3 シ ー ギ リ ヤ
6時の出発だったが、5時に起きて、持参した菓子で朝食。あとは、することもなく待つ。6時前に玄関へ行くと、ちょうど車がやってきた。 まず、ポロンナルワの北40kmのところにあるメディリーギリヤに向かう。途中の田園風景が良かった。川には堤防がなく、自然のままの川だ。そこでは水浴びする人あり、洗濯する人ありと田舎の生活が見られる。退屈することなく、1時間でメディリーギリヤに到着した。
早朝だったので、まだ開門されておらず、ドライバーに案内されて、脇の中に入れるところから入った。しばらくしてから、係員がどこからか現れて アラウンドチケットをチェックされた。自分のいた時間帯、自分ら以外の観光客はおらず、遺跡をひとりじめにすることができた。 まずは、shrine room(祭祀室となるのかな)。仏像が残っている。
左は、ワタターゲ。たくさんの柱がたっている。かつては屋根があったのだろう。
ワタターゲの中には坐仏が何体かある。 左は古代のトイレ。最近のものと見間違えそうだ。
メディリーギリヤは40分ほどで見終わった。当初の予定では、1日かけて、メディリーギリヤとダンブッラだけだったので、この場合はもっと残念感があっただろう。無理をして訪問するほどのとおろではない。 続いて、シーギリヤへ。行きとは、途中から違う道を通る。その途中まで、田舎の雰囲気が漂う道路を走った。 シーギリヤまでは1時間。やがて突然、視界に岩山が入ってきた。
最初に、水の広場が広がる。ここには、王の沐浴場がある。そして、ここからシギリアロックの雄大な眺めを楽しむことができる。 このあたりで、ガイド攻勢にあう。不要だとかわすが、何人も現れるじゅうたん攻撃には参った。でも意外とガイドを雇う人は多い。
ロックへはまっすぐの道が続いている。ロックに近づくにつれて、垂直の壁面がそそり立っていることがはっきりしてくる。 上るのには、脚力が必要だと気を引き締めた。実際、ミヒンタレーと同じくらいの苦しさであった。 この岩の上には、何と宮殿があり、岩の周辺が都であった時期があるのだ。5世紀、カーシャパ王が、身を守るため、こんな岩山の上に宮殿を作ったらしい。
壁面にさしかかる手前に石窟寺院があった。この大きな石の下に仏像がおかれていた。 石には、かすかに壁画が描かれていることがわかる。
さらに、会議室跡を見に行く。このほか、コプラの岩なども見ておいた。あとでわかったが、これらは下山時に見るほうが便利な位置にある。
壁面にへばりついた階段をふーふー上って行く。うしろを見て、端のほうに身体をよせて階段をあがりきると、楽にはなったが、金属製の遊歩道が岩にうちつけられている部分は、遊歩道自体が落ちないか不安であった。 やがて、壁面にとりつけられた螺旋階段が目に入った。螺旋階段は、壁面にか弱く付けられているように見える。たくさんの人が階段に乗っているが安全なのだろうか。ちょっと不安に駆られた。 螺旋階段は、シギリヤレディの壁画の直前にあり、うまい具合に壁画のあるところの入場制限の役割を果たしているかのようだった。
上の画像で、螺旋階段の上部、囲いのある部分が壁画のある部分だ。こんな場所に壁画があることにまず驚かされる。 壁画が鮮やかな色使いのまま残されている。1500年前のものだとは、知らなければ、誰も思わないだろう。 この美女たちがどういう者なのかわかっていない。妖精アッサプラという説と、裸の上流階級の女性と服を着た待女という説がある。
美女はかつては500人ほど描かれていたが、今は18人しか残っていない。 しかも、観光客の見やすい場所には10人ほどが描かれていているだけで、残りの数人は、観光客の入れない場所にある。 撮影をしていたら、係員が手招きしてくれ、普通は入れない箇所に入れそうだった。でも、あとのチップと、ほかの観光客の手前、遠慮しておいた。 見学後は、螺旋階段を下る。上の螺旋階段の画像では1つしか見えないが、見えている階段の向こう側にもう1つ階段がある。
階段を下りたあと、ミラーウォールという壁に覆われた部分を歩く。鏡のようになっていたらしいのだが、今は光沢も失われて、ただの壁にしか見えなかった。 右の画像で、奥のほうに螺旋階段が写っている。
このあとしばらく緩い上りが続く。その途中で見えたのが、投石機。石の下に棒が置かれている。攻められた時には、この棒をはずして石を落とすのだ。1500年の間、棒がははずれなかったのが不思議だ。
