2   ブ ラ レ ジ ア と ド ゥ ッ ガ

 

 3時に眠りについて、5時に起きた。2時間しか眠っていないが、二度寝して寝過ごすと困るので起きておいた。

 この日は、ヒョウちゃんとともにプラレジアとドゥッガに行くことになっている。手配の車は7時30分にくる。

 朝食は6時からなので、レストランが開けばなるべく早く行って、余裕をもちたい。

 TVをつけると、コーランの番組。ここはイスラム国だったと改めて実感した。

 6時20分ごろにレストランに行った。品数は多くはないがビュフェだった。

 食べていたら、ヒョウちゃんが登場。ヒョウちゃんは、一足先、3日前にチュニジアに入国。チュニスからいったん北部のタバルカに行って、再度チュニスに戻ってきていた。

 食事をしながら情報交換。すぐに必要なこととして水の購入があったのだが、ホテルのすぐ近くで水を売っている店を聞き、7時30分までに買っておくことにした。

 いったん部屋に戻り、この日持っていくものだけをリュックに入れ、7時に部屋を出て、水を買いに行った。左は、5泊したエル・ハナ・インターナショナル。 このときはじめて外観をながめた。
 水を買ってホテルに戻ってくると、ヒョウちゃんとドライバーが玄関から出てきた。予定より早く7時15分ごろ出発。
 
 まず、プラレジアに向かう。

 思っていたよりも道路状態がよく、高速道路もあった。丘陵が続き、車窓にはオリーブがよく見られた。

 ヒョウちゃんとは到着するまでずっとお話しし続けた。ヒョウちゃんとは、メキシコのオアハカで現地オフ会して以来、何度かお会いしているが、今回はまる1日ご一緒できた。

 

 ブラレジアには9時45分ごろに到着。左は入口。

 ブラレジアは世界遺産ではないが、チュニジア北部ではドゥッガとともに回ることが多い遺跡だ。

 元来はヌミディア王国の首都だった。この王国はポエニ戦争のさい、第2次ではカルタゴ側についたが、その後ローマ側につき、第3次ではカルタゴ滅亡に力を貸した。その後、ローマの属州になった。 

 ユリア・メムニアの浴場。

 上の画像に写っているのもこの浴場だ。

 床にはモザイクが少し残っていた。

 劇場。

 フォーラム。下は泉。

 今も使われている泉があり、洗濯をしている人がいた。

 

 

 

 

  かたつむりがたくさん発生していた。

 下 アンフォトリテの家。

 外観は大したことはないが、地下に下りてみると、モザイクがたくさん残されていて、目をみはった。

 

 

 

 

 

 

 

