2 ポ ロ ン ナ ル ワ
前日は、深夜にコロンボに到着して、未明から長距離バスでの移動、そして丸1日アヌラーダプラを見学するという強行スケジュールだったので、しっかり熟睡できた。 この日は、午前中にポロンナルワに移動し、午後はポロンナルワの遺跡を見て回る予定。 午前中に移動できるように、前日はあえて強行軍にしたのだ。 7時にレストランへ。簡単な朝食だったが、前夜は夕食をパスしていたので、とてもおいしく感じた。
支払いを済ませると、宿の車でバスターミナルまで送ってくれるという。バスターミナルまでは1kmほどだが、ホテルの前でトゥクトゥクを止めるつもりだったので、大助かり。ターミナルでは、ポロンナルワ行きのバスを尋ねてくれた。右がポロンナルワ行きのバス。 運賃は、70ルピー(約80円)。距離は約110km。 さて、バスの出発までまだ30分ほどあることがわかり、今日泊まるホテルを予約するために携帯電話を使用。ガイドブックにも、ポロンナルワはホテルが少ないと書いてあるが、電話をかけた2軒はいづれも今夜はフルだということだ。で、現地で探すことにする。 9時に出発したバスはハバラナを過ぎたところでトイレ休憩。20分ほど停車。あと30分ほどでポロンナルワに着くというのに、、 やがてバスから遺跡が見えてきた。ポロンナルワだ。この街は遺跡地区と新市街が離れている。どうやら、バスは遺跡地区を先に通るようだ。ガイドブックの地図と車窓を見比べて、遺跡地区の中心で下車。12時。 バスの出口には客引きが待っていて、客の奪い合い。バスから降りた観光客は、自分以外には欧米人の男女2人組。客引きのほうが多い。逃げるように宿探しにでかけた。バス停から近い、マネルゲストハウスに入ると空室があるというので、ここに決めた。1500ルピー(約1705円)。朝食なし。 ついでに、遺跡めぐりのトゥクトゥクも頼んだ。750ルピー(約853円)。トゥクトゥクは13時30分に呼んだので、しばらく休憩。 昼食は持参した菓子ですませた。 さて、遺跡めぐりに出発。遺跡地区に入ってすぐのところで、アラウンドチケットのチェック。 (1)宮殿跡 11世紀、シンハラ朝の都アヌラーダプラは南インドのチョーラ朝に征服され、シンハラ朝の都はポロンナルワに移された。 広大な宮殿跡が残されていたが、その入口の門の跡は、エジプト、ルクソールのルクソール神殿の門を連想させる。
左は、宮殿跡の一角にある閣議場の跡。柱には職の名前が彫ってあるらしいのだが、よくわからなかった。
右は、宮殿跡そばにあるニッサンカ・マーラ王子の沐浴場。
(2)シヴァ・デーワーラNo1 13世紀につくられたヒンドゥー寺院。ポロンナルワが南インドのチョーラ朝に征服されたあとのものらしい。
内部にリンガが祀られているのがヒンドゥー寺院の特徴である。リンガが生命のエネルギーの根源と考えられている。
(3)クワドラングル ポロンナルワ遺跡の中心部にあり、いろいろな建造物が集まっている。 左は、トゥーパーラーマ。クワドラングルに入ってすぐのところにある仏堂。 クワドラングルのほかの建物は、屋根や壁がなくなっているのだが、この仏堂は昔の姿をとどめている。だが、自分の訪問したときは、工事中で堂内へは入れず。
右は、アタターゲ。仏歯寺の跡。
左は、ラター・マンダパヤ。ニ ッサンカ・マーラ王が読経を聞く場所。ギリシャ神殿風。
右は、仏陀像跡。かつては、寝仏があったというが、今はただの石段。
左は、小仏像。クワドラングルの中心にぽつんと立っている。
右は、ワタターゲの中。ワタターゲは、平べったい仏塔で、円形の壁に囲まれた中に、右のような仏塔とそれを囲むように仏像が並ぶ。 下は、ワタターゲの入口にあるムーンストーン。
左は、ハタターゲ。ここも仏歯寺跡である。アタターゲと比べて、仏像や壁が残っている点が違う。
右は、カルボタ。ニッサンカ・マーラ王が、王国の歴史や王の礼賛の言葉を書かせたもので、「石の本」とも言われる。 左は、サトゥマハル・プラサーダ。階段状になった仏塔。 このエリアでは1時間以上の時間をかけて見学をした。 トゥクトゥクに戻ると、ドライバーが明日からの計画を尋ねてきた。自分の予定を話すと、自動車のチャーターの話を持ちかけてきた。公共バス利用の計画をたてていた自分にとっては、すいぶん高額の話だ。でも、2日で回る予定が1日で回れるのは魅力だ。すぐには返事しないでおいた。
