1 日 目 前 半

 

  1年に一度行きたいと思っているタイ。でも簡単には行けない。一昨年以来、2年ぶりのタイ訪問となった。

  航空機の予約は早くに済ませ、宿はアユタヤの現地で探すつもりなので、特に準備はせずに旅行を待った。

  風雲急になったのは、旅の3、4日前。バンコクでは反政府派の市民が首相府を占拠したというのだ。一向に解決のきざしも見えず、一時は、旅行を中止すべきか迷った。でも、結局、予定通り出発。

 
 

  利用航空会社は、いつものタイ行きと同じく、タイ国際航空。関空発の夜行便利用だ。

  早朝にバンコクに到着後、アユタヤに移動して、午前中から遺跡巡りができるはずだ。

  離陸後、しばらくしてからサンドイッチ、おにぎりなどが配られ、到着の1時間ほど前に朝食。和食を選んだ。

 
 
 5時ごろにスワンナブーム空港に到着。この空港は2006年の開港直後に利用しているが、国内線との乗り換えで利用。2007年はラオス訪問の際に国際線同士の乗り換えで利用。でも、空港からバンコク市内に向かうのははじめてだ。

 これからアユタヤに向かうわけで、ドンムアン時代なら、北へ国鉄で向かえばよかったのだが、新空港になってからは、いったんバンコク市内に入らねばならない。今回は、AE4のエアポートバスで戦勝記念塔まで行って、ミニバスでアユタヤに向うことにした。

 
 

  エアポートバスに乗るまではかなり待たされたが、早朝のため、出発さえすれば、渋滞もなく、順調に市内に来れた。

  戦勝記念塔には7時前に到着。バス停には、通勤客があふれている。さて、ここからミニバスでアユタヤに向かうわけだが、どこから出発するのだろうか。

  記念塔のロータリーはとても大きく、こりゃミニバスの乗り場を探すのが一苦労だと思った。

 
 でも、心配は無用だった。バスを下りて、少し歩いたところでミニバス乗り場を発見。

 赤い看板にAYUTTHAYAと書いてあり、そばにミニバスが止まっていたかたわかったのだ。

 ただ、乗車してから20分くらい待たされた。20分間隔だが、前のバスが出発してから間がなかったようだ。

 本来は、高速を走るのだろうけど、この日は一般道を走ってアユタヤに向かった。その理由は、夜にTVを見て知ることになる。

 
 

  最近は、短い旅では宿は事前に日本で予約している。短い旅では宿探しの時間がもったないことや、部屋でネットの使える宿を希望しているなどの理由による。

  でも、今回は現地調達にした。安い宿がいくらでもあると予想できたからだ。ゲストハウスがかたまっているエリアがあり、そこは、ミニバスを降りたところにも近い。

  到着後、たくさんのゲストハウスから、P.U.インを選び直行した。日本語を話すスタッフがいると、ガイドブックに書いてあったからだ。

 
 
  玄関まで行くと、待ち構えていたかのように手招きされ、中に入った。すぐに手続き。何種類かの部屋があり、400バーツの部屋にした。ホットシャワー、エアコン、TVがあり快適。

  手続きの際に、トゥクトゥクの手配を頼んだ。1時間あたり200バーツで4時間頼んだ。9時前だったので、10時に玄関に来てもらうことにした。また、16時発の宿が主催するボートツアーの申し込みもした。こちらは200バーツ。

  部屋に入り、まずはシャワーでさっぱりし、そのあとトゥクトゥクで回るポイントを書き出す。

 
 

  約束の10時にやってきたトゥクトゥクは、一般的な、三輪車の後ろに前向けの座席がついているスタイルではなく、軽トラックの荷台に座席がついて、客は向い合せに座るというスタイルだった。ソンテウに近いスタイルで、ソンテウの小型版といってもいい。

  ドライバーは女性で、まずは回るところを書いた紙を見せると、たくさん行くためか、びっくりしている様子だった。前回は、中心部を歩いて回ったので、印象はよく残っているが、あまり数はこなせてない。今回は、まず周辺部からせめていくことにした。  

 
 

 (1)ワット・ヤイ・チャイ・モンコン

  最初に訪問したのは、チャオプラヤ川の東側にあるワット・ヤイ・チャイ・モンコン。14世紀にアユタヤ王朝の初代ウー・トーン王が建てた寺だ。ただし、一番、目につく塔は16世紀にナレースエン王が建てたものだ。

  この塔の最上部の堂まで行った。仏像に金箔をはるようになっていて、金箔が売られていた。最上部まで行ったものの、降りるのはちょっと怖い。

  この塔の階段を降りたところの堂の前には真っ赤の仏像があった。これは珍しい。

  最後に、寝仏を見た。ワット・ロカヤスタのものより小さいが、下の画像には、人が写っているので、その大きさがわかるだろう。

 
 

 
 

 (2)ワット・パナン・チューン

  ここは現役の寺ですごい人出。堂内の大仏は工事中。

 

 

 
 
 (3)日本人村

  続いて、日本人村へ。ドライバーは、ここのことをナガマサと言っていた。

  こには16世紀から17世紀前半にかけて日本人町があって、3000人の日本人が住んでいたという。

  でも、それを示す遺跡はない。ただ、碑と小さな記念館があるだけだ。 

  

 
 
  日本人村は運河に面しているのだが、ちょうど日本人村の対岸に、ポルトガル人町の跡が残されている。画像は、ズームを最大にして幅100mほどの運河の対岸を撮影したもの。欧風の建物があり、その前に、解説板のようなものも見える。

  アユタヤ王朝は世界各地と交流したから、ポルトガル人町があるのもなるほどなのだが、現地に行くまではしらなかった。ドライバーにここに行けるか聞くと、ボートで行かねばならず、時間の関係上、対岸から眺めるだけにしたが、次回、アユタヤに行った際にはぜひ訪れたい。
 
 

 (4)ワット・スワン・ダーラーム

  いったん、チャオプラヤ川をアユタヤ市街側に戻ってから、さきほど行ったワット・パナン・チューンの対岸近くにある寺だ。観光客はあまりこないようで、行ったときには誰もいなかった。現在のチャクリ朝の創始者ラーマ1世の父によってたてられたもの。

 (5)ポムペット要塞跡

  チャオプラヤ川とアユタヤ市街を囲む川の合流点にある要塞。工事で中に入れなかった。

 
 
 
 
  要塞のそばからは、ポルトガル人町のほうに向かう渡し船がでいた。

 (6)ワット・チャイワッタナーラーム

  つぎの遺跡は、アユタヤ市街の西南の川向いにある遺跡だ。

  一見しただけで、ここはアンコール遺跡かと思える。アンコール・ワット周辺の中規模遺跡とほとんど同様の感じだ。アンコール・ワットにいらっしゃた方なら、同じ感じだとわかるだろう。 

 
 

  アユタヤで一番よかった遺跡は?と聞かれればここだと答える。

 

 

 

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