1 日 目 その1 烏 山 頭 水 庫
今回の旅は台北には向かわず、桃園機場に到着後、直ちに高速鉄道で嘉義に行き、初日は烏山頭を見てまわるつもりだ。 上左 9時10分発のJL813に搭乗。 上右 8時前に関西空港着。機内食などを積み込んでいるところだった。 左 サクララウンジで一休み。クラムチャウダー、おにぎり、クロワッサン、スパークリングワインと変わった組み合わせだが、関西空港から朝の出発では定番。 |
足摺岬を左手に見る。 手前の平地は土佐清水市かなぁ。土佐清水市から足摺岬までも結構な距離があるようだ。 下 やがて、ウェルカムドリンク。シャンパンをいただいた。台北行きではいつもは瓶入りを持ってこられるのだが、この日は大瓶から注がれた。 |
桜島上空を通り、薩摩半島を横断。丸い池は池田湖か。その右手の富士山型の山は開門岳だろう。このあとはただただ海上を飛行した。 遠方に大隅半島も見える。 |
機内食は洋食を選んだ。フィレステーキだったが、白いソースがかかっていた。温野菜とフライドポテトがついていて、なかりボリュームがある。その右は冷製スープ。飲物は赤ワインにした。 下左 アイスクリームとコーヒー。 下右 台北線は飛行時間が短く、機内食を楽しんでいたらもう台湾近くまできていることが多い。 |
淡水河の河口付近。河口手前の左手に淡水の町があるはずだ。そして遠方に台北の市街地があるはずだが、視界が悪く見えない。撮影直後に、電子機器の使用をお控えくださいとのアナウンスがあり、着陸態勢に入った。 定刻11時5分に桃園空港に着陸。従来、入国審査場で時間がかかることはあまりなかったが、最近は大陸からの観光客が増え、特に、個人旅行が解禁された直後で、20分ほど待った。 |
11時50分ごろのシャトルバスで高速鉄道の桃園站へ。30元。12時10分ごろに到着。 下左 高速鉄道の桃園站と思って撮影したが、桃園站は地下駅。そうか、近いうちに開業が予定されている台北と桃園空港を結ぶ新しい鉄道の駅なのだろう。 下右 切符を券売機で買うのに2,3分。クレジットカード使用で嘉義まで920元。指定席を「対号座」ということを知っておけば、あとは日本の券売機に慣れていれば大丈夫だろう。切符売場からホームまで2,3分。そしてホームで指定された号車まで移動しているうちに乗車予定の12時21分発の列車がやってきた。 |
上左 ぎりぎり乗れた12時21分発の左営行き。 上右 13時24分に嘉義に到着。ちょうどスコールのような強い雨が降っていた。 左 BRTとよばれる嘉義客運のシャトルバス。高速鉄道からの乗継客は無料だ。高速鉄道の切符を見せて乗った。駅の出口からバス乗場まで10mほどだが屋根がない。強い雨だったが傘を出すのが面倒なので、ぬれながらもバスまで走った。13時30分発。 |
左 台鉄の嘉義後站に13時55分ごろ着。後站とは駅裏口という意味。BRTが予想以上に時間を要したため、5分間で荷物をより分け、不要なものをコインロッカーに預けるということはできず、14時発は見送った。見送るなら、駅表口のコインロッカーを使えばよかった。そのほうがあとでホテルに向かうときに便利だったのだが、、気づいたときは荷物を入れ、お金も入れたあとだった。 下左 14時25分発に乗車。 下右 6年前に乗った阿里山行きのホーム。今は運休中。 |
上 乗車した区間車の車内。区間車とは普通列車のこと。今はすべて電車化されている。隆田まで52元。30km少々あるから安い。嘉義を出て数キロ行った線路脇に、かなり大きな北回帰線の記念塔が見える。 右 台湾の鉄道運賃は、大人が全票、子供が半票とよばれる。半票か全票かは身長によって決められる。その身長を判断する目盛が車両を通り抜けるところのドアの横についていた。これを見たのは初めて。 |
15時10分ごろ、少し遅れて隆田に到着。 駅前に出るとタクシーか何台か停車していたので、近づいて行き、烏山頭(ウーサントウ)と言うと、先頭の車のドライバーがこれに乗れというような感じでドアを開けた。 |
ネットから印刷しておいた烏山頭の記事の写真にあらかじめ印をつけておいた。これをドライバーに見せたのだが、ちらと見ただけで返された。わかったのかどうか心配だったが、同じようなコースを回っているので、最初からお任せもしておいてもよかったようだった。普通は
風景区内のみどころを適当に回ってくれるのだろう。運賃は800元と言われ、それでOKとした。
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隆田は小さな町で、タクシーはすぐに田園地帯をひた走った。途中で高速鉄道の高架の下も通った。15分で烏山頭水庫の風景区の入口に到着。入場料200元と車の入域料50元を払う。 |
ネット上の旅行記だけでは、風景区の広さや位置関係がよくわからなかったが、入場券の裏の地図を見てかなり把握できた。 |
