2日目前半  高  雄

 

  高雄着は5時56分のはずが、5分程度の延着。すでに明るくなっていて、雨が降っているのがわかる。午後は阿里山に向かうので、天気の回復を願った。

  到着後、駅構内のコンビニでおにぎりを買って、朝食にした。台湾でのコンビニの普及度はたいへん高く、主要駅の構内にも必ずある。

  雨はかなりの強さであり、午前中の高雄市内の移動が面倒に思われたが、市内の見学を強行することにした。

  大掛かりな工事をやっていた。地下鉄工事だ。翌年の開業をめざして工事している。今は、バスしかない高雄の移動がとても便利になることだろう。

 

 

 

 

  高雄の駅舎は、日本統治時代の雰囲気が残るものだったが、旧駅舎はすでに博物館と して、少し東に移設され、その跡地に新駅舎がつくられた。

  新駅舎の前に市内バスターミナルがある。かなり古い施設で、旧駅舎の時代からあったように思われる。

  市内バスの運賃は12元(約43円)のようだ。市内バスの経路図が書いてあったので、乗るべき系統がわかり、248番のバスに乗った。ただ、同じ番号でも反対向きのものもあり、注意した。

 

 

  バスの車内。立っているのは高校生のようだ。台湾の高校生は、画像のような学校名の書いたカバンを持っていることが多い。

 

 

 

  鼓山で下車。ここから、フェリーで対岸の旗津に向かう。

 

 

  フェリーの1階は二輪車で満杯。二輪車のまま対岸に渡る通勤客だ。人だけだと10元(約36円)で乗れる。

 

 

 

  2階部分が客室。入ってみてびっくり。自分を入れて3人だけだった。二輪車の客はすごいのに、落差にびっくり。本土側は路線バスが発達しているが、対岸ではバスがあまりなのが原因かもしれない。

 

  高雄港は台湾最大の貿易港らしく、巨大なコンテナ船もみえた。輸出品が製造される工業地域は、高雄市の南部である。ここは台湾最大の工業都市でもあるのだ。

 

 

  旗津側のフェリー乗場。レトロな感じの建物であるが、実は新しい建物だ。公共機関が発達していないため、フェリーを降りるとタクシーや輪タクが待ち構えている。

  旗津半島は幅500mほどだが、長さは11kmもある。旗津はもともと陸続きだったのを、船を通すために島になった。

  だから、今は半島ではない。北側がこのフェリー、南側が海底トンネルで本土と結びついている。

  フェリー乗場の近くに天后宮があったので行ってみた。

  天后宮は、台湾の海岸部の各地にあるほか、中国南部に多い。海の女神として信仰されている媽祖(マーツゥー)を祭っている。媽祖の誕生日は旧暦の3月23日で、その日には各地の天后宮でお祭りが行われる。行った日は、その日から2週間ほど後だったが、まだお祭りの雰囲気が漂っていた。

 

 

  付近をあてもなく散策した後、本土側に戻った。フェリーには出入口が3つあるのがわかるだろうか。左が二輪車の出口、真中が人の出入口、右が二輪車の入口だ。

 

 

  本土側に降りてみると、二輪車のすごい列。先ほど乗船したときは、すでに二輪車の大群が乗船してから自分が乗船したのでわからなかったが、ものすごい行列ができている。

この行列の横を1kmほど歩いて、中山大学に向かった。  

   その途中の運河沿いは、漁港になっていた。大型船が行きかうところとは違って、ローカルムードがあふれていた。魚の臭いも多少していた。どんな魚がとれるのだろうか。

 

 

 

 

  中山大学というと、まず連想されるのが大陸の広州にある大学だが、台湾にも中山大学がある。台湾では台湾大学につぐ大学だ。もちろん、孫中山(孫文)にちなんだネーミングだ。

  さて、入口はというと、付近の商店群になじんでいて、見落としてしまいそうである。ここはバスでやってきた人のための、いわば裏門だ。

  

 

 

 

 

 

 

  入口を入ると、すぐに上のトンネルがある。長さは500mくらい。これを抜けると、大学のキャンパスが広がる。

  中山大学の敷地内には、西子湾という海水浴場があるのだ。きれいな浜らしいが、シーズンオフで浜に入ることはできなかった。また、一般客向けの宿泊施設もあった。

 

  この大学は台湾で一番、風光明媚だと言われる理由がわかった。でも、残念ながら、時々雨が降っていて、傘をさしての大学見学であった。

 

 

 

  こちらが大学の正門。ただし、自家用車などでやってきた場合の入口である。バスの便は不便なので、学生の多くは、先ほどのトンネルを歩いてやってくると思われる。

  正門付近の海岸もきれいな感じだが、あいにくの雨で眺めはよくなかった。

  

 

  正門のそばの小高い丘の上に、レンガつくりの建物が見える。それが、前清打狗英国領事館だ。清代につくられらた英国の領事館で、1986年に修復されたという。

  「打狗」とは、高雄の古い名で、ターカオと読む。日本統治時代に、日本語の訓読みで同音の高雄に改名されたようだ。そして、現在は、文字だけが日本時代のまま、高雄で、読み方は、カオシュンと北京語になっている。

 

  前清打狗英国領事館から中山大学の裏門近くのバス停まで、傘をさして1km以上歩いた。

  早朝に乗ったのと同じ248番のバスで、再びフェリー乗場の前も通って、高雄市歴史博物館に向かった。

  ここは、日本統治時代に高雄市役所だった建物。その後、高雄市政府として使われていたが、市政府の移転後、1998年より博物館になった。

  日本統治時代の雰囲気が色濃く残る建物である。高雄市の古代以来の歴史展示をしているが、日本統治時代の高雄の開発なども詳しく紹介していて、日本に対して好意的な感じがする。反面、228事件が高雄でもあったことを強調していた。また、228事件のさいには、市政府が戒厳軍によって包囲され、攻撃されたとのことだ。228事件でこの建物から逃げるのに使われた扉も表示されていた。

  歴史博物館のすぐそばを流れている愛河。もともとは運河であった。愛河の河岸は公園になっている。でも、雨が降っていたので、すぐに高雄駅に向かった。

 

 

 

 

  駅前の様子。雨のため、繁華街の見学はまたの機会にすることにした。

 

 

 

  11時発の「自強」で嘉義に向かう。この列車、西部幹線を台北まで北上したあと、何と東部幹線の花蓮まで行く列車だ。

 

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