(4)ランコトゥ・ヴィハーラ ポロンナルワで一番大きいダーガバ。12世紀にニッサンカ・マーラ王が建てた。一周200mほど。 頂上にある仏堂にはどうして上るのだろうか。階段とか足がかりになるものはなかったのだが、、 階段から先は裸足にならねばならないのだが、その中にも、小石があったりして、なかなか歩きにくい。そろりそろりと歩くので、一周するだけでも結構時間がかかる。
(5)ランカティラカ 大きな建物だ。屋根のない仏堂で、奥には立仏。
(6)ガル・ヴィハーラ 向かって左から、坐仏・立仏・寝仏の像がある。 寝仏は画像の右外側にある。
(7)キリ・ヴィハーラ ランコトゥ・ヴィハーラを小さくしたような感じのダーガパ。
(8)ゴーパラ・パッパタ これは、ただの石としか思えなかった。
(9)蓮の池 蓮の形をした、僧の沐浴場。
(10)ティワンカ・ピリマゲ寺院 内部に壁画が残されているとのことだが、訪問時は工事で中には入れなかった。 これで、ポロンナルワの遺跡めぐりは終了。 宿に戻るトゥクトゥクの中で、車チャーターの攻勢。結局、翌日は車を1日チャーターすることにした。6時出発で、メディリーギリヤ、シーギリヤ、ダンブッラ、ナーランダを回って、キャンディに17時着という予定。もともとは、公共バス とトゥクトゥクを使って回り、ポロンナルワからメディリーギリヤを往復後ダンブッラの石窟寺院を見てダンブッラ泊、 翌日はダンブッラからシーギリヤ往復したあと、ナーランダをへてキャンディと2日に分けて回る計画だった。 交通費は、バス代200ルピー、シーギリア往復のトゥクトゥク800ルピー、計1000ルピー(約1136円)程度で考えていたから、車チャーターはとても高く感じた。 チャーター代は、8000ルピー(約9090円)で落ち着いた。ガイドブックでは1日3500ルピーなんて書いてあるが、8時間利用を1日としたら、1日半で、キャンディからポロンナルワまでの空車の移動も考えると妥当かと思ったが、ひょっとしたら高すぎるのかもしれない。4000ルピーを前金で支払い。 時間をお金で買ったような感じで、 これにより、当初予定になかったヤーラ国立公園に行こうと思えば行けるし、ヌワラエリアで2泊も可能。いろいろと魅力のある計画が作れそうだ。 シャワーを浴びて、少し休んでから、ガイドブックを見て、携帯電話でキャンディの手ごろな宿に電話。2泊、頼んでおいた。 夕食はホテルでとることにした。ライオンビールを飲みながら、料理の注文を考えた。
結局、一番安いカレーにした。カレーは何種類かあ ったが、チキンカレーにした。 もちろん、カレーと言っても日本のカレーとはずいぶん違う。 数種類のおかずが出てくるのだが、それぞれ別の食材を使うとともに、別のスパイスを使っているのだ。だから、いろいろなものが食べられる。 チキンカレーの場合、チキンのカレー煮がメインで、ほかの4つは野菜料理で あった。 メインのほかは野菜系という組み合わせは、旅行中、カレーを食べた場合に共通であった。このことは、ミャンマーのカレーに似ている。野菜の調理法もさまざまで、野菜炒めあり炊き合わせあり、漬物風のものや佃煮風のものなどいろいろな点もミャンマーと同じ。 でも、ミャンマーと違うのは、スリランカの場合は、野菜もカレー味のものが中心であること。ミャンマーではメイン以外はカレー味は少なかった。それに、ミャンマーのように油に料理が浮いているなんてことはない。あっさり目だから、日本人好みではないだろうか。 ご飯はインディカ米。このホテルの場合、皿にたくさんのご飯が盛ってあるが、ほかのところでは、別の容器にご飯が入っていて、好きなだけ食べられるようになっているところもあった。 食べきれない分量が供せられ、多少残したが、満腹。食後は、翌朝、早いので、夕食代とともに部屋代の支払いを済ませ、早めに休んだ。
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