4 スプリットを経てドゥブロブニク
|
早朝5時すぎにスプリット着。港町である。途中、クロアチアの有名観光地であるプリトッヴィツェ湖の近くも通過したのだが、当時は、湖の周辺には内戦時に埋められた地雷が除去されておらず、湖はコースに入れることができなかった。 |
ディオクレティアヌス宮殿。3世紀末にディオクレティアヌス帝によって建造された史跡である。しかし、建物の一部は、民家や土産物屋などの商店に利用されていた。中庭には仮設ステージがつくられ、椅子が並べられていた。 |
早朝のスプリット旧市街を街歩き。古い建物が住居や商店となっていて、保存の観点からは、あまりよくないのではと考えながら歩いた。 |
スプリットのバスターミナル。8時30分発のドゥブロブニク行きに乗車。 |
ダルマチア式海岸が見えた。ダルマチア式海岸は、海岸線に平行な細長い島に特徴がある。 |
道路状態はよくなく、4時間半、バスに揺られ、13時にドゥブロブニクのバスターミナルに到着。 |
ドゥブロブニクのホテルは内戦で破壊された後、まだ復旧していないところが多く、バスターミナルに着いたら、民宿の客引きを利用しようと考えていた。思っていた通り、バスを下りると客引きが数人集まってきた。そのうちの一人のおばさんに連れられ、丘の中腹にある民宿に行った。ここに泊まることにした。 |
ドゥブロブニク旧市街の入口。 |
入口を入ったところに、旧ユーゴスラビア連邦軍の攻撃による被害についての看板があった。 タイトルは「1991年から1992年の、セルビアとモンテネグロからなるユーゴスラビアの軍によるドゥブロブニクへの侵略による損害」で、攻撃を受けて被害が出たところを地図に示している。 |
旧市街の大通り。 |
この建物の裏側は港であった。 |
壊れたままの住宅はあちこちにあった。 |
窓に木を打ち付けてある建物もあちこちにある。 |
港めぐりの船に乗船。1時間ほどの航海。 |
ユーゴスラビア軍の攻撃で窓が壊されたままのホテル。 旧市街で食事をとり、民宿に戻った。 |
3へ 旧ユーゴスラビアのトップ ユーラシア紀行のトップ 5へ |