5 ド ゥ ブ ロ ブ ニ ク
2 日 目
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この日は1日、ドゥブロブニクの観光だ。最初、前日も見て回った旧市街に行き、セルビア正教会をめざした。 ドゥブロブニクはじめクロアチアでは内戦で、クロアチア人とセルビア人が争い、悲惨な出来事も起こっている。ドゥブロブニクはクロアチア人のエリアなので、セルビア正教会がきちんと維持されているのか心配があった。 路地裏を歩いていて、突然、教会があらわれてびっくり。狭い道路の街中にあって、教会全体を撮影するのは難しかった。 |
心配する必要はなかった。クロアチア人と内戦を戦ったセルビア人の教会であるが、きちんと管理がなされていた。カトリックに比べて、簡素な内装であるが、壁画など手が込んでいる感じだ。 |
次に、城壁を一周してみた。城壁の上部は歩けるようになっているのだ。 |
城壁上から城壁のほかの部分を眺めた画像。右下部が城壁内、左上部が城壁の外である。 |
城壁上から、このあと訪問するロクルム島を眺める。街はオレンジ色の屋根で覆いつくされている。 |
城壁の中でも海岸に近い部分には、艦砲射撃で被害を受け、屋根が破壊された民家が数多く残っていた。すでに1991年から92年にかけての攻撃から6,7年たっているというのにじゅうぶん復興しているとはいいがたい状態があった。 この旅行の3年半前、1995年1月に阪神大震災がおこったのだが、家々の破壊された姿は阪神大震災のときの様子に重なった。 |
なかには完全に破壊されたのであろう民家もあった。 |
城壁を一周したあと、内戦前に運行していたロープウェイの乗場に行ってみた。かつてのロープウェイ乗場の看板が昔のまま残されていた。ここではロープウェイもケーブルというようだ。 |
丘を少し上ってみた。ケーブルの上の駅が見えたが、丘の中腹まで上がって引き返した。 |
かつてドゥブロブニクでは路面電車が運行されていたようで、車両が保存されていた。 |
午後はロクルム島に向った。 |
島へは15分ほど。この島にはヌーディストビーチがあるらしい。到着後、島の中を見て回った。島の一画は確かにヌーディストビーチであった。みなさんスッポンポンで海水浴をしたり、歩いたりしているのだ。それが、あまりに自然な感じでいやらしさを感じないのが不思議であった。 島は自然が残されていて、帰りの船の時間にあわせて島内散歩。 |
島を一周したあとは、ドゥブロブニクに戻った。ドゥブロブニクの港に到着する直前。 本当はドゥブロブニクからモンテネグロ領のコトルにも行ってみたかったが、当時はモンテネグロとの国境が閉鎖されていたため果たせなかった。 旧市街で食事をしてから、民宿に戻った。 |
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