(8)北キプロス その1
アンタルヤから乗った夜行バス、何と延々とシャンルウルファまで行くのだが、それに気づいたのは途中のドライブイン。自分の降りるシリフケは4時ごろだが、おそらくアダナに6時、シャンルウルファに着くのは12時ごろだろう。何となく貧しそうな人が乗客に多いと思っていたが、東南部や東部はトルコのなかでも貧しい地方である。
アランヤを過ぎたあとは、道が良くないのであろうか。ずいぶんとゆっくりと走る。場所によっては、絶壁になったところに道があり、その下は海というところもあるらしいから、ゆっくり安全に走ってほしい。3時ごろにドライブインで休憩、一体どこなのかまったくわからない。しかし、どこであるかはその少し後にわかった。ドライブインを出て、ものの10分ほど走って、まもなくシリフケだと言われた。すぐに降りる用意をしたが、オトガルではない。まだか、と思っていたら、ここで降りるように言われる。こりゃあ、まずいことになった、と一瞬困り果てる。オトガルは?というと、バスの補助員は、ある方向を指差す。バスを降りると、荷物が出され、10秒とたたないうちにバスは、自分ひとりを暗闇の中において走りさった。
しかたなしに、指差された方向に歩く。2,3分でオトガルを発見。暗かったので、わからなかっただけで、日中であれば、バスを降りればすぐ近くにオトガルがあることがわかったであろう。真っ暗なオトガルで立ちすくんでいたら、まもなくバスがやってきて客がかなり降りる。アダナ行きのバスであった。自分の乗ってきたバスは、シャンルウルファのバス会社のバスで、普段からシリフケで客を下ろすことなどないのだろう。だから、オトガルにバスを入れる権利を持ってない、と考えた。
降りた客のうち何人かはオトガルで待つようだ。自分と同じくキプロスにわたるのだろう。やがて、ひとつのバス会社の事務所が空けられ、待合室で待つことができた。6時に、キプロスに渡る船がでているタシュジュ行きのセルビスがあるから、それまで2時間近く座って待つ。
やがて6時。ワゴン車がやってくる。大きな荷物をかかえた客が10人余り。これらの客と荷物が、ワゴン車に載るのであろうか。入れば入るもので、荷物の上にすわったりして何とか全員、車に入れた。タシュジュまでは20分ほど。海が見えてきたと思うと、そこがタシュジュであった。
フェリーの出発は11時だが、まだ6時30分。もっとも、北キプロスへいくのは、トルコを出国するわけだから、出国審査や税関を通らねばならない。まずは、フェリーの切符を購入。パスポートを見せ、名前入りの切符が発行される。出国税や港湾使用料などもあわせて払う。75MTL(約6600円)也。アンタルヤからシリフケまでのバスが25MTL(約2200円)だったので、かなり高い。荷物を置かせてもらい、港の一角で昨日買っておいたナンを食べる。硬くて口に合わないが、水を飲みながらなんとか食べる。そのあと、港をうろうろするが、小さな港で時間がもたず、切符を買った店に戻って座って待つ。
8時30分ごろになって、人が集まりだしたようなので、フェリー乗場らしき建物へ行く。すでに何人か並んでいたので、その後ろにつく。すぐにでも入れると思っていたが、それは間違いで、結局、建物の中に入れたのは10時ごろ。そして出国審査と税関を通り、岸壁にでる。しかし、そこでも待たされ、船に乗れたのは出発の10分前。
タシュジュにて ギルネ行きの高速船
船は高速船で、すごい揺れがある。席を立って歩くと、ふらふらして歩きにくい。ずっと席にについているしかない。自分の席は船の真中あたりで、外の様子を知ることはできない。約2時間の航海の後、北キプロスのギルネ港に到着。
北キプロスは、国際社会では認められていない国である。正式名は、北キプロス・トルコ共和国で、国旗はトルコ国旗の赤白を逆転させたようなものである。トルコ人が暮らし、トルコ語が使われ、トルコの通貨が使用される。トルコの天気予報では、トルコ内の各都市と同列で、首都レフコシャが扱われている。このような状態だから、事実上、トルコの一部分のようになっている感じだ。それでも、外国として扱うことで、国際社会の批判をかわそうとしているのだろうか。