あと、一息で終わりだ。ライオンの入口から宮殿までもう少し上らねばならない。 昔は岩山全体がライオンのようになっていたというが、今は上り口に足の先だけが残されている。スフィンクスのようなものだったのだろうか。顔がとても気になる。 このあと、金属製の階段が岩山につけられているが、これがかなり急なので、怖い。しかも、前後とも観光客が続いているから、万が一、一人でも落ちれば、たくさんの人が巻き込まれそうだ。
階段を上りきると、ようやく頂上。ここが宮殿跡なのだ。左は、最上部にある王のすごした建物の跡で、かつては大理石でできた建物があったという。今は土台が残っているだけで、単なる広場だが、、 高度差200mほどのミニ登山をしたので、ここでしばらく景色を見て休憩した。
頂上からは遠くが見渡せるが、延々とジャングルが続いている。車で移動していると、道路の両側は開けていることが多く、こんなに緑が実は多いのかと思った。 さて、下山。ライオンの入口までは難関だ。急である上に風も強くて、足を踏み外したり、風で吹き飛ばされたりしないかとても心配。しかも、前後にほかの客がいる。さいわい前の方に、ゆっくり降りる人がいたので、自分もゆっくり降りられた。 このあとは、スムーズに下山できた。右は、ライオンの入口から少し下がったところ。遊歩道が岩山の側面を切り開いて取り付けられている様子がわかる。 一番下まで降りると、駐車場到着から2時間30分近くかかっていた。出口は入口とは別のところで、車はそこで待っていた。茶店で飲み物を飲んだ後、すぐに出発。 シーギリヤからダンブッラまでは20分ほど。12時少し前に、ゴールデンテンプルに到着した。ここには黄金の大仏が建物の上にある。 ここで、石窟寺院のチケットを購入。500ルピー(約568円)。ここで買い忘れると、石窟寺院への階段を苦労して上ったところにある入口で、下でチケットを買って来いって言われる。 大仏へは、階段を上がって、大仏のそばまで行けるようになっているのだが、シーギリヤで予想外に時間がかかり、予定よりも遅れているので、下から写真を撮っただけでパス。
上の建物の向かって左側に石窟寺院に行く参道の階段がある。本来はここからスタートなのだが、今回は、中腹まで車で上がって、横道から参道に入った。 だから意外と簡単に上れた。所要は10分ほど。下から上ればもっとかかる。右は、石窟寺院の外側。 石窟寺院は、5つの洞窟からなりたっている。一番手前の建物から第1窟に入るようになっていて、ここは小さかった。でも、第1窟は一番古くて、1世紀から作られ始めたものだ。もっとも、古い壁画は残っていなくて、古い壁画の上に、17世紀ごろに新しい壁画が描かれている。 次の建物からは、第2窟に入るようになっている。ここは一番大きな石窟である。左下の画像がその内部。多数の仏像が置かれ、天井には壁画が描かれている。画像の手前に写っている人たちは、賽銭を取り出しているのだ。 残りの3つの石窟は18世紀以降のもので、一番新しいものは、20世紀になってからできた。右下の画像は第3窟の寝仏。
ここの石窟寺院には猿がたくさんいる。右の猿たちは、ほほえましい感じもするが、手を出したら、口を大きく開けて、威嚇してきたので、あわてて逃げた。 建物の前の庭には、猿たちの排泄物があふれている。ぬれているところには近寄らないようにしたが、すぐに乾いてしまうので、小便の上を歩いていたのは間違いない。もちろん、ここも裸足。
猿の相手をしていたものだから石窟寺院には1時間半ほど滞在。下から上り下りすれば、その程度かかりそうだから、車で中腹までいって浮いた時間、猿と遊んでいたことになる。 もう13時を回っていて、かなり空腹。ドライバーがランチ?と聞いてきたので、当然イエス。自分としては、石窟寺院の門前にある地元客向けの食堂に連れていってくれるのかと思っていたら、しばらく走ったところにある外国人向けのレストランに連れて行かれた。 まずは、ビールを飲みながら注文する料理を考えた。ビールはゴールデンビール。
西洋料理主体の店だったが、カレーもやっていたので、フィッシュカレーを注文。ビールとあわせて725ルピー(約823円)。 前夜、宿で食べたカレーと比べて、値段は4倍くらいしたが、皿数が多く、味もこちらのほうが上だったので、まま良かった。 フィッシュカレーっても、魚が2切れというのが寂しかったが、、、どの皿もたくさんはいっていたので、半分ほど食べたかという程度だった。
14時半、レストランを出発。あと主だったところは、キャンディへの途中、ナーランダに寄るくらいだ。 ここの遺跡は、小さな祠が残されているだけで、拍子抜けだった。一見、ヒンドゥー寺院のようだが、ガイヅブックをよく読むと仏教寺院ということだ。でも、ヒンドゥーの影響をかなり受けているようだ。
