1 1日目と2日目前半 リスボン市内(その1)

 

  久々の西欧はポルトガルへ。実は、この国は、何度も計画を立て、何度も計画倒れに終わっているのだ。

  だから、頭の中にはリスボンの地図がすでにできあがっているし、国の様子などについてはすでによくわかっている。ただ、それを確かめに行くような旅なのだ。

  ただ、今回は、現地3泊、帰りの機内1泊で帰国日を入れて5日、現地で実質動けるのは2日というあわただしい日程だった。

  まず関空より、JALでロンドンへ。1回目の機内食は和食を選んだ。

 

 

 

 

 

 

  2回目はパスタ。このほかに、2回の食事の中間にサンドイッチが配られた。

  ロンドンヒースロー空港着は30分ほど早着だった。ところがゲートに入れず、30分機内で待たされ、結局、機外に出たのは定刻。窓の外は大荒れで、ヒョウが降っていた。きっと、搭乗機の前の便が出発できずに、ゲートが空かなかったのだろう。

  JALは第3ターミナル利用で、まず英国航空の海外便が多く利用する第1ターミナルへ移動。この移動がバスだから面倒だ。ここまでで30分かかった。そして到着したところで、乗り継ぎ客用の保安検査。ここで15分ほどかかった。そのあとは、5分ほどで第1ターミナルの中心へ。 

  ところが、その後、どのゲートから出発かという案内がずっとでない。他の便は次々にゲートが案内される中、リスボン行きの案内がでたのは、出発時間。

  さらに、ゲートで待たされ、搭乗したかと思えば、機内で待たされ、結局2時間20分遅れで出発。また、この空港は普段でも、搭乗ゲートが判明するのが出発30〜40分前とずいぶん遅いようだ。

  英国航空リスボン行きでは、サンドイッチが配られた。食事はなしと思っていたのでうれしい誤算だったが、出ないよりもマシといった程度のもの。

  リスボン到着は18時の予定が20時になったため、到着直前にリスボンの夜景を心行くまで楽しめた。到着後は、入国検査などを一瞬で通過。タクシーでホテルに向かった。    

  宿泊したホリディイン・コンチネンタルまでは10分あまり。地下鉄のカンポ・ペケーノ駅の近くだ。

  ホテルの自室に入ったのは20時40分ごろ。本当は、旧市街へ地下鉄で出て、夕食を食べようと思っていたのだが、そんな気力が失せる時間だ。

  それでも、ホテル近くで食事ができるところがあればと思い外出したが、とくになく、駅を確認しただけでホテルに戻った。夕食は抜きとした。

  一夜明けて、2日目。

  7時から朝食。普通のバイキング式の朝食だが、ここのレストランは、パンとケーキの店を兼営していて、残り物の菓子をデザートに出していて、デザートだけは日替わりだった。

  7時30分にホテルを出て、リスボンの街歩きに出発。

 

 

 

 

  カンポ・ペケーノ駅の入口近くには闘牛場がある。ポルトガルでは、牛を殺さないという。今度は見てみたいなぁ。 

  セッテ・コリナーシュという1日乗車券を買おうとしたら、自動券売機では買えず、窓口には駅員はいない。そのため、1区間だけ普通に切符を買ってのるハメに。

  この日は、復活祭。休日で地下鉄もガラガラ。

 

 

  マルケス・デ・ポンバル駅で下車。地上に出ると、ポンバル侯爵の像が建つ。

  どちらへ向かうべきかは一瞬にわかった。どうしてかというと、坂道になっているからだ。旧市街は坂道を下ったところにある。  

  リベルダーデ通りを旧市街に向かって歩く。リスボンを代表する大通りで、歩道が道路の中心寄り(中心ではないが)にある。この日は車も少なく、気持ちよく歩けた。

 

 

 

 

 

  ポルトガルにやってきたって感じがするのが、カルサーダス。タイルを敷いた歩道や広場のことだ。無地のものもあるが、興味深いのは何といっても模様の描かれたものだ。

  

  レスタウラドーレス広場。ポルトガルはスペインに併合されていた時代があり、1640年に独立した。それを記念した碑がそびえる。

 

 

 

  リスボンには3ヶ所に、市内移動用のケーブルがある。

  右は、グロリア線のケーブル。馬づらタイプの車両で、入口は丘側の運転席そばにある。入口で料金を払うか、セッテ・コリナーシュなど割引切符を機械にあててピッと鳴らす。

  右は、丘側の終点にて。丘側から見ると、馬づらにではなく、路面電車かと思うような車両だ。

 

 

 

 

 

  車内も路面電車のような感じだ。

  グロリア線のケーブルを丘側で降りると、そぐそばにサン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台がある。

