラック・ナザレ祭りが行われる。


 

 

  今年は、ブラック・ナザレ像が、この教会に持ち込まれてから400年らしい。

 

 

 

 

 

  続いて、マニラ・ゴールデン・モスクへ。付近では、イスラム教徒らしい人たちも多 い。

  このあと、商店街などを歩いて、親善門に達した。この門は、チャイナタウンの入口になっている門。この門を入ると、漢字が目立つようになる。

 

 

 

 

  

  左は、チャイナタウンの一角。カレッサと呼ばれる馬車も写っている。

 

  チャイナタウンで夕食。もちろん中華料理。ビールは、サンミゲル。フィリピンでは、一番ポピュラーな銘柄だ。

  料理は、カニ玉とチャーシュー飯を注文。なかなかいける味であった。

 

 

 

 

 

 

 

  食事後、激しいスコールがあった。30分ほど軒下で雨宿りをした。

  雨が小降りになると、軒伝いに、LRT1号線のカリエド駅までたどり着いた。ホテル最寄のビト・クルス駅まで帰りついても、まだ降っている。それで、この日は、ホテルまでタクシーを使った。40ペソ(約92円)。帰ってから、ホテル内でネットをして最後の夜を楽しんだ。

 

 

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