1  ア ヌ ラ ー ダ プ ラ

 

  バンコクからタイ航空でコロンボへ。22時10分発。出発ゲート付近に日本人客も多いなと思っていたら、同ゲートのNEXT FLIGHTは、関西空港行きと表示されていた。コロンボ行きに搭乗する日本人は、あまり多くなかった。

  バス連絡で停機場所まで向かったが、この長いこと。国際線ターミナルの端から端まで移動して、さらに、この日の夕方、降りたばかりの国内線ターミナルも越えて、遠くまで運ばれた。

 

 

  深夜の機内食。眠いなか、配られたが、少し手をつけただけ。パンの代わりに、ナンが出たりと、飛ぶ地域に応じた食事だが、ナンは冷たく、硬く、食べられたものじゃない。

  やがて、コロンボ到着。ここの空港では、搭乗客と到着客が同じスペースを通るようになている。これで問題がないのだろうか。

  機内で、1時間時計を遅らせていたのだが、どうもおかしい。周囲の時計という時計が全部、自分の時計よりも30分、遅くなっているのだ。帰国後、調べてわかったのだが、2006年4月から、日本と3時間30分の時差、インドとは時差なしに変更されたのだ。ガイドブックでは、そんな新しいことは書いてなく、まったく訳がわからないまま、さらに30分、時計を遅らせた。

  荷物を受け取り、両替を済ませて、空港外に出ると、気温の高さと待ち合わせの人たちの熱気でむっとする。コロンボの中心部に向かうバスは、空港の外に出て、少し歩いたところから出発なのだが、そうとは知らぬ自分は、ずいぶん遠くまで歩いてしまった。深夜の空港前には、夕涼み目的なのだろうか、ずいぶん地元客がくりでている。そのうちに、雨が降ってきて、右往左往。やっと、バス乗場がわかった。バスはまだがらがら。遠くへ行く必要はなかったのだ。迷っているうちに、本来、乗れていたバスに乗れなかったのだと思う。

  ミニバスだったが、補助席も含めて、座席が満席になるまで客を乗せるので、大きなカバンを膝の上に載せる。こうなると、動くのもなかなか大変だ。1時30分ごろ出発。コロンボのバスターミナルには2時20分ごろ到着。50ルピー(約57円)。

  バスターミナルも、地元民の溜まり場みたいになっている上、ホームレスの寝床にもなっている。アヌラーダプラ行きのバスの時刻を教えてもらったが、5時30分が始発だという。それまで、どうやって時間をつぶそうかなと思っていたら、別の人が、ほかのバスターミナルから3時30分にアヌ ラーダプラに行くバスが出ると教えてくれた。

  さっそく移動。ところが、ここでまた道を迷い、深夜のコロンボの町をうろうろ。5分ほどでいけるところを、逆方向に歩いて、戻ったりしたので30分くらいかかって、別のターミナル(民営バスターミナル)にたどりついた。今から思えば、ずいぶん危険なことをしてしまった。

  民営バスターミナルは、先ほどのセントラル・バスターミナルのような建物はなく、バス停という雰囲気だが、寝ている人がいなくて、安心できる。

  バスの行き先表示は、シンハラ文字だけで、アルファベットが書いていないので、それらしきバスに、アヌラーダプラ?と尋ねて乗車。182ルピーだったが、500ルピー渡すと、180ルピー(約205円)分だけとって、おつりをくれた。細かなことを気にしない国民性なのかな。ともあれ、200kmほどを200円で乗れるとは、安いものだ。

  夜があけないうちは、2人分の席を使って、ゆったり座っていたが、夜が明けると、通勤通学客が入れ替わり乗ってきて、再び、窮屈な思いをすることになった。

  やがて、8時すぎにアヌラーダプラの町に入った。実は、自分は、すっかり、アヌラーダプラ行きのバスだと思い込んでいた。だから、バスターミナルに入ると信じていた。ところが、バスは市街地を通り過ぎ、町外れにさしかかろうとしていた。あわてて、人をかきわけ、出口にいた車掌に、バスターミナル、すぐに降りる!と英語で伝えた。が、この車掌、英語がわからなかったので、すぐに降ろしてもらえず、そのまま数分間、バスは走り続けたのだ。ようやく、降ろしてもらえたのは、降りるといってから1kmくらい走ってからだった。