この寺院には、スリランカではここにしかないというセックスの彫刻があるということで、探したらあった。いくつか彫られているが、左のものが一番保存状態が良かった。 このことからも、この寺院がヒンドゥーと何らかのかかわりがあることをうかがわせているように思える。
本来は、このあとキャンディに直行する予定だったが、 レストランを出発する時に、ドライバーがスパイスガーデンに立ちよることを提案してきた。買い物代の一部がドライバーの懐にも入るようになっているのだろう。スパイスのできる木はどんなものか興味があるのでOKした。実は、この 日、ドライバーに、キャンディのゲストハウスを紹介されたがすでに予約してあると断ったし、さらに織物工房に立ち寄ることも提案されたが、そ れも断ったということもあり、ドライバーが気の毒と思ったことも理由なのだが。ナーランダを出ると、スパイスガーデンは、道路に沿ってたくさんあり、そのうちのひとつに入った。 さて、それぞれの名前を控えていたのだが、いざまとめてみると、何が何やら不明になってしまった。案内されて説明を聞いた後、ココアを試飲。ココアは下の画像で真中のもの。そしてお決まりの即売場に案内される。ココアとカレー粉を購入。下の画像の説明、間違っていたら教えてください。
このあと、アルヴィハーラの石窟寺院を訪問したのだが、、、 何と入場料は2000ルピー(約2272円)と言うではないか。ガイドブックでは100ルピーなのだが、、、高いというと、ドネーション込みだという。ドライバーに尋ねると、2000ルピーというのは、顔を見て言われたのではなく、外国人料金として正規のものらしいが、あまりに高すぎる。 で、ここは入場しなかった。右は、入口から中のほうを撮影したもの。
マータレーを通過。この街をすぎると、高度が上がっていくため、風景も変わってきた。熱帯林から温帯林に変わってくるのだ。 さらに、しばらく進むと、いよいよキャンディに入る。 予約しておいたセバナゲストハウスに到着したのは、予定通りの17時。料金の残り4000ルピーにチップ500ルピーを加えて渡した。これからドライバーはまたポロンナルワに戻る。ご苦労様。
3階の部屋に案内され、しばらく休んだ。
左は、部屋のベランダからの眺め。
30分ほど休んで、まずはバスターミナルに向かった。途中、線路を歩く人たちを目撃。線路は道路と化している。ときどき列車が通るのだけれども。
バスターミナルでは、翌日のピンナワラに行くバスを探した。あちこちで聞いた結果、ピンナワラ行きのバスはターミナルの外の乗場から出発ということがわかった。乗場を確認するだけで、30分くらいかかった。何しろ文字がわからないので、聞くしかないのだ。 さらに鉄道駅で、翌々日に乗る列車の時刻を調べた。
キャンディで一番の見どころは、仏歯寺。夜はきれいにライトアップされていた。 この寺には、ブッダの歯が奉納されているという。紀元前6世紀に、ブッダは火葬されたが、そのときに歯が保存され、その後、4世紀にスリランカに仏歯が持ち込まれたという。当初はアヌラーダプラに奉納され、以後転々と奉納場所が変わり、16世紀にキャンディに運ばれたという。 仏歯はスリランカでは、非常に大切にされてきた。現在もである。
この寺の周辺は、厳重警戒で、2度のボディチェックと荷物検査を受けなければならない。寺の玄関にたどりつく前に、男女別になっている検査用の小屋を2回通過しなければならない。 仏歯そのものの公開は滅多にされない。普段は、1日3回のプージャーのときに、仏歯の入った仏塔が公開される。この仏塔は金色に輝き、7重になっているという。プージャーは、6時、10時、19時にある。そのため、19時に寺を訪問した。
長い行列ができていた。仏塔の置かれた部屋の入口を通っておまいりする人たちの行列だ。自分もここに並んだ。30分ほど並んで、ようやく部屋の前を通れたが、ほんの一瞬だけ。しかも、そこでは撮影は許されていない。 そのため、数メートル離れたところから撮影しようとしたら、その瞬間、扉が閉まってしまった。僧侶の読経があり、20分ほどして、再び扉が開いたので撮影したのが、右の画像。このあと、寺を一通り回って外に出た。
仏歯寺を出たあと、近くのレストランに入った。チャーハンを注文。 かなりの量がでてきてびっくり。このほかにスープがついている。チャーハンは105ルピー(約119円)なのだが、支払いのときになって、210ルピー(約238円)と言われ、ようやく2人分だったのだと知った。それでも、とても安いのではあるが、、 宿に戻り、翌日のスケジュールを確認して、長い1日を終えた。
|