1日目後半  フ リ ー ダ ム ・ ト レ イ ル

 

フリーダム・トレイル前半戦

(1)ボストン・コモン

  ホテルにほど近いボストンの中心部に緑の多い公園がある。これがボストン・コモン。ここからフリーダム・トレイルが始まる。フリーダム・トレイルは、植民地であった当時のボストンで独立に向けての動きがあったころから独立初期のさ まざまな出来事の現場を結んだ散歩ルートだ。

 レキシントン、コンコードの戦いの前にイギリス軍がここで野営し、それを見た独立派の有力人物であるポール・リビアもレキシントンへ向かった、などの逸話がある。

 ボストン・コモンの中には観光案内所があり、その前が全長4kmのフリーダム・トレイルの出発点。赤い線に沿って歩けばよい。レンガを敷き詰めた道路の場合などは、レンガの並べ方を変えるとかして線を表示している。

 (赤数字はフリーダム・トレイルの16箇所の訪問の順)

(2)マサチューセッツ州議事堂

 金色に輝くドームを持つ議事堂。1798年に完成。

 ここは無料の見学ツアーがあり、参加してみた。右手の奥まったところに入口があり、荷物検査を受けて入場。2階に上がり、20分ごとに出発するガイドツアーの出発を待った。

 見学ツアーでは、下院の議事堂も見学したが、会議が開かれていて撮影禁止。その後、上院の議事堂へ。こちらは撮影できた。円形のテーブルを取り囲むような座席になっていて、意外感があった。

 一通り見て回るのに40分程度要した。

 下左  見学ツアー終了後、建物の外側のケネディ像を探した。柵の外から望遠で撮影になった。ケネディはマサチューセッツ州の下院、上院議員から大統領になったのだ。

(3)パーク通り教会

 1810年につくられた教会で、1829年にアメリカで初めて奴隷制度反対の演説が行われたという。

 日曜礼拝のとき以外には一般人は入ることができないようなので、日曜日に再び訪問することにした。この日は金曜日だった。

(4)グラナリー墓地

 独立戦争の戦死者などを埋葬している墓地。

 下  地元ビールでおなじみのサミュエル・アダムスの墓。

 

(5)キングスチャペルと墓地

 1754年に英国国教会としてつくられたが、独立後にプロテスタント教会に代わった。

 建物の左手には墓地があり、植民地時代の初期の人たちが埋葬されている。メイフラワー号でやってきた人の墓地もありようだが、どれなのかよくわからなかった。

 聖堂内は土日のみに入れるため、日を改めて訪問することにする。

(6)ベンジャミン・フランクリンの立像/ボストン・ラテン学校

 ここに1645年、アメリカで初めてのラテン学校がつくられた。サミュエル・アダムスもここの卒業生。この敷地は、現在は旧市庁舎になっていて、画像の建物は旧市庁舎。ここの敷地が面している通りの名もスクール通り。

 この建物の前に建っている立像はベンシャミン・フランクリン。ベンジャミン・フランクリンはこの近くで生まれ、ラテン学校に通った。その後、彼はフィラデルフィアに移った。フィラデルフィアを訪問したときには、彼の家も見に行ったことを思い出す。彼が有名なのは独立宣言の起草者だということだが、その人生の基盤はボストンではぐくまれたようだ。

(7)オールドコーナー書店

 農家の納屋の形の屋根があり、外観に特色がある。1960年にたてなおされたものだが、もとの建物は1712年に建てられた。現在は商店になっている。

 1800年代半ばには、当時のアメリカでも有力な出版社が建物を使っていた。ここにアメリカを代表するような文学者が集まり語らいの場になっていた。それでオールドコーナー書店とよばれた。

(8)オールドサウス集会場

 1729年、ピューリタンの礼拝堂として建てられたが、植民地人の議論の場としても使われた。建物は修復されたものだが、内部の一部は当初のもの。

 下  箱型になったボックス型の座席が興味深かった。

 

(9)旧州議事堂

 1713年に建てられた旧州議事堂はボストンに現存する建物で最古のものである。1798年に現在の議事堂に移転した。州議事堂としてだけでなく、植民地時代には植民地政府、独立後はマサチューセッツ州政府がここに置かれていた。