  スリランカの宿は、この日だけは、ネットで予約してある。で、その宿まで2kmくらい歩かねばならない。少し歩き始めたら、トゥクトゥクがやってきて、乗らないかという。宿の名を伝えると100ルピーだという。きっと、高めに言われているに違いないと思い、50ルピーまで値切った。だが、あとで宿で聞くと、1kmが50ルピーということで、正当な値段だったことがわかり、申し訳ないことをしてしまった。 

  

  

  8時30分にシャリニ・ゲストハウスに到着。ネットで予約したとおり、朝食込み2275ルピー(約2585円)。夕食は、ここで食べても食べなくてもどちらでもとのこと。

  この日は、アヌラーダプラを回り、そのあとミヒンタレーに行くのでトゥクトゥクを手配してもらう。アヌラーダプラ周遊が750ルピー、ミヒンタレー往復が750ルピー。あわせて1500ルピー(約1704円)。これで即決。10時出発とし、それまでシャワーを浴びて休むことにした。

  左は、部屋の中。スリランカの宿では、必ず蚊帳がかかっている。しかし、蚊帳の中は暑いので、すぐ外に出てしまい、蚊にさされてしまいがちだった。しかも、スリランカの蚊は、刺されるとかなり かゆいので困った。

  10時にトゥクトゥクが迎えにきた。スリランカに入国以来、まだ水も買っていない。で、最初に水を買えるところへ行ってもらい、そのあとで、アヌラーダプラの遺跡めぐりを開始。その前に、アラウンドチケットを購入。これは、ここ以外に、シーギリヤやポロンナルワなど各地で使えるチケットだ。たいへん高くて、4080ルピー(約4636円)。しかも、このチケットでは入場できないところも、結構多く、その外国人入場料金がハンパじゃなく高いのだ。

(1)ジェータワナ・ラーマヤ

  巨大なお椀を下向けたような形。この形は、スリランカではよく見る塔なのだが、このときは初めてで、大きさに加えて、その形にびっくりした。高さは70m。

 

 

  

  

  ここは修復工事中で、塔のまわりは工事現場のような感じだった。それでも、スリランカの寺院は、現役、遺跡を問わずはだしにならないと入れないので、はだしで工事現場の中を歩いた。

  塔を見学している間、トゥクトゥクは木陰で休憩。トゥクトゥクは、バイクが台車を引っ張るような形の乗り物。スリランカでは、短距離のタクシーの役割を果たしている。

 

 

(2)クッタム・ボクナ

  かつての僧侶の沐浴場。現在は、緑色になった水がたまっているだけだ。

 

 

 

 

 

(3)サマーディ仏像

  森の中にたたずむ仏像だ。雨から守るために屋根がつけられている。

  4世紀のもので、その当時には、後ろに、菩提樹があり、仏陀が悟りを開いたときのときの様子をあらわしていたという。

  ここへも、はだしで参道を歩いていかねばならなかった。だが、参道が砂利道で、歩くと足の裏が痛くて困った。現地の人たちは、平気で歩いているので、普段からはだしだと、かなり足の裏が鍛えられるものだと思った。

 

(4)アバヤギリ・ダーガパ

  かつて、スリランカの大乗仏教の総本山であったところらしい。塔の表面に、かつては、草が覆っていたというが、今は、工事中のため、草が刈られ、地肌が見えている。

  12世紀に大乗仏教は、上座部仏教との争いに敗れ、スリランカでは姿を消したという。

  

(5)クイーンズ・パビリオン

  柱だけが残るかつての建物群。かつての王妃の建物だが、柱だけなので、その姿を想像するのは難しい。

  中心になる建物の入口に、ムーンストーンがある。そこには4種類の動物、象、馬、ライオン、牛が描かれている。

 

 

(6)ラトゥナ・プラサーダ

  ここも柱が残っているだけの遺跡。なんでも、王と僧侶の争いが繰り広げられたところだとか。ここも、想像力を働かせても、その姿を考えるのは難しい。

 

 

 

(7)トゥーパーラーマ・ダーガパ

  ここは、本来は、アヌ ラーダプラで最古の建造物だ。しかし、19世紀に再建され、あいかも、ごく最近、白く塗りなおされたようで、一見、とても新しい仏塔に見える。ここは回りを歩いて一周。