  夕暮れ時がきれいだということだが、朝は逆光になって、撮影には向かない。画像の右上にテージョ川がなんとか写っている。

 

 

 

  グロリア線ケーブルを降りたあたりの丘のエリアが、バイロ・アルト地区だ。夕食時にはまたやってくるが、今は大通りを進む。

  最初に、サン・ロケ教会へ。日本からやってきた天正遣欧使節がここに1ヵ月滞在したという。この日は復活祭のため閉まっていた。

  カモンイス広場まで坂道を下っていった。広場では紫色の路面電車を見た。乗車はあとにして、今はもう少し徒歩で回る。

 

 

 

  カルモ教会に向けて歩いていたら、何やら道路の上を連絡通路のようなものが通っている。一体、何? って思ったが、すぐに判明。サンタ・ジュスタのエレベータを上がったところとカルモ教会方面を結ぶ通路だった。

  左が、サンタ・ジュスタのエレベータ(上がってから撮影)。ケーブルと同額でセッテ・コリナーシュも使える。

  このエレベータは、ケーブルの代わりのような位置づけで、公共交通機関の役割を果たしている。

  さて、乗車しようとしたら、なかなか上がれない。運転間隔が決まっているのためだろう。

  エレベータで上がると、そこからさらに螺旋階段で展望台に上れる。

  右は、展望台から眺めたロシオ広場。

  左は、カルモ教会。この日は閉まったいた。この教会は、現役の教会ではなく、大地震で崩壊した教会の廃墟だ。

 

 

 

  このあと、再び坂道を下っていった。降りたところがロシオ駅。翌日、利用予定だ。

  次に、ラヴラ線のケーブル乗場へ。ここは繁華街のはずれにある。車両は馬づら型。下は、すれ違いのところで撮影。

  丘側でケーブルを降りたところの近くにモラエスの生家がある。日本を紹介した作家だそうだが、初めて知った人物だ。

 

 

 

 

  日本語も書かれたアズレージョが入口の上につけられている。

  このあと、ラブラ線のケーブルは下りは乗らずに、歩いて降りた。さほどの勾配ではないが、上るとなると大変だろう。

  下りてからは、裏通りを通ってロシオ広場へ。さらにフイゲイラ広場に出た。

  この広場はバスや路面電車の要衝となっていて、これから向かうアルファマ地区への路面電車(12系統)も出ているのだが、なかなか乗れない。そのため、少し歩いて、別の系統(28系統)に乗車することにした。 でも、結局は満員のため歩いて教会めぐり。

  まずは、サント・アントニオ教会。リスボンの守護聖人サント・アントニオ誕生の地に建てられた教会。その誕生日6月13日はリスボンの祝日。

  続いて、そのすぐ近くにあるカテドラルへ。

  もともとはモスクのあったところで、イスラム教徒からリスボンをとりもどした後、砦がつくられ、それがカテドラルのもとになった。

  この日は、復活祭のミサがおこなわれるようで内部は参拝者で一杯だった。テレビ局も中継をするようだった。だが、しばらくいたが、一向に始まらず、ほかにも行きたいところがあるので、外に出た。

  2つの教会から丘を下ったあたりに、くちばしの家があるので行ってみた。

  表面がとがった石で覆われているため、くちばしの家と呼ばれるようだ。

  このあとがまた大変。なぜなら、2つの教会のところまで急な坂道を上がらなければならなかったからだ。リスボンの人は毎日、大変だなぁ。

  カテドラルまで戻り、路面電車で先に進もうとすると、またもや満員電車の連続。

  やむを得ず、坂道を歩いて上り、サンタ・ルシア展望台へ。

  海のように見えるのは、テージョ川。

  ここで電車を待っていたら何と通り過ぎてしまった。どうも、電車でもバスのように手で合図が必要なようだ。そんなわけで、またもや坂道を歩いて上った。

  見学箇所の中では、一番高いところにあるサン・ヴィンセンテ・デ・フォーラ教会へ。ここは中に入ることができた。

  続いて、サンタ・エングラシア教会へ。エンリケ航海王子やヴァスコ・ダ・ガマが祀られている霊廟でもある。しかし、この日は閉まっていた。

 

 

 

 

 

  これでアルファマ地区の観光は終了。昼を少し過ぎたころだった。

  サン・ヴィンセンテ・デ・フォーラ教会の前まで戻る。途中、泥棒市が開かれる広場があったが、まったく閑散としていた。

  教会の前から、今度は28系統の路面電車に乗車。ほとんど下りばかりで、途中、ここを上がるのは大変だったと思いながら進んだ。

  先ほど、歩いたカモンイス広場の近くで下車。昼食のためだ。