グダンスク その2

ホテルの朝食。バイキング式だが、魚料理もあって、バルト海に面した町であることを実感する
中央駅から路面電車で次の駅へ、そこから歩いて、グダンスク造船所へ向かった。造船所の入口の前に、高い記念碑がある。これが連帯記念碑である。

1989年に東欧を駆け抜けた変革の嵐。そのきっかけのひとつは、1980年、このグダンスク造船所(当時はレーニン造船所)の労働者ワレサ氏(のち大統領)が立ち上がったことである。弾圧にもかかわらず、その運動は、1989年に、東欧諸国で初の非共産党政権を生み出し、その影響が他の東欧諸国に及んだ。

グダンスク造船所の入口。造船所は、国営から民営になり、そして一時は破産。その後規模を縮小して現在にいたっている。
グダンスク造船所から中央駅に戻り、バスでベステルブラッテに向かった。

ベステルブラッテはグダンスク港の入口にあり、1939年、ドイツ軍艦がここへ攻撃を開始し、第2次世界大戦が始まったのである。右はその記念碑である。

この付近には、戦争当時の廃墟がそのまま残されている。 手前には慰霊碑のようなものも残されている。
ベステルブラッテを訪問した日は、多くの人たちがやってきていた。グダンスク市民にとって、手軽に訪問できる郊外の公園といった存在のようだ。
ベステルプラッテから再びバスで、市内に戻る。旧市街近くで下車して、市内散策。
海洋博物館は、旧市街から運河をはさんで、向かい側にある。旧市街側にある木造クレーンのある建物は海洋博物館の分館で、クレーンのところから運河を渡り、海洋博物館に向かう船がでている。右は、海洋博物館の内部。
大製粉所。かつては、ここで製粉をしていたのだろうが、内部の見学はできなかった。
中央駅にもどり、国鉄でマリボルクに向かった。約1時間。マリボルクの駅は風格のあるものであった。

マリボルク城の入口。15世紀のドイツ騎士団の城であったが、ポーランド、リトアニアの連合軍に敗退した後はポーランド王国のものになった。ドイツ騎士団は、ポーランドに従い、その後、プロイセン公国となった。

 

マリボルク城の中庭。城の内部は博物館になっている。

マリボルク城にある古井戸。
マリボルク城の見学には時間がかかり、日がかたむいてきた。 ふたたび列車でグダンスクに戻る。
夕食は、運河沿いのカフェレストランで魚料理。

食後は、ホテルに戻って預けた荷物を受け取り、中央駅へ。この日は、夜行列車でルブリンへ向かった。

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