 

  

(8)ルワンウェリ・サーヤ・ダーガパ

  白く巨大なダーガパ。高さは、55mでジェーワタナ・ダーガパより低いが、その白亜のよく整備された姿は、アヌダーラプラを代表する建造物である。

  紀元前2世紀に建造が始まったものだが、ここも新しく白く塗りなおしているので新しく見える。

  スリランカの仏塔は、お椀を逆さにした形が多いことをこの日、知ることができた。

 

 

(9)スリー・マハー菩提樹

  紀元前3世紀に、インドのアショカ王の王女が、ブッダガヤの菩提樹の分け木をここに運んだもの。

  周囲に石の柵は設けられ、中には簡単には入れない。入れる時刻は決められていて、朝6時、10時、夕6時。中には入れなかった。

  ここへ行く途中には、男女別のチェックポイント2箇所があり、ボディチェックを受けなければならなかった。

 

(10)イスルムニヤ精舎

  ここは、現役の寺院で、アラウンドチケットは使えず別に100ルピー(約115円)払った。

  本堂には極彩色の寝仏が置かれていた。ほかの遺跡とは全然、雰囲気が違っている。

また、岩の上から町が見下ろせるというので、上ってみようと思っていたが、疲れてしまい、上るのはあきらめた。

  これで、アヌラーダプラの見学は終了。昼食用のパンと飲み物をマーケットで購入して、宿に戻った。戻ると14時。ドライバーは、15時30分にミヒンタレーに向けて出発と言ったが、もう少し休みたいので16時にしてもらった。

  昼食を食べ、シャワーを浴びて、休んでいたら、ぐっすり眠っていた。気付くと、16時20分、大急ぎで、出かける準備をして、外に出た。約束の時間に遅れたが、ドライバーは気にしていない様子。16時30分、ミヒンタレーに向けて出発。

  17時にミヒンタレー到着。こんな遅い時間から、観光を開始する客はほかにいないとみえ、駐車場はガラガラだ。目の前には、延々と続く石段。

  えっ、これを上るの?って感じで、石段を上っていった。ようやく一段落したところが、左で、ここが、会議場の跡。

  近くには食堂のあともあるのだが、早く上まで上がらないと日が暮れてしまうので、先を急いだ。

 

 

  会議場のところで、左折し、階段はまだまだ続いた。やがて、料金所があり、250ルピー(約284円)払って、最上部へ。

  ところが、まだ階段が続いていた。しかも、料金所から先は境内になっていてはだしになる。石ころの多い階段なので、はだしは痛い。

  30分かかって、何とか、日が沈むまでに、一番上のマハー・サーヤ・ダーガパのところまで、上がれた。右が、巨大なダーガパなのだが、全景をとることができなかった。近すぎた上、下からはよく見えなかったからだ。

  ダーガパを背にして、360度どの方向を見ても、一面ジャングルが広がっているのがよくわかる。

 

 

  さて、ひとつの方角に目をやると、巨大な石があって、その上にたくさんの人たちがいるではないか、、

  インビテーション・ロックといわれる岩のようだ。まだ、日没までには時間がありそうだったが、もう上るだけの気力が失われていた。

  ダーガパからよりも、岩からのほうが、よりすばらしい景色が見えそうだが、あきらめて、ダーガパから、眺めを楽しんだ。

 

 

  

     境内には、いろいろと見てまわるところがあった。右は、アムバスタレー・ダーガパ。

  やしの木に囲まれたダーガパは南国らしくて、いい感じだ。

  境内には1時間ほど滞在して、再び30分かけて、階段を下りた。その途中に、日没があり、明かりがほとんどないなか、階段が見えにくくて危ない思いもした。やはり、寝過ごしたのがいけなかった。

  駐車場に降りるともう真っ暗。宿に戻ると19時30分だった。真夜中にコロンボ空港に到着、市内にでて、バスでアヌラーダプラへ。そして、アヌラーダプラの遺跡群とミヒンタレーの見学。長い一日が終わった。シャワーを浴びてから、少し寝ようしたら、熟睡してしまった。結局、この日の夕食はパス。

 

 

スリランカのトップへ   全体のトップへ    2にすすむ