(7)アンタルヤ その2
ベッドの上で寝るのが1日おきとなると、その夜は熟睡できる。久しぶりに7時間ほど連続して眠ることができた。本日は、宿で主催するツアーに参加するのだが、何とかして時間を生み出して今夜のバスの切符を入手しなければならない。万が一、シリフケへのバスの切符がとれない場合は、北キプロスは立ち寄らずにアダナに直行ならできるのだろうか。いや、シリフケはアダナに行く途中だから、シリフケへの切符がとれないことはアダナへの切符がとれないことと同じではないか。万が一、シリフケもアダナもいけない場合は、ネムルータドゥへ行くのは中止し、この宿にもう一泊して、フェティエ方面へ行こう、と決める。ケコワ島も海中遺跡やクサントスあたりの遺跡群が目的地だ。
こんなとき、宿で日本語が通じるのはとても便利だ。切符は第一希望シリフケ、第二希望アダナ行きの夜行バスを確保してもらい、万が一とれない場合はこの宿でもう一泊させてもらうことに。ただ、残念ながら、宿で主催するはずだったツアーが希望者が少なくて中止かもしれないとか。宿泊者に皆、聞いてくれているが、行くという返事の客がいないという。日本人はツアーに参加する人が多いが、今たくさん泊まっている韓国人はツアーに参加する人が少ないということだ。まだ、返事を聞いていない客からも行かないという返事があれば、旅行社に電話して、旅行社主催のツアーに参加できるようにするという。ただ、料金は行くところは同じだが、宿主催だと10USドルでいけるが、旅行会社のは25USドルらしい。ただ、旅行会社の場合は昼食込みであるが、せいぜい5USドル分程度が昼食代であろう。
朝食をとり、9時まで待機するがやはり宿のツアーは中止。なんと、私にツアー中止を告げてから旅行社に電話をしている。オイオイ大丈夫なんかよ、といいたくなる。案の定、一社目のツアーは満員。二社目に一人だけ席が空いているということで、まもなく迎えに来るという。荷物を宿に預けて、迎えの車で旅行社へ。なんと昨夜、夕食にやってきたレストランのすぐそばであった。ところが、すぐに払うように要求されたのは、何と49USドル。話と違いすぎると思ったが、よく聞くと、入場料込みだという。遺跡の入場料は結構高いので、24ドル分程度になるかもしれないと思い、言われるまま支払う。(この日の入場料の合計は25USドルを両替した額相当だったんで、妥当であった。)
ミニバスであったが、エアコンがきくバスであったので良かった。日本人はほかに乗っておらず、韓国人が4人、西洋人らしい人が9人。最初に見て回るペルゲ遺跡まで、ガイドが英語で話し続ける。残念ながら半分もわからない。やがて建物跡の廃墟などが見えてきたが、鉄条網があって中には入れないようだ。そのままバスは進み、遺跡入口へ。開放されていない区域を含めるとかなり広い遺跡のようである。
ペルゲ遺跡 ヘレニズム時代の門
ひとつひとつのポイントでガイドが説明する。しかし、きっちり聞いてもよくわからないし、写真をとる時間をほとんどとらずに次のポイントへ移動という具合だったんで、思い切って写真撮影に専念する。勝手なことをする日本人だと思われていたかもしれない。ヘレニズム時代に使われた門、ローマ時代の浴場、アゴラなどを見て回る。保存状況は中程度であろうか。自由時間が少し確保されたので、列柱のある通りを端まで歩いて引き返す。はずれの方まで行くと、発掘作業を続けていた。
続いてアスペンドスへ移動。ここは劇場が完璧な状態で保存されていることで有名な遺跡である。まずは、古代の橋。結構長そうだったんで、写真だけにとどめる。元気な西洋人のなかには往復した人もいるが。遺跡の中にバスが通れるような道がないためか、遺跡の外側をぐるっと回って水道橋へ。畑の中に水道橋の残骸が取り残されている。
アスペンドスの水道橋の残骸
そして、再びバスに乗っていよいよ劇場へ。ここは、現在でも現役の劇場として機能しており、訪問した日の前後の日にも公演がおこなわれているようだった。演目は、アイーダなど知っているものが書いてあり、時間があれば見にきたいなと思った。最上段の廊下とか、楽屋とかもよく保存されている。ローマ時代に作られたものだと聞かなければ、もっと後の時代につくられたと思うほど、きっちりと保存されている。
最上部から見たアスペンドスの劇場 仮設舞台が見える
アスペンドスは見にきた甲斐があったが、劇場や水道橋以外にアゴラや浴場も残っているので、それらも見たかった。今回、スィデを訪問することができなかたので、スィデとあわせてアスペンドスも再度訪問し、今回はカットされたアゴラや浴場を自分の足で歩いてみたい。また、水道橋と劇場の間がどのくらい離れているのかとかはバスでの移動ではわからなかったんで、やはり自力でやってきたいと思う。