 内部は博物館になっていて、独立戦争などの展示をしていた。

(10)ボストン虐殺地跡

 建物は旧州議事堂の側面。屋根にはイギリスの国章であるライオンとユニコーン像が置かれているが、もともとあった像は独立宣言が読み上げられた1776年7月16日に燃やされ、今は複製品が置かれている。

 虐殺地跡は、手前の円。直径4mほどであった。ここは1770年、イギリス軍の発砲によって植民地人5人が死亡した現場である。この事件がきっかけになり、植民地は独立への動きを強めていき、茶会事件につながっていく。

 ガイドブックでは、円の部分が中洲のようになっていて、道路を横断して渡らないようになっているが、訪問したときには旧州議事堂から安全地帯が円まで連続していて、見学しやすくなっていた。

(11)ファニュエルホール

 1742年にファニュエルという貿易商人が建てたホール。当初は2階建てで、1806年も3階が増築された。独立前にはここで演説がさかんに行われた。サミュエル・アダムスもその一人。

 トレイルの16箇所中11箇所までたどったが、距離では4kmのうち1kmほど歩いただけ。すでに15時ごろになっていたので、先を急いだ。

 左  ホール前にはサミュエル・アダムスの立像がある。

 下  内部は商店が入居している。 

フリーダム・トレイル後半戦

(12)ポール・リビアの家

 独立戦争のさいの功労者として有名なポール・リビアの家。1階、2階とも2室あり、独立戦争のころの様子を再現している。

 木造で植民地時代の典型的な家であるらしい。1770年から約30年、リビアが住んだ後、いろいろと変遷し、20世紀のはじめに昔の状態に修復された。

 内部の撮影は不可で、知らずに撮影しかかり、しかられてしまった。

 

 ポール・リビア・モール

 ここはフリーダム・トレイルに含まれていないが、ルート上にある。ポール・リビアの活躍の中で著名なのが、レキシントン、コンコードの戦いの前にイギリス軍の動きを植民地軍に知らせたことだが、そのことに関係してポール・リビアの乗った馬が駆けている像がある。周辺は、ポール・リビアを記念する公園のようになっている。

(13)オールドノース教会

 1723年にできたボストン最古の教会である。ポール・リビアがイギリス軍の動きを伝え に馬で駆けつけたのは、この教会の塔に仲間によって明かりがともされてたのを見たのがきっかけらしい。

 下  教会の内部は箱型に区切られた座席がある。 

(14)コップスヒル墓地

 独立戦争のころ、イギリス軍の砲兵隊があり、ここから対岸のチャールズタウンに向かって大砲が撃たれた。

 墓地の中には、オールドノース教会の塔に明かりを灯してイギリス軍の動きをポール・リビアに知らせた人物の墓もあるというが、よくわからなかった。

 時差を考えると、日本時間で24時まですごしたあと、さらに翌朝の6時まで外を歩いているようなもので、歩きながら睡魔に襲われ、非常に眠かった。

 チャールズ川を渡る橋

 いよいよトレイルも終盤になったが、(14)と(15)の間は1.5kmほど離れていて、淡々と歩き続けた。

 チャールズ川を渡るころになるともう暗くなりはじめていた。あと2箇所、急いで回ろうと先を急いだ。でも、疲労もきつく、足がなかなかすすまない。1分くらい立ち止まって目をつむったこともあった。それでも赤線のおかげで、迷うことはなかった。

(15)米国船コンスティチューション

 チャールズタウン・ネイビーヤードとして今は歴史公園となったもとは海軍の敷地であったところの一角にこの船はある。独立戦争のときに活躍した軍艦で今も航行できるという。

 入場するには、まずセキュリティチェック。米国では博物館などの入場のさい、この種のチェックが多いが、ここは軍関係で特に厳しい。右側の建物が検査場。ここを出ると、小さな博物館があるが、時間の関係上、通過するだけ。

