2 日 目 集 集 線 と 日 月 潭
集集線の終点まで |
台北の新駅旅店では朝食は提供されていなかったが、台中では朝食付きだ。朝食は7時から。7時少し過ぎにレストランに向かった。 エレベータで1階まで下りたのち、階段で地下1階に歩いて下りる。そこがレストランで、ビッフェ方式の朝食だ。 レストランもガラス張りでおしゃれな感じで気持ちいい。 |
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一通り、出されていたおかずは食べてみることにした。このあと、お粥もいただいた。 特徴は、写真の左上の人の形をした置物。階段を下りて、レストランに入ったときに、部屋番号を言って、かわりにこの人形?を受け取るのだ。 |
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朝食後、いったん部屋に戻って少し休憩。この日の荷物だけをリュックに入れる。 台中発8時17分の集集線直通の車[土呈]行きに乗車する。([ ]は2字で1字を表す) そのために、後站から駅に入った。表の威風堂々とした駅舎(こちらは前站という)からは想像つかないようなローカルぽい小さな駅舎が後站だ。 |
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自動改札機を抜けるとすぐに階段があって、ホームまで長い地下道を歩く。 |
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8時17分の集集線直通列車は気動車。集集線は非電化だからだ。そして、西部幹線では一部の駅を通過する「区間快車」である。駅の時刻表でも、対號列車(自強號など)の赤、区間車の黒に対して、「区間快車」は緑で表示されている。とはいえ、集集線に入る二水までの所要時間は区間車の電車と同じだ。 車両の真ん中にある丸い区切りは円形の中華風の門を連想させる。二水までは、この写真のように座席がほぼ埋まる程度だった。 |
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車内から見た二水站ホーム。 二水で客がたくさん乗ってきて立客でいっぱいになった。台南方面からの客だろうか。 集集線に入るとサイクリングロードが並行して走っている。南国風の樹木の森の中を通り、気持ちがいい。トンネルもある。 |
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終点の車[土呈]には、本来10時2分に着くはずが6分に。折り返しは10時10分だ。当初はこの折り返し便でひとつ手前の駅である水里まで戻り、バスで日月潭に向かうつもりだった。 ところが、ネットで調べていると、日月潭に向かうバスの始発は車[土呈]であることが判明した。そしてバスは10時30分発であったので、車[土呈]を少し散策して、ここからバスに乗ることにしたのだが、、 |
車[土呈]と水里で待ちぼうけ |
終点の車[土呈]までたくさんの乗客があって、びっくり。逆に、ひとつ手前の水里は、集集線の沿線で一番大きな集落であるのにほとんど降りなかった。 遅れて10時6分に着いて、そのまま10時10分に出発だが、すぐ引き返すのはつまらない。ちょうど、10時20分発の日月潭行きのバスがあるらしいので、バス停を探して乗車するつもりだ。 |
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駅の構内は広く、駅舎は木造だ。この村はかつて林業で栄えていたようで、この駅からは、木材が運び出された。 |
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駅舎の外側。 |
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10時20分発のバスがどこから出ているかまったくわからなかった。駅に隣接して狭い路地の老街があるが、バスが入ってくるような道じゃない。 老街は傾斜地にあるので、一気に上のほうまで上がった。ちょっとした広場があり、そこから撮影。10時10分発の列車が少し遅れて出発していくところだった。写真真ん中に列車が見えるだろうか。
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さらに坂道を上がると、広い道路に出て、そこにはバス停があった。 車[土呈]発の日月潭行きのバス出発時刻が書いてあって、10時20分というのはなく10時発だった。次のバスは11時30分。老街やかつての製材所を利用した観光施設などを見るには1時間少々がちょうどいいだろうと思った。実は、このバス停から、日月潭行きのバスが出ていなかったことに後で気づくのだが、、 |
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1時間ほどの時間を利用して集落を見て回ることにした。15分ほどで一周できるいうな小さな村である。 車[土呈]はかつて林業が盛んであった。昔は製材工場だったのだろうか。広い敷地、大きな建物をもった車[土呈]木業館ができていて、観光の中心になっている。この地の林業の歴史などを展示している。写真の左下には木工品の即売が行われている。 |