 ここに残されたモザイクの中で一番美しいと言われる、トリトンとアフロディーテのモザイク。

 新狩猟の家。ここでフランス人の大ツアー集団に遭遇した。

 ここも地下室にモザイクが残されているらしのだが、降りることはできず、地上からはよく見えなかった。

  ビザンチン時代のバジリカ。洗礼所のくぼみ。
 

  昼食は、ドゥッガ遺跡の近くの町にあるホテル、トゥッガでとることになっていた。ブラレジアから1時間ほどで到着。ツアーの場合なども同じホテルを利用するようだ。

 今回の場合も、車手配に昼食と遺跡入場料がセットになっていた。

 昼食はコースになっていて、まずはチュニジアンサラダ。ツナが入っているのが特徴である。

 ブリック。クレープの生地のようなものに、半熟玉子、野菜、ミンチにした羊肉、ツナなどを包んで揚げたもの。

 クシャ。羊肉のトマトソース煮込み。やわらかく、骨なしで 、赤いけど辛くなく食べやすい。これにご飯がつく。デザートはスイカ。

   ホテルトゥッガからドゥッガ遺跡までは10kmほど。10分ほどで到着した。遺跡へ行くためだけの道があって、その終点が遺跡だった。

 ヌミディア王国の都市トゥッガの跡で、世界遺産である。

 遺跡に入場すれば、すぐ目の前にあるのが、劇場。

 最上部まで上がると、遺跡が傾斜地にあり、劇場はほぼ最上部にあることがわかる。ブラレジアの劇場よりも大きい。下は劇場の舞台上。

 劇場のあとは、坂を下ったのだが、途中で進むべき道がわからなくなった。下は、キクロプスの浴場と思われる。どこが浴場なのかという感じで今となっては不明。

 キクロプスの浴場から細い道を下ると、遺跡の一番低い部分にリビコ・プニュック廟の高い塔がある。

 この塔、目立つので高い位置から目標になっていたが、見えたり、見えなかったりしていた。

 ローマ時代以前のヌミディア王国時代の建造物として行き残っていたが、19世紀に大英博物館に運び出される寸前に崩壊。その後、フランスが再建したものだという。

 

 トリフォリウムの家。

 画像真ん中の上にリビコ・プニュック廟が見えるが、そこから坂道を上ってきて、ここにたどりついたのだ。

 中庭を囲んだ小部屋のひとつにクローバー(トリフォリウム)の葉の形があり、そこが売春宿だったらしい。

 暑さでかなり疲れていたので、階段を下りてまた上るのもと、中庭には下りず。

 つぎにリキニアの浴場を探して、動き回った。

 それらしき場所に行く道が見当たらず、行けば行ったで、先に進めなかったりと苦労した。

 2本の柱が見えているが、撮影しているこちら側からは柱のあるところへは進めないのだ。

 暗いトンネルがあって、そこを抜けると、右のような場所に出た。ここがリキニアの浴場なのかもしれない。

 

 

 

 さらに進むと、左のような柱がたつところに出た。ここは、2つ上の画像で、2本の柱が見えていたところだ。いろいろ回って戻ってきていたようだ。
 
 ローマ人の住宅。その中でも、デオニソスとユリシーズの家。

 床にはモザイクが残っているのがわかるだろうか。ここはモザイク保護のためか、内部には入れない。

 マーケット。

 遠くにキャピトルが見える。

 キャピトル。

 ここがドゥッガの中心。遺跡の中でもひときわ目立つ。

 風の広場。

 キャピトルの東側に隣り合っている広場。

 

 

 

フォルム。

 キャピトルの西側に隣り合っている広場。 

 

 フォルムから西の方へオリーブの森を抜けて歩いていくと、しばらくして、カエレスティス神殿がある。

 

 貯水場。

 アレクサンデル・セヴェルスの凱旋門。

 

 

 

 

  

 キャピトルまで戻ってきた。頭を切られた大きな像があった。
 
  売店でのどを潤して、ドッゥガ探索を終了。

 暑かったの一言。できれば夏は避けた方がよいと思った。

 このあと一路チュニスへ。

 車中では行きと同様、ヒョウちゃんとお話しし続けた。

 下左  事故現場に遭遇。

 下右  料金所。

 

 

 

 

 

 

 17時ごろホテルに帰着。

 いったん部屋で休み、19時に食事に出かけることにした。

 19時には、ホテルの前の通りが歩行者天国になって、人出が増えていた。

 お目当ての店が営業してなかったので別の店へ。行ったのは「カプリ」。

 飲み物はロゼワインとミネラルウォター。

 

 

 突き出しとパン。真ん中はハリサ。とうがらしペーストだ。この店では、オリーブ油とツナが入っていた。
 
 前菜はブリック。昼に続いてだが、実はこのとき、まだチュニジア料理のことがよくわからず、昼と同じものを注文してしまったのだ。

 

 

 

  

 ステーキとポテト。ちょっと量が期待していたよりも少なめだったのが残念。
 
 
 デザートはフルーツ。

 これで、ヒョウちゃんとともに過ごした1日も終了。ホテルに戻って、眠るだけ。

 

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