6 日 目  バ ー ン チ ア ン

バーンチアン遺跡訪問
 上左  この日はウドンターニから日帰りでバーンチアン遺跡を訪問する。バスで行くが、問題はバスを下車したあとだ。ガイドブックではトゥクトゥクが待機していると書いてあるが、本当に拾えるのかどうかが不明なので、下車後6kmほどを歩いて往復するつもりでいる。そうすると、ほぼ1日がかりの訪問だ。

 ウドンターニの中心にある長距離バスターミナルに向う途中に路上の屋台で朝食。

 上右  民家の軒先を使ってかなりな数のテーブルが用意されていた。

  左  カオマンガイを注文。スープとともに、薬味らしき容器が運ばれてきた。
  カオマンガイはタレが命だといわれる。今まで食べてきたカオマンガイはたいていナンプラーをメインにした黒いタレが多かった。
 
 この店のタレは、ショウガ、ニンニク、ナンプラーが混じっているが、とてもドロッとした状態になっている。唐辛子はほとんど入っていない。別にテーブルに置かれている唐辛子を入れればよいということか。
 食後は、すぐそばのターミナルへ。ナコーンパノム行きか、その手前のサワーンナコーン行きに乗ればよい。時刻を聞きに行き、ついでに翌日はナコーンパノムに向うので、翌朝の時刻も確かめておいた。

 9時15分発のナコーンパノム行きが直近のバスのようだ。

 下左  指示されたバスはまだ誰も乗っていなかった。

 下右  切符。バーンチアン最寄りで下車することを伝えたら45バーツだった。
 
 
 1時間30分かかり、バーンチアン最寄りのバス停に到着。下車したのは自分だけ。信じられなかったことだが、トゥクトゥクが、小屋のような待機所に止まっていた。

 博物館と発掘現場の寺に行って、ここに戻るということで、150バーツと交渉成立。

 下左   博物館のあるバーンチアン村までの道。この道を6kmほど歩くつもりだったので、ラッキーだった。

 下右   20分ほどで博物館の入口に到着。
 
 博物館の本館。入場料150バーツ(発掘現場も含む)。この建物は管理棟で、この右手のほうに展示施設があった。

 下左  前プミポン国王もここに訪問していて、そのときの写真。発掘は1966年から始まっているのだが、その間もない時期なのだろう。まだ若い姿だ。

 下右  発掘現場のレプリカ。なるほど、2mほど掘った中で作業が行われていたのだ。
 
 3000〜2300年前の土器。独特の見たこともないような渦をまいている文様が施されている。この遺跡の土器の特徴だ。また赤っぽい色で着色がみられる。

 下左  2300〜1800年前の土器。文様はあるのだが、ちょっと見にくい。そして文様が簡素になって、普通によく見るような渦巻に変化しているのが特徴だ。

 下右  5600〜3000年前の土器。文様はない。
 
 シオラマの展示もたくくさんあった。

 一時は8000年前の農耕遺跡だと言われた時期もあって有名になったが、現在の展示では、5000年前くらいからの遺跡と書かれている。

 下左  最初に発見された現場以外にもたくさんの発掘地があるようだ。色の違いは、年代の差なのだろう。

 下右  中庭。
 
 
 
 上左  博物館の見学を終えて、発掘現場に向った。1kmほど離れていて、村の中を走る。

 上右  ワット・ポーシーナイという寺があり、その境内に発掘現場が屋根で覆われていた。

 左  発掘現場だが、展示されているのはレプリカ。
 1時間強で見学し、待たせていたトゥクトゥクでバス停に戻った。前を走っている赤い車は消防車。

 下左  バス停では30分ほど待って、やってきたバスに乗車した。その間に、トゥクトゥクは地元客を乗せて村に向っていった。トゥクトゥクが何台営業しているのか不明だが、もし1台とすれば、トゥクトゥクに乗れるかどうかは運次第のようだ。

 下右  帰りは1時間10分でウドンターニのバスターミナルに戻った。14時30分に戻れたが、トゥクトゥクに乗れなかったら、17時になっていただろう。
 
「ウドン」で「うどん」を食べる
 ウドンターニは「ウドン」と略されることが多い。後ろにアクセントがあって、「ウドーン」とも聞こえるので、日本語の「うどん」とは少し発音が違う。それはいいとして、「ウドン」にきたからには「うどん」を食べよう。

 バスターミナルに戻った後、セントラルプラザに直行。レストランフロアに日本食の店がたくさんあったので、どこかで「うどん」を出しているに違いないと思い、やってきたのだ。