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大きな池あった。かつては貯木場として使われていたらしい。 このあと、広い構内のある駅に戻った。駅は鉄道公園のような感じになっていて、昔の構内が芝生に覆われている。 |
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列車が到着したときに駆け上がった坂道を再び上がった。今度は老街をゆっくり見ながら。 下左 牛舌餅なる菓子を焼きながら売っていたのでひとつ買うことに。15元(約50円)。 下右 牛の舌のように長い餅。 |
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老街をあがり、先ほどのバス停へ。11時20分発なのだが、25分になってもバスはやってこなかった。 それで、時刻表をよく見ると、、、このバス停は「外車[土呈]」で、「車[土呈]」じゃなかったのだ。別のバス停なのに、時刻が書いてあったので勘違いしていたのだ。台湾では、そのバス停の時刻じゃなく、始発のバス停の時刻が書いてあるのは台湾では一般的なのは知っていたのだが、関係ない路線の時刻まで書くなって。 |
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バスは違うバス停から出発してしまっていたのだ。ガァ〜〜ン。 それで、集集線の列車の次の発車は11時37分であったことを思い出して、急きょ、駅に猛ダッシュ。でも、狭い坂道なので気をつけて走った。 列車の11時30分ごろに駅にたどりつけた。まだ数分ある。ふぅ〜。 切符を買う。二水とその次の集集がどちらも15元だったので、集集まで購入。何と、その切符は日本ではもう見かけなくなってしまった硬券だったのでびっくり。硬券は最近は台湾でも見かけなかったのだが、こういう駅ではまだあったのだ。 |
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次の列車も少し遅れていたようで、到着したところだった。この列車からも大勢の客が降りていた。 |
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派手に塗られたディーゼルカーに乗車。急いでいて疲れたので、車内で出発を持った。折り返し列車の客は多くない。普通の観光客はそんなに早く帰らないしなぁ。 下左 水里に到着。 下右 下りる人はわずか。 |
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水里站の外観。田舎の駅にしては、堂々とした駅舎だ。 下左 駅からすぐのところにバス停があった。員林客運の水里站だ。南投客運の日月潭行きのバスは向かいのコンビニの前がバス停になっている。次のバスだが、車[土呈]発が12時40分なので、このバス停には12時45分くらいにやってくるかな。 下右 バス停の向かいのコンビニ。この前から日月潭行きのバスがでる。 |
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バスの発車まで1時間ほどある。コンビニに入ると、おでんやお茶で煮出した卵などを売っていたので、これを昼食にすることにした。 おでんは「関東煮」と表示されて、本来は種類が豊富なコンビニおでんだが、この店ではあまり多くなかった。やはり田舎だからか。 左はお茶で似た卵。真黒な茶の中で煮ているだけあって、卵の白身は中まで茶色くなっていた。
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さて、コンビニで昼食をとったあと、バス停でしばらく待ち、12時45分になり、日月潭行きのバスを待とうと、コンビニの側のバス停に移動しようと思ったそのときだった。日月潭行きのバスがスピードも緩めず、目の前を通過していった。バス停に客がいなかったので、通過したのだ。またしても、ガァ〜〜ン。 気持ちを取り直して、次のバスに乗ることにした。次は、車[土呈]発が13時50分。水里は13時55分ごろだろう。早めにバス停で待つことにする。 それでも1時間ほどまた時間ができたので、集落を歩いてみることにした。歩いてみると、長さ200mほどの商店街があった。
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水里市場もあったので、中に入ってみた。閑散としていたが、開いている店もあった。 |
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市場近くの路地裏。歩いている人は少ない。 |
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13時55分ごろにバスはやってきた。さきほど通過したバスは大型だったが、今度はミニバスだ。 集集線で車[土呈]に到着した列車ですぐに水里に引き返すプランと比べて3時間45分よけいに、このあたりで過ごすことになったが、すぐに引き返して、バスに乗り換えられていた場合より、いろいろ見ることができて結果的にはよかった。 |
台湾最大の湖、日月 潭 |