キプロスは、ギリシア系住民が支配する南キプロスとトルコ系住民が支配する北キプロスに分断され、しかも南北の移動は原則はできない。唯一、南キプロスに入国した外国人は、レフコシャにあるチェックポイントが開いている時間帯に限り、北キプロスに入って、出ることが認められている。
しかし、自分の場合は、北キプロスに入国するので、南キプロスには入れない。そればかりか、何と、北キプロスの入国スタンプがパスポートにあると、そのパスポートを使う限り、南キプロスとギリシアに入国できないのである。そんな事情があるので、北キプロスの入国時に申し出れば、別紙に入国スタンプを押してくれる。自分の場合も、ひょっとしたら、今回の旅行でギリシアのロードス島へ渡ることがあるかもしれないと考え別紙に押してもらうことにした。
港の外に出ると、いくつかの行き先別のセルビスが停車して客寄せをしていた。この日は土曜日だったのだが、残念ながら土曜日、さらに日曜日もギルネのみどころが軒並み休みなので、ギルネは、将来、南側から入国したときに日帰りで行くことにして、今回は立ち寄らずに首都のレフコシャに行くことにした。レフコシャ行きのセルビスは、乗船客が全員、入国するまで発車しなかった。結局、出発は14時少し前であった。キプロスに山地があるのは意外であったが、ギルネからレフコシャに行く途中にかなり高い峠を通る。峠の直前に、聖ヒラリオン城が見える。
14時30分ごろ、レフコシャに到着。だが、レフコシャのどこなのかよくわからない。城壁のそばに公園があり、繁華街らしきものが見え、ここがレフコシャの中心部の入口のギルネ門だと直感。そのままこの日、泊まるつもりをしているサライホテルに向かう。50MTL(約4400円)。今回の旅行で、最も良かった部屋であった。
レフコシャの中心街
シャワーを浴びた後、散策に出る。目的地は、イイットレル公園とチェックポイント。サライホテルから南へ5分ほど歩くと、壁があってそれ以上は進めなくなる。南北を隔てる壁である。かつてのベルリンの壁の小型版のようである。ベルリンの壁と違うのは、壁のすぐそばまで歩いていけるし、壁に接した建物にも人が住んでいることであろう。もっとも壁の反対側が、すぐに南キプロス側なのではなく、緩衝地帯があり、その地帯のなかに停戦ラインがあるのである。緩衝地帯は100mくらいの幅のようである。
レフコシャの壁
壁の北側の通りを歩き、イイットレル公園へ。途中いくつかの南北をつなぐ通路があり、そこだけは壁がなかったが、当然ながら厳重に警備されていて容易に近づけないし、写真もとれない。歩けるとはいえ、昔はレフコシャの中心部であったであろう一帯は無残にも荒廃していた。イイットレル公園は、一見、何の変哲も無いどこにでもありそうな公園である。だがこの公園の端からは、南キプロス側をのぞくことができるのだ。南北の接している停戦ラインは、壁によって分断され、反対側の様子をうかがいしることはできないが、この公園の端だけは別なのである。公園は城壁の上にあるために、周囲よりは高くなっている。北側は城壁の上、南側は城壁の下になっていて、高さ5m、水平距離5mくらい離れて南北が接しているのだ。のぞくことはできるが、鉄条網はあって、鉄条網越しに南側をのぞく。
鉄条網越しに南キプロス側をのぞく
イイットレル公園のあと、チェックポイントへ。予想に反して、緊張感のないチェックポイントであった。1階にチェックポイントの詰所がある建物の2階がなんとインフォメーションになっている。そのインフォメーションでマゴサ発のフェリーの運航日を確認する。ガイドブックに書いてある通り、翌日の日曜日に便があることを確認。関門のある通りをへだてて、この建物の向かいにある建物は、かつてチェックポイントの詰所だったようであるが、今は売店になっていて、ミネラルウォータを購入。
チェックポイント 2階はインフォメーション
いったんホテルに帰り、少し休んでから、夕食に出かける。だが、土曜日の夜とはとても思えない静けさである。なぜなら暗くなるとともに閉店する店が目立ち、人通りが少なくなるためである。ギルネ門のあたりだけがなんとか賑わっていて、そこで夕食をとる。メニューなどはトルコと変わらない。夕食後、久々のバスにつかり疲れをとり、眠りについた。