 大戸屋でメニューに「うどん」があったので入店。
 「かけうどん」と「もりうどん」で迷ったが、「かけ」は暑いタイで食べる気がせず、「もり」を注文した。

 半日、暑い思いをした後だったので、美味しかった。うどん玉は、タイで製造しているのかもしれないが、日本で食べるのとまったく違いはなく、"コシ"がしっかりしていた。

 149バーツ(約520円)で、日本並みか日本以上に高い値段じゃないだろうか。それでも、日本人からもタイ人からも需要があるからやっていけるということだろう。
 
 大戸屋を出て、エスカレータで出口に向っていると、「スゥートガーデン」という、壁がないスイーツの店が目に入った。

 この日は、バーンチアンに行ってそれで1日が終わると考えていたので、時間が余り気味。この後、駅方面に散歩しようと思っているが、それでも間がありそうなので、ここで休憩していくことにした。
 
 マンゴーカキ氷だけでも何種類かあって、その中から選んだ。250バーツ(約880円)。

 マンゴーが半個、右下の緑のものはカオニャオ。

  ウドンターニは、バーンチアンも行ったし、市内の見どころ3ヶ所も前日に行ったし、今回はもう行きたいところもなく、1時間ほど、涼んだ。ウドンターニは、行きのルーイ行きの機内で宣伝していたタレーブアデーンにぜひ行きたいと思っているので、真冬にまたやってきたい。
 
 遅い昼食の後、鉄道駅に向った。列車本数の少ない駅で、駅舎の中やホームは閑散としていた。

 下左  駅の見学の後、駅前の南側に広がるUDタウンに行ってみた。

 下右  UDタウンは、1つのショッピングセンターではなく、小さなショッピングセンターや単独の店舗、屋台街などの集まっているエリアの名前のようだが、かなり広いエリアだ。

 噴水のあたりまでくると、スコールがありそうな空模様になってきた。
 
 
 急いでホテルに戻ることにした。写真は、駅前の西側に広がる屋台街の外観。カマボコ状の屋根がいくつか並んでいる。

 10分ほどでホテルに戻った。スコールがはじまるのには間に合った。ホテルの部屋で休んでいると、乾季に入ったばかりだが、強烈なスコールがあった。腹の減るのを待ったことに加え、雨が完全にやむのを待ったこともあって、3時間近く休憩。 
 
  夕食は鉄道駅の西側に広がる巨大な屋台街でとることにした。前日にも行ったのだが、そのときに、プラーパオ(焼魚)の専門の屋台がたくさんあったので、食べてみようと考えていた。

 下左  プラーパオはタイ各地で食べられるし、イサーン料理には入らないのかもしれないが、このさい、食べてみることにした。

 下右  屋台に行く前にコンビニで缶ビール2本を買っておいた。1本目はチャーンビール。
 
 
 プラーパオが到着。厚い皮は剥かれていて、食べやすくなっていた。魚の名は、後日調べたら、プラーニントートのようだ。200バーツ。

 淡水魚だが、臭みはなく、鯛のような食感だった。皮についている塩以外には味付けはされていなく、別皿の調味料をつけていただく。

 ある程度、食べすすんだときに、アレッ、となった。魚の腹部の内臓部分がきれいに取り除かれ、そこに草の茎などがつめこまれていたのだ。臭みをとるためと形を整えるためだろう。
 
  調味料や薬味の皿も魚と同時運ばれてきた。タレは激辛のものと甘辛いものの2種類。薬味としては、ニンニク、もやし、豆など、そしてカノムチーン(そうめん)も入っていた。
  野菜が大量に盛られたカゴも運ばれてきた。キャベツ、レタス、よくわからないが木の葉など。

 下左  周りの客がしているのをまねて、葉っぱに魚と薬味を挟んで、それにタレをつけていただいた。なんだか韓国での刺身の食べ方と同じようなものだ。

 下右  ビール2本目はシンハビールのライト。これは初めてだ。でもライトじゃない方が美味しいかな。
 
 
 
 
 
 
  上左  プラーパオを食べ終えて、ホテルに戻る。翌朝は朝早いバスに乗るので、戻る途中に朝食を買っておいた。

 ラーメン屋台があったので食べてみよう。

 上右  メニューはなく、1種類のラーメンだけのようだ。

 左  出来上がったラーメンはトンコツ味で日本風の焼豚やネギが入っていた。日本のトンコツラーメンと変わりはなかった。

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