9 日 目  ペ ナ ン 散 歩

世界遺産めぐり前半戦

  朝食バイキングは、昨日までのハジャイのノボテルほどではないが、まま充実していていろいろ試してみた。

 卵料理と麺類はその場で作ってくれるので、オムレツとヌードルを食べた。ヌードルは米の太い麺。

 この日は一日中、世界遺産を見て回る予定。ほとんどのところは9時にならないと入れないので、朝食後しばらく休憩してからお出かけ。

 ジョージタウンは2008年、マラッカと一緒に世界文化遺産になった。ここは、街全体が世界遺産になっている。マラッカと一緒なのがどうして?なのだが。

 ホテルから世界遺産のエリアまでは1kmほどある。その間、ビルマ通りを歩いたのだが、途中に中国風の道教寺院があった、

 観音寺と額があがっていたが、由来を説明する看板などはないし、あとで手に入れたマップにも記載がなく、どのようなお寺なのか詳しいことは不明。 ちなみに観音寺は別のところにもっと有名な寺があって、そちらにもあとで行った。

 

 

 

 

 

 コムタ近くの歩道橋の上から見た廃屋。3階部分は何に使われていたのだろうか。

 別の方向を見ると停仔脚のある建物が続いている。

 コムタに到着。上部はオフィスだが、下部はショッピングセンターになっている。

 下部の内部は9年前とそう変わっていないように思った。なんとなく記憶があり、迷うことはなかった。

 コムタ周辺には旅行社が多い。旅行社では長距離バスのチケットを取り扱ったいるが、今は長距離バスのターミナルはコムタにはない。郊外に移転したのだ。

 9年前にKL行きのバスに乗ったターミナルは駐車場になっていた。なお、近距離バスターミナルは残っていた。

 いよいよ世界遺産エリアへ 到着。まずインフォメーションにやってきたのだが、工事中。

 次に、サイド・モハメド・アラタス邸。アチェで反オランダ運動をしていた 商人の住居であった。イスラム博物館になっているのだが、どういうわけか開館時間を過ぎてい るのに、掃除をしていて入れなかった。

 そして、孫文記念館。1910年に半年余り、孫文はペナンのここに滞在した。東南アジアではペナンを運動の本拠にしたそうだ。こじんまりした感じで、吹き抜けの部屋もあって明るい。

 クー・コンシ(邱公司)へ。 移住してきた華人が成功したら、一族を祀る習慣ができ宗祠がつくられた。ペナンでは一族ごとに宗祠がある。ここは邱氏の先祖を祀っている。

 宗祠はたくさんあったが、中には入れなかった宗祠や現代風のビルの宗祠もあった。宗祠の中でもっとも豪華なつくりになっているのがクー・コンシである。

 ほかの宗祠は無料 だが、ここは有料。それだけ見ごたえもあり、屋根の上の彫刻は凝っている。1898年に建てられたが、火災のため1950年に再建された。

 マレーモスク。アチェの商人が作ったモスクで、入口が面しているのがアチェ通り。アチェ商人が居を構えていた通りだったらしい。

 ヤップ・コンシ(葉 公司)。ここは道路の交差点に建てられた小さな宗祠。1924年に建てられたという。右側の薄緑色の建物が現代風の建物になっている葉氏の会館。

 プーホックシー(宝福社)。正式名はホックトックチェンシン寺(福徳正神廟)。ここも宗祠かと思って入ったが、違っていたようだ。

 細い路地を抜けたところに広場があり、そこに現れる。路地の入口は赤色の門になっていてすぐにわかる。

 19世紀に建てられ、2001年に行ったときには荒れ果てていたのだが、改修がなされとてもきれいになっていた。1階の入口には食堂があり、場違いの感じがした。

 カピタン・クリン・モスク。前日にも行ったマレーシアでも大きなモスク。前日はスーツケースを持っていたのでちらっと見ただけだったが、この日は中庭に入って観察。ミナレットが美しい。

 下左。潮州会館(韓江家廟)。1870年に潮州出身者がつくった寺。ここも最近、改修されたようで真新しい。2006年にはユネスコの「アジア太平洋遺産保護賞」を受けたという。

 下右。マハ・マリアマン寺院。前日にも行ったヒンドゥー寺院を再度訪問した。前日は荷物があったので、十分に見ていなかった屋根の彫刻なども観察。

 ようやく昼食タイム。インド料理の店に入ったら、中でナシカンダールもやっていたが、一品料理にした。

 タンドリーチキンとムルタバを注文。飲み物はコーラ。

 ムルタバは、小麦粉の中に野菜と肉(たぶん羊肉)を細かく切ったものを混ぜて焼いたものでカレーソースをつけて食べる。具の入っていないものは、ハジャイのホテルの朝食で食べたがそれに似ている。日本のお好み焼きのような感じでもある。

 

世界遺産めぐり後半戦

   セントラル・ファイヤーステーション。ペナンの中心的な消防署。1908年にできた。消防署であるので、望楼もついている。そして、ここは今も現役の消防署なのだ。

 チャ・コンシ(謝公司)。1873年の建造でペナンの宗祠の中では一番古い。ここの1階には「育才学校」という寺子屋風の教室があった。この学校は中国国民党の南洋支部が運営し、孫文の写真などが掲げられ、中国文化などを伝授する場であったようだ。

 

 水上集落。いくつかのブロックがあり、それぞれ埠頭のように海の中に木製の道が作られ、その両側に水上家屋が建つ。先端は風で涼しかった。ゲストハウスもあったが、水上には泊まりたくないなぁ。

