4 クラクフ

クラクフで泊まったポロニアホテル。駅前から少し離れたところにある。旧市街に行くのにも便利。

クラクフは14世紀から16世紀にかけて長く、ポーランドの首都であった。その痕跡が旧市街にたくさん残されている町である。

クラクフ近郊のビエリチカにある岩塩坑。巨大で複雑な岩塩坑は世界遺産になっている。産業の遺産として指定されているのであろう。

クラクフ中央駅の前のバスターミナルからはビエリチカ行きのバスが頻繁に出ている。最寄のバス停は、観光客がたくさんの乗っていれば雰囲気でわかるが、運転手に告げておけば教えてくれるだろう。バス停から歩いて5分ぐらいすれば、岩塩坑に到着。

岩塩坑の見学は、一定の人数ごとにグループが作られ、ガイドが連れていくやり方で行なう。

まず、階段を延々と地下へ下りていく。ビルでいうと20階分くらいの階段を下る。そのあと、水平な坑道を歩く。木の枠組みが雰囲気をかもしだしている。

やがて、採掘されたあとの空間に、岩塩で作られた彫刻がたくさん並ぶ部屋や、礼拝堂、運動場などができている。特に、礼拝堂には地下によくぞこんなものを作ったものだと感心させられる。

また、かつて岩塩坑でおこなわれた採掘の様子や、巨大な木製の採掘設備なども見ることができる。

岩塩坑のなかで、一番驚かされたのは、地上の教会に匹敵するような大きな礼拝堂であった。

岩塩坑を見たあと、クラクフに戻った。

昨日行った中央広場の真中にそびえているのが旧市庁舎の塔である。もともと塔以外の建物もあったのだが、現在では塔だけが残されている。

内部は博物館になっていて、最上階まで上ると眺望を楽しめる。

中央広場の前には聖マリア教会があり、2本の塔をもっている。

市庁舎の塔からは、織物会館の建物の向こう側に聖マリア教会の塔がそびえているのがよくわかる。

 

バベル城。

旧市街の南側にあって、クラクフが首都であった時代、ポーランド王の居城であった。

城門を入るとすぐに、大聖堂がある。かつてここでポーランド王の戴冠式がおこなわれた。手前の塔は、ジグムント塔で最上部にはポーランドで最大の鐘がつるされている。

バベル城の王宮。

内部は王宮博物館になっている。ここの入場券を買うために、長い行列に並んだことが思い出される。30分ぐらいは並んだと思う。この写真は王宮の中庭である。

ビスワ川にかかる橋の上からみたバベル城。 こうしてみると、大変大きな城であることがわかる。

一番左手のほうに「竜の洞窟」というのがあって、城の敷地内に入口があって、縦穴を降りていき、最後は川べりの出口に出るようになっている。

同じ橋の上から、日本美術・技術センターを見る。 通称は、何の略だかよくわからないけど「マンガ」というらしい。

日本の浮世絵をはじめ、絵画、刀剣、衣装などが展示されている。展示品の質・量とも、今までに見た海外にある日本文化専門の博物館のなかでは最優秀の部類に入ると思う。

戦後の早い時期から日本と結びつきの強かった西欧の国ではなく、どちらかといえば対立関係にあった東欧のポーランドにこんなに立派なコレクションがあったといのは驚きである。

日本美術・技術センターの喫茶で、おにぎりを食べてみた。結構美味であった。ほかにあんぱんも食べられる。

カジミエーシュ地区。

ナチスの手によって、クラクフに住むユダヤ人が集められてユダヤ人ゲットーがつくられた。その後、ユダヤ人は収容所に移送され人口が減った。

アウシュビッツへ送られて、帰ってこなかった人も多いのだろう。

ユダヤの星のマークとヘブライ文字が残されている建物。かつてゲットーであったことを示すなごりである。

だが、古い建物が多いためだろうか、活気があまり感じられない一帯であった。

シナゴーグ(ユダヤ教会)のひとつ。内部は博物館のようになっており、ちょうど記録フィルムの上映をおこなっていた。 閉館ぎりぎりに入場したが、ゆっくりと見学させてくれてよかった。

クラクフのユダヤ人の数はポーランドでも一番多くて6万人ぐらいいたらしい。かつての生活ぶりなどが展示されていた。

旧市街に戻って夕食。たまたま見つけた新しいそうなインド料理店にはいってみた。チキンカレーを注文。ナンもついてきた。なかなかおいしいカレーであった。

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