最近は、JALの小型化でビジネスクラスの席が減ったことや、正規のUGをチェックインのさいに申し出て行うことも可能になったため、ラッキーUGは少なくなっていたようなので、ホント、ラッキーだった。
最近は、JALの小型化でビジネスクラスの席が減ったことや、正規のUGをチェックインのさいに申し出て行うことも可能になったため、ラッキーUGは少なくなっていたようなので、ホント、ラッキーだった。
1 日 目 台 北
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チェックインのさい、ひさしぶりに「本日、エコノミークラスが満席で、、、」という言葉を聞き、ビジネスクラスにラッキーアップグレードだった。
最近は、JALの小型化でビジネスクラスの席が減ったことや、正規のUGをチェックインのさいに申し出て行うことも可能になったため、ラッキーUGは少なくなっていたようなので、ホント、ラッキーだった。
チョコレートは、サクララウンジ入室時に販促のために配られていた新商品のようだ。
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ただし、今回はビジネスクラスにアップグレードされたので、機内食が楽しみであるので、これだけにしておく。 |
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![]() 下左 アイスクリームとコーヒー。 下右 少し眠っていたら、もう台北。 |
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![]() 下左 1841系統のバス。初めて乗った場合は、最初のうちは細かく停車していくので、このバスでいいのかと心配になる。自分もはじめはそうだった。 下右 50分ほどでサンルート着。荷物をおいてお出かけ。 |
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![]() 下左 MRTの行天宮站の入口。新たにできた橘線の駅で、この線のおかげで台北車站を経由しないルートができて便利になった。 下右 今回も、現在、橘線の終点になっている忠孝新生で藍線に乗り換えて市政府まで行った。市政府とは市役所という意味。 |
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![]() 下左 市政府の中。 下右 市政府の一角に台北探索館があった。市政府站から歩いて入った入口は裏口で、市政府の1階を表口の方向に歩き、表口から入ってすぐのところだ。ここが訪問の目的。台北の過去と現在の展示をしている台北市の施設だ。 |
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![]() 画像中の文字は、”(総統府の前は)日本統治時代の植民の象徴にはじまり、権威の象徴の介寿路になり、今日の凱達格蘭大道になった”というような意味だろう。 蒋介石時代、総統府前の大きな道路に介寿路という名がつけられた。これは”蒋介石の長寿を願う”という意味だった。総統府も介寿館と呼ばれた時期もあった。陳水扁時代に道路の名は凱達格蘭(ケタガラン)大道にあらためられた。ケタガランとは、台北に住んでいた原住民の名だが、今は同化してしまって、独自の文化はよくわからなくなっている。 映像資料では、総統府の前だけじゃなく、まず日本軍や日本人の行いが出てきて、そのあと蒋介石やかつての軍の様子などが出てくる。そして現在の様子が映し出され、画像にしたものが最後に出てくる。10分ほどに編集されていて、音声はBGMだけの映像である。 印象に残った1つ目の理由は、この資料とほかの歴史的な展示も含めて日本に好意的ないし中立的な立場であったこと。 2つ目の理由は、この資料のうち、日本統治時代の説明のBGMが愛国行進曲(リンクあり)だったことだ。まさか、日本の軍歌(この曲は軍歌というより国民歌謡といったほうがよいかもしれないが)がBGM(歌詞つき)になっているとは思わなかった。 なお、蒋介石時代も否定的な扱いじゃなく、好意的ないし中立的にとらえていて、日本統治時代、蒋介石時代の土台の上に、現在の経済発展や民主主義があるのだというような感じでとえらていると思った。 |
![]() 民選後の台北市長は1994年に陳水扁、98年、2002年に馬英九、2006年、10年に郝龍斌が就任している。 一方、総統は1996年に李登輝、2000年、04年に陳水扁、08年、12年に馬英九が就任している。 |
![]() 原住民というと、日本語では差別用語的なイメージがあって、先住民と言い換えている。中国語では、先住民というと、”絶滅した民族”という意味になり、先住民の意味では、「原住民」というようだ。 |
![]() このあと国父紀念館に向かったが、ここから国父紀念館までの間は台北ランタンフェスティバル(台北燈会)の会場になっていて、たくさんのはりぼてが並べられていた。 |
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![]() 上左、上右、左 台北ランタンフェスティバルの様子。 |
![]() ポスターに西暦の数字が100個並んでいるのかと思ったが、100個を並べるなら10×10でないといけないのだが、そうはなっていない。よく見ると、8×13で104の数字ということになる。よく見ると、左上のカントン(国旗の左上の小さな枠の部分のこと)の太陽の模様の部分は2つの数字の枠を使い1つの西暦を表している。1928、1935、1942だ。それでも1つあまる。右下を見ると2012がついている。 辛亥革命は1911年だったが、中華民国が建国されたのは2012年1月1日なので、2012年が加えられているのはおかしくはない。なお、中華民国の国慶節は10月10日だが、これは建国日ではなく、辛亥革命の始まった日である。 |
![]() 日本軍の降伏文書だとか、台湾の戒厳令を解除する命令だとか。 やがて毎正時に行われる衛兵交代の時間が近づいてきたので、孫文像の前に行った。 |
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![]() 衛兵交代は何度見ても見ごたえがある。 |
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![]() 面白かったのは、臨時の配電設備の入った箱に描かれたこの絵。これがあちこちにある。 MRTでホテルに戻った。経路は、台北車站乗り換えは避け、忠孝新生乗換えで橙線を使った。 ホテルでは2時間ほど休憩してから、移転した士林夜市へ。 |
![]() 実は2002年まであった場所です。2002年に以前の美食街が安全面や衛生面で問題があるとされ、いったん駅前に移転されたものが元に戻るっていうこと。最初は1年くらいで戻るとかされていたのが、いつしかもう戻らないような感じになっていたが、忘れたころに元に戻ることになったのだ。 それで、今回は1日目の夕食は新しい美食街で食べることにした。駅では案内がいろんな場所に掲示されていた。以前、美食街だった駅前はトタン板に覆われていて、更地になっている。 |
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![]() 駅前にあったときに比べて、敷地面積は半分くらいになったのじゃないだろうか。店もかなり少なくなっている。 |
![]() 小腸は香腸で、味つきの台湾風ソーセージ。何種類かのうちから味を選べ、原味、黒胡椒、蒜味、高梁など。大腸はもち米を炊いたものの腸詰。
画像の右上には、大腸を2つに割り、その中にキャベツや大根の漬物、キュウリなどを入れたものが写っている。この割った大腸の中に小腸を挟んだものが大腸包小腸。 |
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![]() 味がいろいろあって、胡麻、黒胡椒、カレー、ココナツ、紫芋、麻棘などがあった。辛い物好きななので麻棘を選んだ。 疑問は注文してから解けた。そのまま渡されると思っていたら、何と、その揚げパンを砕きだし、クレープ生地のようなものに乗せて、それを巻いてできあがり。なるほどそういうことだったのか。 |
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![]() 上右 夜市ではアルコール類を飲んだことはなく、飲んでいる客も見かけなかったので売っていないのかと思っていたが、メニューにはないのだが、売っていた。店員が言ってくらたのでわかった。 左 エビ焼き。 |
![]() 食事のあとは、周辺の店を見ながら駅へ向かい、ホテルへ。 |