 光華日報。1910年にペナンで創刊された革命派の新聞。中国も含め、現在発行されている中国語の新聞では世界一古くから続いている新聞である。

 上右 旧マレー鉄道ビル。1907年建造で時計台がついているのが特徴。フェリーの埠頭とは道路を挟んだ位置にあり、かつては、フェリーを降りるとまず目に入ったのだろう。バタワースじゃなく、ジョージタウンが重視されていたことの現れでもある。現在は税関になっていて、屋上にWISAMA KASTAMと看板が掲げられている。

 上右 ドイツ商人の家。1890年から1910年の建造で港の近く並んでいる。当時のドイツは南洋諸島を領有、青島を租借して極東に影響力を持っていた。その表れのひとつと考えられる。

 右 ヴィクトリア女王のダイアモンド・ジュビリー記念の時計台。1897年建造。ダイアモンド・ジュビリーとは在位60周年ということ。

 下左、下右 旧ペナン警察署。1890年の建造。2つは隣り合っていて、下左は、現在はペナン州議会、下右は、現在は移民局になっている。

 コーンウォリス要塞。ジョージタウンの北東端にある四稜郭(函館の五稜郭に似た形だが、周囲の突き出たところが4箇所)。海に向かって大砲が置かれている。大砲のそばには、弾薬庫も残っている。

 ここはイギリス東インド会社のフランシス・ライト提督がはじめてペナンに上陸した場所であり、敷地内にライト像もある。

 戦没者慰霊碑。第一次大戦(1914〜1918)の慰霊碑。ペナン港に1914年、ドイツの軍艦が突入し、イギリス艦を沈めた戦闘があり、そのときの戦死者などを追悼するものである。

 下左 市庁舎。1907年建造で現在も市庁舎として使われている。白亜の美しい建物だ。 

 下右 タウンホール。市庁舎の隣の黄色い建物。1880年建造。劇場、礼拝など多目的に使用された。ここの前はトライショーの待ち合わせ場所になっているようで、たくさんのトライショーが並んでいた。

 上左 旧最高裁判所。現在は高等裁判所になっている。

 上右 ライトストリート女学校。この敷地内に旧ペナン総督の住居があり、地図で、ライトストリートと書かれていたので、ライトストリートとは通りの名であって自由に入れるとばかり思っていた。現地へ行ってはじめて学校の名とわかった。ダメもとで中に入れないか尋ねたが入れなかった。画像に遮断機が見える。

 右 ペナン博物館。9年前に来たときには入ったが、今回は時間不足で入館せず。

 右 アサンプション教会。1860年に建てられたカトリック教会。中には入れなかった。

 下左 セント・ジョージ教会。1818年に建てられた英国国教会。改修中で周囲が囲われて近づくこともできなかった。

 下右 名はよくわからないが、3つの中国寺院が並んでいる。

 上左 プラナカン・マンション。プラナカン文化を紹介する博物館だが、ちょうど閉館時刻の17時になり入れなかった。次回の訪問では行ってみようと思う。プラナカンとは中国系ではあるが現地風習を受け入れた人たちのグループ。

 上右、右 観音寺。1800年に建てられたペナン最古の中国寺院。あたり一面、線香のにおいが漂っていた。わずか500mほどの区間に4つの宗教のそれぞれペナンを代表する寺院があって、ペナンの多文化性を感じさせられるエリアだ。

 

 右 チョンファッツェ・マンション(ブルーマンション)。19世紀のペナンの大富豪の邸宅で1880年に建てられ、いまはホテル。泊まってみるのもいいかな。

 下左、下右  E&O(イースタン&オリエンタル)ホテル。ペナンで一番歴史をもつホテル。前日にも行ったが、この日は中に入ってみた。宿泊者以外でも入れるロビーや廊下、さらに海側に出てみたりした。著名人の宿泊したときの写真なども興味深い。孫文も泊まっている。

ニョニャ料理

 この日の夕食はニョニャ料理のHOT WOK(熱鍋)に行った。店は2つ入口があって、右側から入るとアンテークな家具や昔の写真が飾られた豪華な感じ。左側から入ると普通のレストラン。中で通じていて値段は同じ。

 ニョニャとはプラナカンに似た言葉だが、特に中国系男性と結婚したマレー系女性のことを指す。この場合、男性はババと呼ばれる。プラナカンは混血によってできた中国系だが現地の風習も取り入れた文化の全体を指すようだ。

 ニョニャ料理は中国風でもありマレー風でもある料理といった感じだった。ニョニャ料理はマラッカやシンガポールでも食べられるが、どこも以前は食べる機会を逸していたので、今回はぜひ食べようと店を調べておいた。たまたま泊まったホテルのすぐ近くに有名店があり、行く前からこのお店に決めていた。

 豪華な感じの右側の入口から入ると、テーブルが4つ。1人の場合は左側の入口から入って小さなテーブルについたほうがよかったかもしれないが、せっかくなので大テーブルについた。

 有名人が来店したときの写真や香港で何か賞を受賞したときの写真などが掲げられているし、家具類も興味深い。

 注文した料理がくるまでの間、えびせんをつまみながらビールでのどを潤した。つけるソースはタイのような激辛ではなく、フルーティな甘酸っぱい感じだ。 またインドネシアのようにやわらかくはなく、タコスのような食感だ。全部いただいたら、おかわりをすすめてきたので、料理が食べられなくなると困るので断った。

 豚肉ロール

イカなどをつめた春巻風。

エビとカシューナッツ炒め

しょうがときのこ入りの魚の揚げ物

デザートにチェンドル

ニョニャ料理、確かに中国風とマレー風の中間みたいな感じ。味付けがしょうゆがベースだけれども香辛料もきいていて辛い目。

お腹いっぱいいただいてホテルに戻って、一日だけのペナンまるまる滞在の日を終えた。

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