水里から日月潭は、距離はそれほどないのだが、間にある山地に邪魔をされて、カーブの連続する道路になっていて、40分弱かかった。 下左 ミニバスの系統表示。 下右 乗車後25分ほどすると日月 潭の湖岸に出る。このあとは湖岸の最大の集落である水社をめざす。そこに、日月潭のバスターミナルがある。ホテルやみやげ物店も多い。 |
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上左 日月潭のバスターミナル。ここで、またまた失敗。14時35分に到着し、湖岸をめぐるバスに乗り換えようと、時刻表を見ていた。14時40分発であったので、バスを探そうとしたそのときだ。バスが出ていってしまった。そのため、15時30分発のバスに乗ることにして、先に水社集落の周辺を回ることにした。 上右 梅荷園。日月 潭の全景を見渡せる展望台。1970年までは憲兵隊が管理していて、入ることができなかった。 左 梅荷園からの眺め。 |
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上左 耶蘇堂。キリスト教会だが、なんだか神殿風だ。 もとは蒋介石の別荘の中にあり、蒋介石が日月潭に滞在する際の礼拝所として用いられていた。 上右 耶蘇堂の内部。 左 蒋介石記念亭。かつて、蒋介石の別荘があったので、湖を行き来する船をここから監視したという。ここからさらに1km強の歩道が続いている。涵碧歩道とよばれ、ジャングルの中のようなところもあるらしい。ここは、歩いてみたかったのだが、次のバスに乗らないと、湖を回るのが難しくなるので、ウォーキングはとりやめた。 |
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日月潭の周囲をめぐるバスは9時から18時ごろまで20〜40分間隔で運転されている。このバスを使って、湖の北東部にある文武廟と南岸にある玄奘寺に行ってみることにした。 はじめの計画では、さらに湖の東岸にあるロープウェイ乗場でも降り、ロープウェイで九族文化村に行くつもりだった。ロープウェイの往復と九族文化村の散策で3時間くらいかかると思っていたが、車[土呈]と水里で時間をロスしてしまったので、ロープウェイと九族文化村はパス。 |
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自分しか乗っていなかったバスに乗ること25分。終点の玄光寺の手前の玄奘寺で下車。入口の下には玄奘の歩いたコース図があった。 この寺には玄奘(三蔵法師)の遺骨を祀っているという。一時は日本の寺にあったが、こちらに移されたとのこと。 下左 本堂。 下右 玄奘像。玄奘の遺骨は3階に安置されているらしいが、3階にあがることはできなかった。 |
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玄奘寺からの日月 潭の眺め。ビルが写っている対岸が水社集落。 玄奘寺でも時間が1時間くらいあれば歩道を歩いていきたかったところはあるが、25分ほどしか時間をとれなかったので、玄奘寺をみただけ。
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バスで15分ほど戻ったところの文武廟で下車。文の孔子と武の関羽を祀っている。 湖の近くにあった廟がダムのために水没するということで移されたらしいが、1999年9月の大地震で倒壊し、新たに建てられたという。 廟の前には、愛情、平安、材運を祈る像がある。
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巨大な獅子像。狛犬のように階段の左右に配置されている。写真は右側の獅子で、左側にも対称的に獅子が置かれている。高さは8m。 |
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廟の一番奥には孔子と関羽が祀られている。 |
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文武廟では40分の時間があったので、廟をみたあと、売店で少し買い食い。 |
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豆餅と煮卵を買って食べた。豆餅は縦に切れ目を入れて、中に辛い漬物などが入れられた。 |
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日没が近づいている日月潭。 |
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文武廟から水社に戻ったのが17時30分。17時40分に台中まで直行のバスがあるので、それに乗ろうと思っていた。 17時40分のバスにはかなりの行列ができていた。すぐに並んだが、座れるかどうか心配だった。ぎりぎり座れるか無理かといったところ。17時35分にバスがやってきて乗車。あと2、3席といったところで乗車でき、何とか座れた。そして、2、3人あとからは、座れないどころか、乗車できなかった。「客満」のプレートが前に置かれ、ドアが閉められて、あとの客は乗れなかった。危ないところだったが何とか乗車できてヤレヤレ。 |
