2 日 目 清 泉 温 泉
この日はまず台北から1時間40分ほどかけて竹東へ。竹東へは新竹から台鉄があるのだが、今は工事のためバスで代替輸送中。かなり時間がかかりそうなので、行きは竹東までバスで直行する。帰りは代替バスに乗ってみる。 竹東からは8時40分のバスでさらに1時間かけて山奥の清泉温泉に向かう。温泉入浴とともにこの地に幽閉された張学良故居館を見学するためだ。不便なところに行くので、ホテルを6時に出る。よって朝食はカップラーメン。 |
6時にホテルを出てまずMRTの民権西路站へ。そして台北車站で降りて、台北車站の北側にあるバスターミナルに向かった。 ずらっと並ぶ切符売場で国光客運を探し、竹東行きの切符を購入。このとき6時28分。 |
竹東は、四声はよくわからないが、チュートンで通じた。140元(約400円)。6時30分発のバスに飛び乗ってすぐに発車。距離は70kmほどか。 高速道路を通るが、桃園空港を利用するときにいつも通る「中山高」でなく、「北二高」。中和ICから高速に入るが、途中、龍譚ICと関西ICでいったんICを降りて客扱いして、高速に戻るという経路なので少し時間がかかる。それでも1時間40分で竹東に到着。終点までは乗らずに、新竹客運の竹東ターミナル近くで下車。 |
竹東ターミナルは小さなターミナルだがすぐにわかった。 下左 ターミナルの入口でサンドイッチを買って食べる。 下右 8時40分発の清泉温泉行きのバス。山間部を行くコースのためか、あるいは客が少ないためか中型バスであった。 |
車内。発車時はこんな感じだったが、竹東の市街地で客が少しずつ乗車し、やがて立客がでた。やがて山奥に分け入っていった。 下左 清泉温泉のバス停。9時50分着。 下右 バスは朝に多くて午後は少ない。13時35分のバスで竹東に戻るが、それを逃すとあとは1本あるだけ。清泉温泉には3時間半の滞在だ。 |
バス停で降りたあたりの清泉温泉の様子。川向いにはつり橋で渡り、清泉温泉がある。 張学良関係の見学箇所は2つあって、1つは川向いの温泉から少し先にある張学良の住居の跡地。もう1つは、張学良の住居を復元した故居館で、この画像を撮影している自分の背後にある。 まずは張学良関係の見学箇所を回ったあと温泉に行って入浴と昼食とする。 |
張学良は清朝が倒れ、中華民国になった後、満州で力を持つ東北軍閥を率いながら関東軍の謀略で爆殺された張作霖の子。事件後、張学良は蒋介石に従うが、満州の支配権は維持した。しかし満州事変、満州国成立で、事実上、満州は関東軍の支配下に入る。張学良は共産軍討伐を命じられるが、あまり熱心ではなく、1936年に西安事件を起こして、蒋介石を監禁して、国共合作を認めされた。その後、張学良は捕らえられ、極刑は免れたが、軟禁状態におかれ、国民政府の台湾移転後も続いたが、蒋介石の死後は次第に自由になり、1991年にハワイに移住し、2001年に100歳で生涯を終えた。 |
館内の展示は興味深かったが、自分の場合は、西安事件の顛末がある程度わかったことや事件後捕らえられた張学良が軟禁場所を転々としたことがわかったことがよかった。 転々とした軟禁場所をまとめてみる。 |
1 浙江 奉化 2 安徽 黄山 |
3 江西 萍郷 4 湖南 郴州 |
5 湖南 沅陵 6 貴陽 修文 |
7 貴陽 鈴霊山 8 貴州 開陽 |
9 黔北 桐梓 10 重慶 |
11 新竹 清泉 12 高雄 西子湾 |
13 台北 北投 |
清泉温泉では1946年から59年の間、幽閉生活をおくった。そのときの住居がもとの場所とは少し離れて再建され記念館となった。落成は2006年で馬英九総統が訪問して開館したようだ。 住居は日本建築で、部屋の多くは畳敷きであった。入場は無料だったが、結構多くの資料があり40分ほどかけて見学した。 |
張学良が使ったという机と椅子。 |
記念館の前の銅像。 |
つり橋を渡り対岸へ向かう。 |
つり橋から張学良故居館を眺める。左手の真ん中に記念館が見える。 |
足湯がにぎわっていた。 |
入浴の前にかつて張学良の住居のあった跡地に行ってみた。 |
柱の跡が少しあった以外は何も残されていない。 |
玄関の下の階段。上がったところには警備員の詰め所が復元されていた。 |
瀋陽の張氏帥府博物館館長、西安の西安事変紀念館館長、ここ張学良故居館館長による記念植樹があった。 |
清泉温泉で温泉に入れるのは1軒だけで、その名も「清泉温泉」。日治時代は「井上温泉」と言ったようだ。 入浴と昼食のセット券を購入。水着と浴帽で入らねばならないので、水着と浴帽のない場合は受付で買って大浴場に入るか、個室の浴室に入るかになる。今回はこの温泉に入浴するつもりで水着と浴帽を持参できたので、大浴場に入った。 受付から奥へ進むと階段を下りるようになっていて、降りたところが脱衣場。個室の場合はさらに進む。貴重品は有料のロッカーに入れたが、入浴者も少ないので衣類はカゴに入れておいた。 |
