2日目 その2 + 3日目 嘉 義 街 歩 き
![]() ここは嘉義の中心。ここから歩いて阿里山森林鉄路車庫園区へ。 かつて働いていた蒸気機関車や貴賓車が展示されていた。 |
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![]() この車庫園区のすぐそばに嘉義市立博物館があったが、時間の関係でパスした。
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![]() 上右 月を除く毎日、1日4回のガイドツアーがあり、それに参加しての見学となるようだ。このとき15時30分をすぎており、この日の見学はかなわなかった。 左 壁に囚人の人形があり、脱獄しようとしてたのにびっくり。 |
![]() どんどん歩いて公園の中を突き進んだ。このころに少し雨がパラパラとしていて困ったのだが、かまわず歩いた。 |
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左 ようやく射日塔に到着。森の中に立つ塔。ここには、1943年に第2代目の嘉義神社が建てられ、戦後は、それが中華民国忠烈祠として使われた。しかし、1994年に火事で消失。その後、1997年に塔ができたようだ。 上 「射日塔」という名だが、原住民のタイヤル族の伝説に弓矢で太陽を射るというものがあり、そこから名づけられたとのこと。これは塔の12階にある射日伝説をモチーフにした作品。 |
![]() 下左 第1代嘉義神社の土台部分。第1代のほうはあまり大きくなかったようだ。 下右 嘉義神社の祭具庫。昔のまま残っている。
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上右 戦後作られた忠烈祠の門。日本時代の燈籠がその前にあるのが何とも奇妙。 左左 狛犬。 左右 燈籠。 |
![]() 内部も畳で日本風のつくりになっているのだが、写真撮影禁止。 ここは17時までで閉館なのだが、何と16時55分に入った。入るときになにやらムニャムニャ言われたがよくわかからなかったっが、17時でおしまいってことだったのだろう。急いで見て回った。日本統治時代の嘉義のことなどが展示されていたが、残念ながらゆっくり見られず。 |
![]() その途中にあったのが嘉義市政府。結構立派な建物であった。 |
![]() ここは食べ物も多いが、衣類のお店の率が高い。気をつけなければならないのは、屋台が出ていても歩行者天国じゃないのでバイクがバンバン通るので危ないこと。 |
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![]() ![]() 左右 小籠包。
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上右 雲呑乾麺。湯麺と乾麺があったので、スープのあるなしの違いかと思ったが、少しスープが入っていて、乾燥した麺を茹でているという意味なのかと理解した。でも、湯麺よりはずっとスープが少ない。雲呑は麺の下に隠れている。 左 さらに文化路を歩き、凍圓のお店があったので入って、デザートをいただくことにした。 |
![]() 台北はもちろん高雄、台南、台中でも大きな夜市がいくつかあるが、嘉義は文化路くらいなもののようだ。ホテルに戻り、大きな部屋で満足しつつ、1日を終えた。 |
3 日 目
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![]() 朝食をしっかりいただいて、バス停へ。雨が降っていたが、バス停までさえ切り抜ければ、あとは雨の心配はないので、バス停までだけは少し雨にぬれて移動。まもなくやってきた連絡バスに無料で乗車。 |
![]() 30分ほど乗車して高鉄嘉義へ。券売機でクレジットカード払いで切符を購入。 |
![]() 1時間少しの乗車で桃園に到着。 |
![]() 2,3年前まで桃園空港の出入国審査と保安検査はあまりまたされなかったが、最近は長く待たされるようになり、今回は入国は20分、出国も保安検査場の待ち時間も合わせると20分くらい待たされた。2008年に人民の団体旅行が解禁され、さらにこの4月から個人旅行が解禁された影響がモロにでている。なお、台湾住民の場合は、日本の自動化ゲートや香港のe道に似た機械を利用できるので、これを使えばあっという間に出入国ができる。 並んでいる人の多くは「大陸居民台湾来往通行証」という薄紫色の手帳と、「中華民国台湾地区入境許可証」というA4版の紙を持っているから人民だとわかる。手帳はパスポート、A4版の紙はビザに相当するもののようだ。 大陸から台湾への1年間の渡航者は、年の途中で団体旅行が解禁された2008年に6万人だったのが、09年に60万人、10年に120万人、11年に200万人になったという。個人旅行が解禁された今年はさらに増えるのは間違いない。一方、日本から台湾への渡航者は、近年は年間120万人程度のようだ。2011年は過去最高で129万人だったとのことだが、それでも、昨年からは日本人ではなく人民が最大のお客さんに代わったようだ。 2007年までは中台間の直行便はなく、2008年にはじめて直行便が運航されるようになり、09年に桃園機場の電光掲示板で中国の都市の行先を見たときにはとても新鮮な感じがした。それが、今や、桃園機場の電光掲示板の半分は中国の都市が占めるまでになっている。また、その行先も09年ごろは主要都市に限られていて、哈爾浜(ハルビン)などを見つけるとこんなところにまで飛んでいるのかと思ったのだが、もはやそんなものじゃなく、先日は、南昌、長沙、長春とかも行先になっているのを見て、各省の省都級の都市にはほとんど飛んでいるのじゃないかと思った。省都じゃなくても寧波とか無錫に飛んでいるのもわかる。 |
![]() そのあとサクララウンジで休憩。点心が置かれているのが、台北のサクラの特徴。せいろの中のチェックもきちっと行われていて、なくなればすぐに補給されている。たまたま空であっても5分位して再び行けば必ず入っている。 |
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![]() 行きはシャンペンを注いでくらたのだが、帰りは瓶入り。帰りは飛行時間が短いから、このようにしているのかな。 |
![]() 台北からの復路では寿司定食が定番であったようだが、今回は違っていて、以前よりよくなっているなと思った。
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![]() 食事を楽しんでいたら、あっという間という感じで関西空港に到着し、今回の旅も終了。 |