日目 その2 + 3日目   嘉 義 街 歩 き

 

 関子嶺温泉からの帰路、バスを嘉義の噴水ロータリーのところで下車。14時40分。夜にはよくわからなかった風見鶏がよくわかった。

 ここは嘉義の中心。ここから歩いて阿里山森林鉄路車庫園区へ。

 かつて働いていた蒸気機関車や貴賓車が展示されていた。

 現役車両の車庫も隣接してあって、車両に近づける。2011年4月に倒木によって脱線し、死亡事故が起こったため、1年たったいまは旅客輸送は停止中で、現役車両が多数休んでいた。

 この車庫園区のすぐそばに嘉義市立博物館があったが、時間の関係でパスした。

 

 北門駅。ここが阿里山森林鉄路の嘉義側のターミナル駅。基点は嘉義であるが、乗換えのために乗り入れているだけであって、ターミナルの機能を持ているのはこの駅だ。
 旅客営業は停止中だが、不定期に試験運転をしているようだ。そのために駅構内などでは注意するようにとのこと。
 上左  日本統治時代につくられた嘉義刑務所。使われなくなって放置されていたが、2011年からは公開されているということで訪問してみた。

 上右  月を除く毎日、1日4回のガイドツアーがあり、それに参加しての見学となるようだ。このとき15時30分をすぎており、この日の見学はかなわなかった。

 左  壁に囚人の人形があり、脱獄しようとしてたのにびっくり。

 さらに歩いて嘉義公園へ。日本統治時代からあった、かなり広い公園で市民の憩いの場になっているような感じだが、行きたいのは「射日塔」という名前のついた塔。

 どんどん歩いて公園の中を突き進んだ。このころに少し雨がパラパラとしていて困ったのだが、かまわず歩いた。

 

 

 

 

 

 

 

 左  ようやく射日塔に到着。森の中に立つ塔。ここには、1943年に第2代目の嘉義神社が建てられ、戦後は、それが中華民国忠烈祠として使われた。しかし、1994年に火事で消失。その後、1997年に塔ができたようだ。

 上  「射日塔」という名だが、原住民のタイヤル族の伝説に弓矢で太陽を射るというものがあり、そこから名づけられたとのこと。これは塔の12階にある射日伝説をモチーフにした作品。

 エレベータで10階まで上がり、さらに階段で12階まで上がる。そこから見た嘉義市街。

 下左  第1代嘉義神社の土台部分。第1代のほうはあまり大きくなかったようだ。

 下右  嘉義神社の祭具庫。昔のまま残っている。

 

 上左  射日塔を背にして参道を撮影。 燈籠が並び、忠烈祠の門がその先にある。

 上右  戦後作られた忠烈祠の門。日本時代の燈籠がその前にあるのが何とも奇妙。

 左左  狛犬。

 左右  燈籠。

 史跡資料館。ここはもともと、嘉義神社の社務所だった建物で、純日本建築。

 内部も畳で日本風のつくりになっているのだが、写真撮影禁止。

 ここは17時までで閉館なのだが、何と16時55分に入った。入るときになにやらムニャムニャ言われたがよくわかからなかったっが、17時でおしまいってことだったのだろう。急いで見て回った。日本統治時代の嘉義のことなどが展示されていたが、残念ながらゆっくり見られず。

 嘉義公園から嘉義站までこの街のメインストリートである中山路が結んでいる。その中間に街の中心である噴水があるのだが、中山路を噴水まで歩いた。前夜には、嘉義站から噴水まで、噴水鶏肉飯の本店に行くために歩いたので、中山路全体を歩いたことになる。

 その途中にあったのが嘉義市政府。結構立派な建物であった。

  噴水のところで左折し、文化路夜市へ。ここが嘉義で一番にぎやかな夜市だ。

  ここは食べ物も多いが、衣類のお店の率が高い。気をつけなければならないのは、屋台が出ていても歩行者天国じゃないのでバイクがバンバン通るので危ないこと。

  屋台をいろいろ見たが、食べたいっ!って思えるものがなかなか見つからず、小籠包と書かれた赤いちょうちんにひかれて、一軒のお店で夕食をとることにした。
 左左  入店前にビールを購入。台湾の小さなお店では飲物を他で買って入ってもOKなのがなかなかいい。

 左右  小籠包。

 

 上左 蟹肉焼売。

 上右 雲呑乾麺。湯麺と乾麺があったので、スープのあるなしの違いかと思ったが、少しスープが入っていて、乾燥した麺を茹でているという意味なのかと理解した。でも、湯麺よりはずっとスープが少ない。雲呑は麺の下に隠れている。
 

 左  さらに文化路を歩き、凍圓のお店があったので入って、デザートをいただくことにした。

 招牌凍圓。仙草と抹茶のゼリー、芋で作った団子などが入っている。。黒いのが仙草のゼリー、緑が抹茶のゼリーである凍圓、上にある茶色のが芋の団子である芋圓。思っていたよりも量が多かった。

