(10)アダナ

北キプロスからメルスィンへ向かうフェリーは、揺れに揺れた。地中海というと、穏やかな海を連想するのだが、晴れて満月が見えていたのだが、荒れた海であった。夜が明けかかってきて、ようやく波もおさまった。ガイドブックには、この船の所要時間は10時間になっているのであるが、10時間を越えても一向に陸地が見えてこない。

船に乗ること12時間、ようやく陸地が見えた。だが、陸地に沿って航海するだけで、なかなか入港はしない。あの町がメルスィンかと思えば実は違っていた、という勘違いを何度も繰り返す。それにしても、地中海岸のトルコというのは、こんなにも街並みが連続していたのか、と驚く。延々と、途切れることなく、町が続いているのだ。おそらく、北キプロスへの往路の出発点になったタシュジュの沖合いあたりから、ずっと陸地に沿って船が進んでいるのであろう。

船内放送があり、皆がぞろぞろ移動する。身分証明書を返すのだろうと思って行ったら、やはりそうであった。一人一人の名前を読んで返している。トルコ人と北キプロス人以外の人のパスポートは、5,6人ほどだけで、別の束にして置いてある。自分のパスポートを見つけたので、名前の連呼の合間に指差して返してもらう。

11時すぎにようやくメルスィンが見えてきた。入国審査を早く通過しようと、ガレージへの出口の近くまで行って待機。だが、車を全部おろしてから、車なしの客を下船させるようで、着岸してから20分以上待たされた。蒸し暑いところに、大勢が集中していて、皆もう限界に達していた。ようやく下船できたのが11時30分ごろ。結局、14時間少々の船旅であった。

船を下りて、入国審査。その前に皆、お金を払っている。入国税であろう。トルコ人と北キプロス人以外がここから入国することは少ないのであろうが、トルコ語の表示しかないので、想像で行動しなければならない。続いて、入国審査の列。家族連れの場合、何人もまとめて身分証明書を示すのも認められているので、それほど長い列じゃなのに、なかなか列が短くならない。一応、家族の一人一人の顔を確認はしているのだが、窓口の周りに人が集まっている状態なので、一人のミスもなく入国審査ができているのか疑問である。

  メルスィン駅にて

港を出て、メルスィンの国鉄駅に向かう。トルコ国鉄は、ほとんどの区間でわずかの本数しか運行されておらず、利用が難しいのだが、メルスィン・アダナ間は例外的に本数の多い区間である。平均すると30分に一本運転されている感じだ。駅に行くと、ちょうどアダナ行きが発車寸前であったが、駅の様子などを見たいのでパス。メルスィン・アダナ間の運賃は、190万TL(約167円)。切符は日本では廃止された硬券である。駅の写真を撮影したりしていたら、発車時刻の13時40分が近づいてくる。気づかない間に列車は入線していた。

メルスィンからアダナまで約1時間。昨夜のフェリーでほとんど眠ることができなかったので、発車するとすぐに睡魔が襲ってきた。結局、列車に乗っていた間はほとんど眠っていた。やがて、大きな町にはいってきて、14時30分ごろアダナ到着。

アダナはトルコで人口が4番目に多い都市である。イスタンブル、アンカラ、イズミルそしてアダナ。だから町は大きい。そのわりに、観光地としては有名でない。イズミルもそうなのだが、他の観光地同士のバスの乗換え地にはなりやすいが、町の中はみないで素通りされがちな町である。でも、トルコ料理はなんといってもケバブ、そのケバブの一種類としてアダナケバブがあり、トルコを旅行すれば必ず食べるか食べるか、メニューを目にするであろう。アダナケバブは、挽き肉でつくったハンバーグ風のケバブで、唐辛子でかなり辛く味付けされているのが特徴である。でも、アダナケバブを食べたのは、アダナではなくカッパドキアだったが。