台中の寂しい中華路夜市 |
日月潭から台中までの直行バスの所要時間は本来なら1時間40分なのだが、運悪く日月潭を出てすぐのところで葬式のにぎやかな行列に遭遇し大渋滞に巻き込まれた。それだけで30分の遅れ。そのあと、客満であるから、新たな客は乗れないのにわざわざ、いったん九族文化村に立ち寄り。山の中にある、曁南国際大学でも立ち寄り。それぞれ数km余計に走っている。 高鉄台中站で半分の客が下車した。高鉄を使って、日帰りで日月潭にやってきた人たちだろう。さらに20分ほど乗って、台鉄台中站に着いたのは20時ごろ。 |
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すぐにはホテルには戻らずに、そのまま夕食をとってからホテルに帰ることにした。夕食をとるのは、時間も遅くなっているので後站に近い忠孝夜市も考えたが、数年前に行ったことがある中華路夜市がどうなっているか見たい思いが強く、中華路夜市に行くことにした。 台中站から前日に行った宮原眼科の前も通り、台中名物の太陽餅の店が並ぶところへ。よくみると電気がともっていない店がある。最近、老舗の店の一軒が店をたたんだらしいがこの店なのかなぁ。太陽餅は生地がパサパサでポロポロこぼれそうなので買わなかった。 |
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さらに歩くと「台中市第二市場」の建物の前についた。古くて味わいのある建物だ。日本統治時代の1917年に建てられた。 中もふるくさくて面白いらしいが、この時間では中の店舗もあいていないだろうし、建物を眺めただけで先を急いだ。今度、台中にきたときには立ち寄ってみたい。 |
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中華路夜市に到着。台中で一番歴史がある夜市だという。古い店舗が多いという。 昨日行った逢甲夜市と比べると人通りはずっと少ない。この日は日曜だったので、土曜よりは少ないだろうが全然違う。逢甲夜市ではエリア一帯が歩行者天国になっていたが、ここは中心になっている道路も車が走っている。この道路の両側に店舗や屋台が並ぶが、前日のことを思うとかなりさびしい。ただ、長さは長くて500mくらいの間、両側が夜市になっている。 |
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一通り、開いている店が少なくなり、暗くなるところまで歩いて、食べながら引き返した。 まず入ったのは、40年老店と書かれた、麺類、飯もの、粥、湯(スープ)といろいろ出している店へ。 |
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三鮮炒麺と蝦仔煎を注文した。あいにくテーブルがつまっていたが、まもなく空きそうなテーブルがあったので、それを見越して注文をした。注文すると同時にお金を払うシステムであった。 やがてテーブルが空いたのでそこに座って待ったが一向に料理が運ばれてこない。催促しても最初は注文してないと思われた。ようやく持ってこられたのは、持ち帰り用の紙箱に入れられた料理。立ったままで注文したので、持ち帰りと間違えられたらしい。紙箱は昔の店の写真が印刷されなかなか味がある。 |
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三鮮炒麺。 イカ、エビ、豚肉入りの焼きそば。 |
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蝦仔煎。 エビ入りオムレツ。カキ入りオムレツは[虫可]仔煎だが、その具をカキからエビにかえたもの。味は、[虫可]仔煎と同じような感じ。([ ]で一字) |
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次に担仔麺の屋台へ。今度は店舗がなく、屋台なので、調理している後ろにあるテーブルに座った。 |
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担仔麺。 台中にいるの台南の麺を選んだ。肉そぼろと香菜が置かれるのが担仔麺の特徴。さらに魚のつみれが置かれた。小ぶりの器で、量が少ないのも担仔麺の特徴。しかし、先の店で食べた分とあわせて満腹になった。 |
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最後に飲み物の屋台へ。 |
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木瓜牛乳(パパイヤミルク)にした。牛乳を加工した飲みものは余り好きじゃないが、台湾のパパイヤミルクは例外だ。 中華路夜市は前日の逢甲夜市に比べ、特徴がなく、面白みに欠けていた。 ここは歴史があるが、特徴がないために逢甲夜市に客が移ってしまったのであろう。とりわけ、若者の好きそうな食べ物などは圧倒的に逢甲夜市に軍配があがる。 台中にはまたくると思う。前回とあわせ、鹿港方面と日月潭方面はいったのだが、あと霧社方面にも行ってみたいからだ。でまた夜市に行くなら、逢甲夜市に行くか、駅にも近くまだ行ったことがない忠孝夜市かな。 このあと、ホテルに戻り、2日目を終了。 |