なるほど、タクシーなど乗用車は”小汽車”なのか。バスなどは”大汽車”なのだろう。 最初に訪問したのは八田與一の住居。2011年再建されたばかりだ。 さて、八田與一って誰?という反応が日本では普通だろう。特段、有名な人物ではない。ところが、台湾では日本統治時代であった1920年代に当時は世界一の貯水量といわれた烏山頭ダムとダム湖から嘉南平野一体に流れ出している農業用水を建設した恩人として台湾の人々に尊敬されている。烏山頭にはダムのほかこの八田のお墓と銅像などがあるのだ。 |
2011年5月の八田技師の住居など再建の記念式典には、馬英九総統も出席して大々的に行われたということだ。 烏山頭ダムの工事のさい、八田の住居の周辺には、作業員の宿舎なども含め68棟が建設され、学校、映画館、テニスコートなどもあったという。 しかし戦後は荒れるにまかされていた。2011年5月に再建されたのは八田技師の住居のほか作業員の住居など4つの建物で、八田與一記念公園として公開されている。 |
4棟の建物を見て回ったが、内部は全部の建物を見ることができるのではなく、1棟を見学できるようになっていた。 このとき見学できたのは、作業員の阿部さんのお家。見学時間は限定されている上、”例暇日”とある。日曜日のことだろう。たまたま、訪問したのは日曜日で16時前。ラッキーなことだった。 部屋の中に入ると、畳、障子、床の間、囲炉裏と純和風。 |
簡単な記念館があったので、入館。これは当時の宿舎の配置図。 |
次のダムサイトに向かうため、タクシーに乗ろうしたときに、記念公園のそばの道路が”八田路”と名づけられていることに気づいた。海外で日本人の名前が道路になるとは滅多にないことだ。あらためて台湾の親日ぶりを実感した。 烏山頭風景区はとても広くてタクシーで回って正解であった。広いエリア内にポイントが点在しているのだ。歩いて回ると数時間かかり、一日仕事になるだろう。 |
まず八田の銅像のところへ。後ろにあるお墓が八田のお墓。 銅像は1931年にダム完成の功績をたたえて嘉南大圳組合(ダム工事の主体となった水利組合)が作ったもの。やがて戦争末期には金属供出令のため持ち出されたが、戦後、隆田駅の倉庫で発見された。しかし、蒋介石時代には中国化のムードの中で八田を設置するわけにはいかず、再建前の朽ち果てた八田の住居に隠されていた。そして1981年にもともと置かれの場所に戻されたということだ。
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上左 銅像の近くにある蒸気機関車。ダム工事用に鉄道が建設され、資材を運ぶために使われた。 上右 銅像と機関車は堰堤の近くに置かれている。堰堤の上は遊歩道になっていて、ここだけはタクシーで通るわけには行かず、見るだけ。 左 放水口。ここから嘉南平野の用水路に水が流されていく。八田技師はダム完成後、総督府で他の開発工事に携わっていたが、1942年フィリピンの水利開発に出かけたが、米国潜水艦の攻撃で亡くなった。夫人の外代樹さんは戦後1945年9月1日この放水口に身を投げた。9月1日はダムの着工日。 |
平圧塔。放水口のすぐ近くにある。噴水のような感じであるが、放水管の中の水圧を一定にするために設置されているという。 |
左 放水口から下流側。この用水路が枝分かれしていく。 下左 放水口近くにある八田技師記念室。 下右 八田技師の資料が展示されている。八田は1886年生まれ、金沢出身で、幼少時からの写真や八田ゆかりの品などが掲示されている。 ここで烏山頭の日本語のビデオを見た。ドライバーが係員に言ってくれたのだ。 |
左 ミニ天壇。本物の天壇の10分の1で作られているという。 下左 中は資料館のようになっている。これは嘉南平野の用水路の図。右上が烏山頭のダム湖で、たくさんの用水路が枝分れしている様子がよくわかる。 下右 台湾の十大土木史跡のひとつになっている。 |
左 こちらも放水口。横のほうから水が出ていて、そこは見えない。 下左 この放水口の近くにある吊橋。この上から放水口を撮影した。 下右 下流側。この先で用水路が枝分かれしていく。 |
ダム湖が一番よく見えたところ。珊瑚潭とも言われるが、いったときにはそれほど美しいとは思えなかった。写真を撮ってみても同じ。 画像左下にボート乗場があって、モーターボートによる湖上遊覧も行われていた。ここの展望台で中国からやってきた観光団の大型バスと遭遇し、あまり知られていない場所だけに、こういうところまで訪れるのかとちょっとびっくり。 |
左 案内板にあったダム湖の航空写真を撮影。ダムサイトは写真の左上。たくさんに枝分かれしているダム湖だとわかる。現地で見えるのはごく一部で見えない部分がとても多いことがわかる。 下左 ダムの堰堤。この上を1kmほど歩くと、銅像のところに至る。 下右 いよいよ烏山頭ともお別れ。ドライバーはところどころで写真をとってくれたりして親切であった。往復と見学をあわせて2時間少しで隆田站に戻る。 |