 台北はもちろん高雄、台南、台中でも大きな夜市がいくつかあるが、嘉義は文化路くらいなもののようだ。ホテルに戻り、大きな部屋で満足しつつ、1日を終えた。

 

3  日  目

 

 早くも最終日。桃園空港から昼過ぎの便で帰るので、朝食後すぎにホテルをチェックアウトしなければならない。でも、高速鉄道がなかったころは嘉義で朝食を食べてから、移動して昼過ぎの便で帰るなんて考えれなかったから、大きな進歩だ。

 朝食をしっかりいただいて、バス停へ。雨が降っていたが、バス停までさえ切り抜ければ、あとは雨の心配はないので、バス停までだけは少し雨にぬれて移動。まもなくやってきた連絡バスに無料で乗車。

 ところでこの無料バス、高鉄を下りたたあと乗る場合は切符を見せればいいのだが、バスで高鉄駅に行く場合はどうすればいいのかわからなかった。それで、嘉義で下車した2日前の切符を見せて乗車した。他の客はとくに何もせずに乗っていたから、特に何か見せたり、ド ライバーに告げたりする必要はなさそうだ。ドライバーも客が何も言わなくてもわかっているのかもしれない。

 30分ほど乗車して高鉄嘉義へ。券売機でクレジットカード払いで切符を購入。

 あまり待たないうちに台北行きがやってきた。

 1時間少しの乗車で桃園に到着。

 高鉄桃園站から連絡バスで桃園機場へ。桃園機場は人民(大陸からの旅行者)で大混雑で、保安検査や出国審査場は長蛇の列であった。台北到着時の入国審査場でも同様。この現象は2,3年前から現れていたが、4月から大陸住民の台湾への個人旅行が解禁された(今は北京、上海、広州の住民に限られているが)たため、今までで最も激しい混雑だった。

  2,3年前まで桃園空港の出入国審査と保安検査はあまりまたされなかったが、最近は長く待たされるようになり、今回は入国は20分、出国も保安検査場の待ち時間も合わせると20分くらい待たされた。2008年に人民の団体旅行が解禁され、さらにこの4月から個人旅行が解禁された影響がモロにでている。なお、台湾住民の場合は、日本の自動化ゲートや香港のe道に似た機械を利用できるので、これを使えばあっという間に出入国ができる。

  並んでいる人の多くは「大陸居民台湾来往通行証」という薄紫色の手帳と、「中華民国台湾地区入境許可証」というA4版の紙を持っているから人民だとわかる。手帳はパスポート、A4版の紙はビザに相当するもののようだ。

  大陸から台湾への1年間の渡航者は、年の途中で団体旅行が解禁された2008年に6万人だったのが、09年に60万人、10年に120万人、11年に200万人になったという。個人旅行が解禁された今年はさらに増えるのは間違いない。一方、日本から台湾への渡航者は、近年は年間120万人程度のようだ。2011年は過去最高で129万人だったとのことだが、それでも、昨年からは日本人ではなく人民が最大のお客さんに代わったようだ。

  2007年までは中台間の直行便はなく、2008年にはじめて直行便が運航されるようになり、09年に桃園機場の電光掲示板で中国の都市の行先を見たときにはとても新鮮な感じがした。それが、今や、桃園機場の電光掲示板の半分は中国の都市が占めるまでになっている。また、その行先も09年ごろは主要都市に限られていて、哈爾浜(ハルビン)などを見つけるとこんなところにまで飛んでいるのかと思ったのだが、もはやそんなものじゃなく、先日は、南昌、長沙、長春とかも行先になっているのを見て、各省の省都級の都市にはほとんど飛んでいるのじゃないかと思った。省都じゃなくても寧波とか無錫に飛んでいるのもわかる。
 
  チェックインのあと、人民で大混雑の保安検査、出国手続をすませる。

 そのあとサクララウンジで休憩。点心が置かれているのが、台北のサクラの特徴。せいろの中のチェックもきちっと行われていて、なくなればすぐに補給されている。たまたま空であっても5分位して再び行けば必ず入っている。

 マンゴープリンがあるのも特徴。ミニケーキもあるのだが、こちらは好きではない。台北のサクラは海外のサクラの中でもいい部類じゃないかと思う。
 帰国便はJL816。

 行きはシャンペンを注いでくらたのだが、帰りは瓶入り。帰りは飛行時間が短いから、このようにしているのかな。

 帰りは和食にしてみた。飲物は白ワイン。

  台北からの復路では寿司定食が定番であったようだが、今回は違っていて、以前よりよくなっているなと思った。

 

 ハーブティーとアイスクリーム。

 食事を楽しんでいたら、あっという間という感じで関西空港に到着し、今回の旅も終了。

 

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