  博物館を出て、船のそばに着いたのは16時ですでに船の中にはは入れない時間帯であった。そればかりかネイビーヤード全体の開館時間も終わるところであった。 しばらくすると、大音響。大砲を打つような音だ。同時に船に掲揚されていた国旗などが下ろされた。そんなわけで、船の外観を撮影しただけ。

 ネイビーヤードには他に第2次大戦時に使われた駆逐艦も展示されているのだが、今回はそばまで行く時間もなかった。

(16)バンカーヒル記念塔

 1775年、独立戦争の中でのバンカーヒルの戦いを記念した塔。

 下  フリーダム・トレイルの終点。1日目に全ルート踏破できると思っておらず大満足。

 

 塔の上には294段の階段を 歩いて上れる。かなり疲れていたが、なんとか閉館の17時に間に合ったので、上がってみることにした。

 一番上は思ったよりも狭く十数人いただけで動くにくい状態であった。窓には金網が張られていたが、夕焼けとボストンのダウンタウンの高層ビル群を眺めることができた。 見ながら、フリーダム・トレイル走破を喜んだ。

 塔の上にいた10分ほどの間に空は暗くなり、塔を下りて外に出てみると、もう真っ暗になっていた。塔はライトアップされてきれいであった。

 下  このあとはダウンタウンへ歩いて戻る。途中、チャールズ川にかかる橋を渡ったさい、きれいな満月が見えた。 

 

さっそくロブスター

 バンカーヒル記念塔から30分ほどかけて、さきほど来たファニュエルホールに隣接しているクインシーマーケットまで戻ってきた。

 クインシーマーケットの両側にはノースマーケット、サウスマーケットがあり、ファニュエルホールとあわせて「ファニュエルホール・マーケットプレイス」と名づけられている。

 このうち、食べ物系の店が入っているのは主にクインシーマーケット。

 やってきたお店は「ワルラス&カーペンター」。市場内の気楽に入れる店でロブスターを食べようと狙いを定めていた。

 カウンター席のみの店で10人ほどしか座れず、行ったときには満席であった。それで、市場内を往復して、市場見学を少ししてからまたやってきた。1人分の席が開いたので、すかさずそこに座った。

 まず飲物として、サミュエル・アダムスという地ビールを注文。種類までは考えていなかったので、いわれるままボストン・ラガーにした。

 料理はロブスターに決めてはいたが、料金表には market price と書かれていた。市場価格つまり日本の寿司屋での「時価」と同じだ。この手のものは先に料金を確かめるに限る。

 聞けば31ドルということだ。これとは別にニューイングランド・クラムチャウダーも注文したい。こちらは5.5ドル。チップ6.7ドルも含めて43.2ドル。長く考えれば、高っ、と思い別のものを注文したかもしれないが、ロブスターとクラムチャウダーと即決。注文するとロブスターがゆでられた。

 ロブスターをゆでてている間に先に二ユーイングランド・クラムチャウダーをいただいた。

 チャウダーは牛乳を主材料にした白いクリームスープであるニューイングランド・クラムチャウダーとトマトを主材料にした赤いトマトスープであるマンハッタン・クラムチャウダーがあるが、ボストンではクラムチャウダーといえば、ニューイングランド・クラムチャウダー。

 クラムのほかにじゃがいも、タマネギなど入り、オイスター・クラッカーが添えられる。

 10分ほどでロブスターがゆであがり、いくつかにぶつ切りにされて、熱々で出された。身がしまっていて、食べごたえがある。また、身と殻がうまくはずれて、食べやすかった。

 一緒に添えられていたのは、ザワークラウトとバターを溶かしたもの。ロブスターは何もつけないでそのままで味わうのが基本だが、バターの溶けたものをつけてもうまい。

 値段が高いが、やはりボストン名物。食べておいてよかったし、値段も日本で食べることを思えば安い。

 ロブスターを食べて大満足になり、そのまま地下鉄と徒歩でホテルへ。昼前に来ているので、ごく簡単な手続でチェックイン。

 預かってもらっていた荷物を取り、部屋に向かった。そこそこの広さの部屋であった。

 部屋に着いたのは20時であったが、日本時間でいうと翌日10時。夜中から10時まで動き回っていたわけで、このあとぐっすりと眠ったのは言うまでもない。

 

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