2 日 目 台 南 の 日 本 人 廟 巡 り
台南の北郊外の日本人廟 |
上左 ホテルは朝食付きだし、この日は日本人廟巡りで、このあと台南車站から8時50分発のバスに乗車するので、ゆっくりする余裕もないので、ホテルで朝食をとった。 上右 台湾風の標準的なビッフェのようだ。 左 スープと魯肉飯もいただく。コーヒーをプラスチック製のコップで飲むというのが面白い。 |
上左 8時50分、台南車站発の橘11に乗車。マイクロバスだったが、乗客は自分を入れて4人。途中で乗り降りはあったものの、4〜5人の客の状態が続いた。 上右 40分ほど乗車し、海寮というバス停で下車。西に行くと、幹線道路があって、そこを北上。やがて川にさしかかるが、川は渡らずに、堤防の下の道路を西へ歩いた。バスを下車してから25分ほどで巨木の下に廟らしいものが見えてきた。ここだろうと確信した。 左 確かに廟であった。めざしていた将軍殿である。 |
上左 中に祭壇があり、手を合わせて参拝。祭壇の周りはきれいで、管理が行き届いている。 上右 祭壇の上に3人の日本人の写真があった。この付近で、訓練中に撃墜されて戦死したらしい。 左 25分かけて海寮に戻り、逆方向の橘11に乗車。10時45分ごろの出発だったので、将軍殿は5分ほどの滞在しかできなかった。 今度の橘11は10分ほど乗車して、順程公司で下車。 このあと20分ほど、幹線道路に沿った道を歩いた。交通量が多く危ない道路だった。やがて、幹線道路に沿って、ローカルな道路ができ、その起点には、ゲートが作られていた。上部には、七元帥廟とあり、日本人廟が近いことをうかがわせた。 |
上左 ゲートから10分ほど歩いて、ようやく田のど真ん中に木立に囲まれた建物が見えてきた。 上右 めざしていた七元帥廟があった。 左 鉄格子の向う側に本尊が安置されている。手を合わせて参拝。七元帥とは、本尊が7体あるからだろう。 7人は一緒に飛行機に乗っていて、飛行機が空中爆発。7人とも戦死したという。詳しいことは、中国語の説明文はあったのだが、読めないのでよくわからなかった。 |
←登場する地名の関係図 |
台南の日本人廟は5ヶ所を回る予定なのだが、2ヶ所が台南の中心部からみて北郊外にある。残り3ヶ所は、南東の郊外にある。そのため、路線バスで回る場合は、いったん台南車站へ戻る必要がある。 橘11に乗るつもりだったが、この系統は台南車站発はわずかな便数で、ほかに安南医院発で北郊外へ向かう便も同じ程度の便数がある。だから、安南医院よりも北のほうが、台南の中心部よりも便数が多いのだ。乗るつもりだった便も安南医院行きだったのだ。安南医院から台南車站へは、歴史博物館発の市内バスが30分に1便程度ある。 ところが、橘11を下車した順程公司から七元帥廟までが、予想以上に時間がかかり、安南医院行の橘11に乗れない見通しになった。そのため、安南医院へは歩いて行くことにした。 歩くこと1時間。ようやく大きなビルが見えてきて、安南医院だろうと思った。近くへ行って、確かに安南医院であることが確かめられた。 下左 バス停で時刻を確認すると、台南車站へのバスは出発したところで、30分ほど待ち時間があった。地下に病院食堂があるに違いないと考えた。 予想通り、外来患者や職員のための食堂があった。欲しいものを伝えて、容器に盛ってもらう方式だった。 下右 病院の食堂にしては明るく、きれいでよかった。食堂の前にはコンビニもあった。 |