  アダナの中心部

まずは、アダナからネムルートダゥのベースになるマラテヤへ夜行バスで移動したいのでその切符を確保しにバス会社へ。駅からバス会社が軒を連ねる一帯まで1kmあまり。だが、この1kmが大変。なにしろ、トルコ東南部の暑さは尋常じゃない。街角で表示されていた気温は38度。アンタルヤと同じだ。もっとも、このあと行くことになるディヤルバクルはもっと暑くて、天気予報を見ていたら、常にトルコ内で最高の42,3度だったので、ここらで慣れておかねばならないのだが。どうにかマラテヤまでの夜行バスの席は確保。

バス会社前でセルビスに乗るまで、約4時間暑い街中を散策する。まずは、考古学博物館へ行くが、この日は月曜日で休館。続いてすぐそばのメルケズジャミィへ。アダナで一番大きなジャミィであるが、建造されたのは近年である。ちょうどお祈りの時間だったため中には入れず、外を一周。

  アダナの旧市街にて

さらにアタチュルク博物館まで行ったが、ここの休館。このあと、旧市街地らしき町を歩きながら、ウルジャミィへ。入口は閉ざされていて外から見学。ところで、どんどん歩いているような書き方になっているが、実際には、10分歩けば、20分休憩する感じで歩いている。とてもじゃないが、暑すぎて、歩き続けられない。

このあと、おそらくアダナで一番の繁華街を歩く。17時を過ぎて、少しは暑さがましになり、人出も増えてきたようだ。屋台を冷やかしながら歩いていると、漬物を売っているジューススタンドらしき店があった。そこでは、真っ赤なジュースが飛ぶように売れていたので、それを飲むことにした。店員が、しきりに漬物を指差す。どうも、フルーツのジュースじゃなく、赤カブの漬物の汁だといっているようだ。黄色のジュースもあったが、そちらも別の漬物の汁のようだった。だが、ここで逃せば飲む機会がないかもしれないと思い、赤いジュースを注文。スティック状の赤カブが添えられている。日本のみょうがみたいに見える。だが、とても酸っぱく、地元の人がよく一気に飲んでいるものだと思った。名前を店員に聞くと、シャルガムということを教えてくれた。

  シャルガムを飲んだ店

このあとは食事。ギュベッチという肉や野菜を煮込んだ料理を注文。夕食時にはずっとビールを飲んできたので、ここでも注文。だが、ビールはおいてないとのこと。イスラム色の強い東トルコにやってきたということを感じた。で、コーラを注文したのだが、周りをみると、半分くらいの人が、さきほど道端で飲んだシャルガムを飲んでいるではないか。冷蔵庫のそばの席に座っていたので、店員が時々冷蔵庫を開けるのだが、その度に真っ赤なシャルガムが注がれる。この飲み物は、その後も見かけなかったので、アダナ独特の飲み物なのであろう。

   ギュベッチとシャルガム

ゆっくりと食事をしたあと、公園で座って、今後の旅程を検討。マラテヤからネムルートダゥへ行き、マラテヤまで戻ってきたあとどうするか、決められなかった。ディヤルバクルをへてトルコ最東端のワン方面に行くのか、それとも西に戻るのかたいへん迷ったが結論がでなかった。

指定されたセルビスの時刻は、オトガルから夜行バスが出る1時間前の22時だったが、退屈になっていたのと、アンタルヤでセルビスが遅れて困ったために、もう一台前の21時のセルビスを待つ。アダナのオトガルはかなり市内から離れている。大都市ほど市街地から離れたところにオトガルがあるようだ。

オトガルでは2時間近くバスを待つことになった。オトガルのそばに鉄道があり、列車が通っている。でも駅は近くにあるのだろうか。そうこうしているうちに、マラテヤ行きのバスが到着。すでに多くの客を乗せて、コンヤからやってきたバスだった。アダナまでの客がかなり下車し、同じくらいの人数の客がアダナから乗車。