大浴場は結構広かった。外部との壁はなく半露天の岩風呂のような感じになっている。客はわずかで、水着を着けているので撮影できた。 下左 大浴場内にある個人用の浴槽。シャワーのようなのがついているが、打たせ湯。 下右 露天風呂。河原を見下ろすような感じ。外から見えるが、プールと思えば何ともない。 |
1時間近く気が済むまで入浴。そのあとは昼食。 この地の原住民のタイヤル族の郷土料理で茹でた鶏肉を酢味噌のようなものをつけていだくのがメイン。 下左 レストランからは河原がよく見える。 下右 レストラン内。 |
上左 一号吊橋に行く途中に三毛という女性作家の故居に立ち寄った。初めて聞く名前だが、台湾では知られているのだろうか。 上右 一号吊橋。かなり高くて、揺れるのでスリルがあった。 左 一号吊橋からの眺め。左端に張学良故居館、右端にわずかに清泉温泉の建物が見える。 |
13時35分発のバスで竹東に戻る。1時間ほどで竹東の集落に入ったが、バスターミナルまで行かずに鎮公所で下車。町役場である。ここから5分ほどで台鉄の竹東車站がある。 上右 竹東車站。新竹から内湾まで30kmほどのローカル線である内湾線があるのだが、新竹から竹東までは運休中。新竹から竹中までを電化し、さらに高鉄の新竹站まで結ぶ工事をしているからだ。ただし、竹東から内湾は細々とであるが運転している。 左 竹東から新竹までの代替バス。竹東車站の前から出発する。 |
代替バスについていたプレート。なるほど台鉄の運行を維持するための専用バスだ。運転は新竹客運がおこなっている。日本では代替バスの運賃は鉄道に準じるのが通例だが、このバスは鉄道の倍ほどする。バス運賃に準じているのだろうか。ただし、通常のバス路線じゃなく、竹東車站と新竹車站を結び、途中駅の近くにだけバス停がある。実際には途中の乗降はなく、新竹までノンストップだった。 |
新竹站の駅舎も日治時代の建築だろうか。歴史と風格を感じさせられる。 すぐに台北行きの自強号の指定券を求める。20分ほど並んだが、直近の列車は満席で自願無座なら乗れるらしい。自願無座でも席が空いていれば座れるのだが、席があるかどうか乗ってみないとわからないし、座っていても途中駅から指定券を持った人がきたら席を替われねばならない。それで50分ほどあとの自強号にした。これなら指定席がとれたので。 |
購入した乗車券。最近は高速鉄道には時々乗車するが、台鉄(台湾鉄路局)は久しぶりだ。 わずか50分ほどしかないが、その間に新竹の街歩きをすることにした。 |
上左 東門城。ロータリーのど真ん中にあるのだが、地下道でいけるようになっていた。 上右 城隍廟。城隍爺を祀るのだが、廟の周囲が見事に屋台で埋め尽くされている。どこから中に入るのかもわかりづらい。 左 屋台のすきまの入口から中に入ると廟があった。その周りにもぎっしりと屋台が並んでいる。 |
上左 やってきた自強号は気動車だった。当然、電車がやってくると思っていたのでびっくり。行先は七堵行き。 上右 車両の色合いも電車とは少し違う。 左 車内は混んでいて、立席客は多数。停車するごとに立席客は増えていった。 |
上左 台北到着後、MRTで公館へ。そして公館夜市に行った。 上右 夕食は排骨飯のお店で。 左 排骨飯。骨付きの豚肉を揚げたものをご飯の上におき、具の入った汁をかけてできあがり。かなりボリュームがあるので、これだけで十分。 |
食後はホテルに戻ったのだが、MRTの駅で小さな発見。 淡水のアルファベット表記が変わったようだ。今まではDanshuiであった。 |
それがTamsuiと表記されるようになったようで、張り紙があちこちにしてあった。 |
民権西路站で下車してホテルに向かう途中の交差点に広告用の電子パネルがある。それを利用して、建国100年の足取りをたどる企画をやっていた。 |
民国1年。国父孫中山がアジア最初の民主共和国、中華民国をうちたてた。 |
民国34年。50年にわたる日本の台湾統治が終了した。 |
民国47年。823戦役で勝利し、台澎金馬(台湾澎湖金門馬祖)を守った。 |
民国68年。美麗島事件があり、台湾社会は開放に向かいだした。 |
民国75年。民主進歩党が成立し、台湾の民主政治が発展した。 |
なお、建国100年ということで記念紙幣の発行も行われた。記念紙幣とはいっても、見かけは普通の100元紙幣とはなんら変わらない。違うのは、通常の紙幣では「中華民国○○年製版」となっているところが、「慶祝中華民国建国一百年」となっているだけだが。(実際は繁体字で書かれている。)しかも、この記念紙幣は発行枚数がそう多くなく、見かけることはないだろうと思っていたが、偶然、手に入れることができた。 |