劇場内のショップでみかけた古代の劇場チケットの見本
アスペンドスの近くのレストランで昼食。メインのグリルは選択制になっていたので、魚を注文。魚はなんだろうと思っていたらマスのフライであった。近くで養殖しているのだろうか。飲み物はミネラルウォータを頼み、ドルで1USドル払う。ミネラルウォータはレストランによって、別料金になっている場合と、含まれていて全員についてくる場合とがあった。食べ始めるとまもなく、30人ほどの団体がやってきた。一瞬、日本人かと思ったが、韓国人であった。自分たちのツアーにはいっている韓国人たちも、それを見て苦笑いしながら何か話している。日本からのツアーで旅行すると、ふりかけや梅干などを持参して、周りの人も分けてまわる人がいるが、韓国人の場合もその点は似ていて、持参したキムチの容器をとりだして、周りの人たちにすすめている人がいる。
食事の後、来た道をアンタルヤ方面に引き返す。すぐに滝に行くのかと思いきや、外国人観光客向けの大型高級品店に連れられる。広大なフロアは、宝石、じょうたん、レザーの3部門にわかれていて、入口から出口まで歩いていくだけでも結構な距離がある大型店舗である。ツアー以外でもきている人が多いのだろうか、とてもにぎわっていた。こうした店につれられるのがツアーの難点だが、今回はこんな店があるということを知れたという点では良かった。
本日最後の訪問地は、クルシュンルの滝。公園内にあって、地元民の行楽地になっているようなところである。かなりの水量があり、滝の水が流れ落ちていく裏側にも入ることができた。とても暑い日であったが、滝の裏側では冷気にたっぷりふれることができた。
クルシュンルの滝 水しぶきを浴びての撮影
これで、ツアーを終了。16時ごろカレイチの入口で解散。徒歩で宿に戻る。さて、バスの切符はどうなったのだろうかと聞くと、外出している宿の主人が買ってくるらしいが、まだ戻っていないという。とりあえずは、共同のシャワーを使わせてもらう。汗を洗い流す。38度ほどあるのだろうか、シャワー室から出ても次から次へと汗が出るので、部屋の前でしばらく上半身はだかのまますごす。あまり汗がでてこなくなってから着替えをしたら、ちょうど宿の主人が戻ってきたところだった。
シリフケ行きの切符を購入してくれていた。出発時間は19時。セルビスが市内の案内所を出るのが18時という。今は17時。こりゃ、急がなくてはならない。主人は、もう少ししたらカレイチの入口へ客を迎えに行くから、そのときに一緒に行こうとすすめてくれた。もっと遅いバスがなかったのか知りたかったが、せっかく買ってきてもらえたので聞くのをやめた。かわりに、シリフケに何時に着くのか聞いてみたら、早朝の3時か4時ごろだろうとのこと。車でカレイチ入口まで送ってもらい、あとは徒歩で案内所まで着くともう18時前。なんとか間に合った。
だが、セルビスが一向にやってこない。ようやく18時20分ごろにやってきたので乗り込む。ところがである。そのセルビス、すぐにオトガルに向かうものだと思っていたら、市内を突き抜けて、オトガルと正反対の方へ向かう。オトガルから市内へ向かっている客を運び、同時に、バスチケットを扱っている業者の店を回っていくのだろう。だが、よくわからない道をあっちへ行ったり、こっちへ行ったりして、19時に間に合うのか心配になった。これじゃ、タクシーを使ったらよかったと思った。オトガルに到着したのは18時55分。すぐにバスに飛び乗らねばならない時間ななんだが、その前にすませておかなばならないことがある。まず、夕食用のパンかスナックと飲み物を買うこと。それから、トイレに行くこと。大急ぎでその2つをすませ、どのバスか確認してバスにたどり着くと、運転手も助手もすでに乗り込んでいていつでも発車できる態勢。切符を見せ、荷物を入れてもらい、乗車。席を確認して座ったとたんに、バスが発車。定刻どおりの発車だ。ホントに危なかった。
お決まりのコロンヤ、水のサービスのあと、大急ぎで買ったサンドイッチをほうばり夕食にする。さっき通ったばかりのアスペンドス方面への道をバスは逆走。まだ日がでているので、夜行バスという気がしない。夜行バスは、トルコにきてから3回目になるが、1回目2回目に比べると、外国人観光客が自分以外には乗っておらず、みなりが貧しそうな人が多く乗っている点が違う。シリフケに何時に到着するのか聞いてみるが、3時だという。最悪の時間だが、やむを得ない。待合所で時間つぶしすることにしよう。