街中の同じような食堂と比べても安く、おかず3品とご飯で35元(約130円)だった。 あまりに急いでいたために、食べる前に写真を撮り忘れてしまい、魚とご飯を少しいただいてから撮影した。左上は大根を煮たもの。 下左 病院の玄関にあるバス停。バスは大通りから玄関まで入ってくる。以前、歴史博物館に行ったときに、玄関まで入っていくことを知っていたので、バス停はすぐにわかった。 下右 乗車した18系統のバス。歴史博物館始発で、40分ほどかけて台南車站に戻った。台湾好行のデザインだが、もちろん台湾好行とは無関係の路線だ。 |
台南の南東郊外の日本人廟 |
上左 登場する地名の関係図 上右 18系統で台南車站に到着すると、13時40分ごろ。すぐに3系統の乗場に向った。 14時ごろ発の3系統のバスに乗車。10分余りの徳高国小で下車。ここからは延々、台南の南東に向って歩いた。幹線道路に沿って歩くが、車はそれほど多くない。ところどころに集落があるのだが、市内バスの路線網の恵まれないエリアだ。 1時間ほど歩いて、農地の中に建っていた北極殿に到着した。 |
廟の中の本尊はよくみえない。廟の由来を記した説明も書かれていないので、日本人廟だと自分では確証をもてなかった。 |
北極殿を出た後、幹線道路に沿って北上。付近は工業地帯で、道路の両側は工場が立ち並んでいる。台南というと、工業とはあまり縁がなさそうなのだが、南東部は工業地域なのだ。 |
1時間20分ほど歩いて、農地の中に建っている師軍廟に到着した。柵の外側から参拝。 下左 大小2体の本尊がおかれている。 下右 説明を見ると、大小2体の本尊は、山本元帥と龍田元帥で2人も入れて12人の日本軍人が祀らているようだ。 |
上左 再び歩いて、5つ目の日本人廟に向う途中で日没。 上右 1時間20分ほど歩くと、もう暗くなっていたが、慶隆廟と書かれたゲートはよくわかった。 左 慶隆廟に到着し、参拝。本日回った5ヶ所の日本人廟の中では一番立派なつくりになっている。外観は赤色が派手に使われ、屋根にはたくさんの彫刻が施され、典型的な中国建築の道教の廟だ。 |
3体安置されている本尊のうちで、一番右側が日本軍人の軍服を着ている。軍服と言ってもかなり古い感じで、明治時代ごろの軍服のようだ。あとは詳しことはよくわからなかった。 下左 さらに北へ15分ほど歩いた栄民医院のバス停へ。バス停に出る前に、昼食を食べた安南医院と同じくらい大きな栄民医院があった。 下右 やってきた2系統のバスで台南中心部に向った。 |
魚湯と米糕 |
2系統のバスは15分ほどで台南車站に到着。多くの人が下車してガラガラになったが、ここが終点ではない。市内中心部を通って、安平古堡に向かうのだ。 安平古堡に向うには民生路を西に向えばいいのだが、2系統はかなり南の健康路を西に向って、その後、西門路を民生路まで北上してから、民生路を西進する。各停留所で乗る客があり、だんだん乗客が増えていった。15分ほど乗車後、西門友愛街口で下車。 夕食をとるため、国華街に向った。水仙宮市場に食堂が集まっていたが、その中の1店である水仙宮三兄弟魚湯店に入った。 |
上左 店内から店の外側に向って撮影。 上右 伝票を見ると、魚湯が一番上に書いてあって、魚湯メインの店だとわかる。 「石斑」(はた)と「海鱸」(すずき)のそれぞれの「魚肉」と「魚頭」のスープがあるようだ。 左 「石斑魚肉」の小を注文。白身のあっさりした魚だ。 |
炒青菜と肉燥飯。3品で140元(500円)の夕食。 |
このあと、民族路を歩いてホテルへ。途中、小南米糕の店を見て、「米糕」って何だろうって思って入店してみた。 |
米糕。何かと思ったら、「おこわ」のことだった。「おこわ」の上に、魯肉飯の肉そぼろがかけてあり、さらに肉でんぷ、それにきゅうりが添えてある。40元(145円)。 |
店内から外を見る。 ホテルに戻り、この日どのくらい歩いたか考えてみた。午前中14km、午後14km、夜2kmで合計30kmほど歩いたようだ。歩いて疲れたが心地よかった。 |