(3) イスタンブルその2
イスタンブル2日目は、旧市街地を中心に回ることにした。この日は月曜日、よって休館である博物館もあるのだが、観光シーズンということで、月曜日でも開館していることを期待。この日は、夜は夜行バスでカッパドキアに向かうので、2泊したホテルに荷物を預かっておいてもらい出かけた。
まずは、ホテルから一番近いアヤソフィアへ。残念ながら、月曜日は休み。あきらめて、トプカプ宮殿へ。途中、考古学博物館の前を通り、ここもまた休みであることを知る。
トプカプ宮殿は火曜日が休みのため、入場することができた。ガイドブックなどでは、9時30分から開くことになっているが、9時に入れるようになっていた。1453年にコンスタンティノープルが陥落したあと、この町はイスタンブルとしてオスマン朝のスルタンによるトルコ支配の拠点になるが、その支配の根拠地として、1460年代からこの宮殿が作られだした。19世紀後半にドルマバフチェ宮殿が利用されるようにまでの400年間、この宮殿がトルコの政治や文化の中心として機能していた。今も、イスタンブル観光で最大のみどころであるといえる。
宮殿そのものと、内部にある宝物館の入場券を入口でまず購入、あわせて22MTL(約1940円)。そして、入場後、ただちにハレムの入口へ向かい、ハレムの入場券が売り出される10時まで30分以上並ぶ。ハレムが開くのは10時からだから。ハレムの入場券は、10MTL(約880円)。結局、トプカプ宮殿の入場料として3000円弱が必要だったことになる。きわめて高い金額で、全般的な物価の割りに観光に関係する料金は高い国だと感じた。
ハレムの中にあるスルタンの居室
ハレムは、30人程度づつガイドが案内して回る。所要時間は40分程度。ハレムの見学が終わってから、宝物館とそのほかの場所を見て回った。宝物館では、世界最大のエメラルドがみられる。まさに光る塊だ。ほかにも宝石が大量に使われている剣や王冠があり、一時期は世界に君臨した大国であった歴史をしのばせる。
外庭の端のほうからは、イスタンブル市街が一望できる。旧市街地の端の小高い丘の上の、攻められにくい場所にこの宮殿が位置していることがよくわかる。
トプカプ宮殿内にて
トプカプ宮殿を見学し終えるとちょうど正午。続いて、イスタンブルを代表するジャミィ(トルコ語でモスクのこと)である、スルタンアメフット・ジャミィ、別名ブルーモスクを見学。この巨大なジャミィ、ただ大きいというだけではなく、内部の壁の装飾が手が込んでいて、美しい。ジャミィには、入場する前に手足を清める場所があるのだが、ここブルーモスクの洗い場は壮観である。洗い場もきわめて大きい。あまりの暑さに、この洗い場で手足を洗いながら休憩した。同じようなトルコ人もたくさんいる。スルタンアメフット・ジャミィのそばには、スルタンアメフット1世の墓がある。歴代のスルタンの墓は、イスタンブルの各所に分散しているようである。
スルタンアメフット・ジャミィ
続いて、地下宮殿を見学。宮殿という名はついているが、宮殿ではなく、地下の貯水池といったほうが実態を表している。時代をずっとさかのぼって4世紀から6世紀ごろ、ローマ帝国時代に、この町の地下に貯水池がつくられた。宮殿という名がついているのは、地下の空洞をささえるために、円柱が何本もたっていて、それが宮殿のようにみえるからである。薄暗くて、暑い地上と比べると、涼しくて別天地である。順路の一番奥のほうで、偶然発見されたという横向きのメドゥーサがみられる。
このあと、「エミノニュ」まで歩いてみる。トプカプ宮殿の城下町のような感じの商業地帯である。前日に引き続いて、またもや鯖サンドを食する。新市街地で前日行きそびれたメブラーナ博物館にいってみる。ガラタ橋を渡り、再びチュネルで新市街地の上までのぼると、すぐに博物館はわかった。だが、わざわざ足を運ぶほどのところでもなかった。
まだ、暗くなるまでに時間があったんで、グランドバザールに行ってみた。ここのバザールでは、市民向けに日常生活に必要なものを売るような店はほとんどなく、外国人観光客や市外からやってきたようなトルコ人を対象にした高級品の店が多い。そのため、バザールという名前にひかれて訪問したのだが、あまり面白い場所ではなかった。
グランドバザールの内部
グランドバザールの近くを歩いてみるが、暑さのためにバテ気味。近くのピザ屋で食事をして、路面電車でホテルに戻る。ホテルで荷物の整理をしたりして、路面電車とフェリーを乗り継いでハレムのオトガルに向かった。ハレムのオトガルに着いても、バスの発車の21時30分まで1時間くらいあり、時間をもてあました。
次から次へとバスが発着しているが、ベンツ製のバスが一番多い。次に多いのは三菱製。やっとやってきたバスに乗り込む。ほぼ満席で、定刻に発車。このあとトルコで何度もバスに乗ったが、ほとんどの場合、ほぼ満席で、定刻に発車であった。話には聞いていたが、発車後まもなく、まずコロンヤという香水のサービスがある。バスには乗客係が乗っていて、客の差出す手の上に、コロンヤをたらしていくのである。日本でのおしぼりのような感覚のものであろう。そして、そのあとミネラルウォータのサービス。それが終われば、お菓子。さらに、飲み物のサービスと続く。飲み物は、チャイ、コーヒー、コーラ、ファンタのなかから選ぶようになっていた。ほかのバスの場合でも、発車まもなくもこうしたサービス(お菓子だけは、サービスのないバスのほうが多かったけど)が必ずあった。