特13 一 乗 寺 |
旧三井家下鴨別邸 |
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![]() 下鴨神社の石柱がある逆側の土塀の内側が、この日最初の目的地「旧三井家下鴨別邸」だ。鳥居の左手に入口があり、入る。 |
![]() 一見4階建てに見えるのは、3階建ての母屋。 撮影している自分の背後には京都家庭裁判所がある。1951(昭和26)年から2007(平成19)年まで、三井別邸が京都家裁所長宿舎だった。2016(平成28)年から公開されている。 |
![]() 玄関棟の廊下は洋風で緑のカーペット敷だった。 写真は玄関から母屋に通じる廊下。撮影している自分の背後が母屋。 |
![]() 母屋は、1880(明治13)年に木屋町三条上るにあった三井家の木屋町別邸が1925(大正14)年に移築され、玄関棟が増築された。 |
![]() 下左 大正時代の風呂。家裁所長宿舎時代は別の風呂が使われていて、古いものが残っていたようだ、 下右 階段。一般入場では上れない。訪問した日は、朝食と合わせた3階見学が行われていた。 |
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![]() 左 玄関でお金を払い注文。座敷で庭を見ながらいただいたり、庭のベンチでいただくこともできるが、受付横の洋室で椅子に座っていただくことにした。 下 お抹茶は一歩堂茶舗のもの。お菓子は鶴屋吉信の「陽春譜」。桜の花びらが舞っている様子をあらわしているようだ。中には甘さひかえめのこしあんが入っている。 |
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ヴォ―リズ設計の旧駒井邸 |
![]() 横から見ると、出入口にもだ円、窓もだ円、車両中央にも出入口と同じ大きさのだ円とだ円だらけの電車だ。 |
![]() 写真は南方向を撮っている。この付近の琵琶湖疎水は南から北へ流れている。地形的には北の方が高いので、うまく設計してあるようだ。(南禅寺の水路閣のところからずっと北流している。) |
![]() 動物遺伝学、動物分類学で功績を残した駒井卓京都帝大教授(1886〜1972)の邸宅として、1927年にヴォ―リズの設計で建てられた。 ヴォ―リズは日本に帰化し、昭和初期の洋風建築を手がけた。滋賀に近江兄弟社をつくり、メンソレータムの販売も行った。YMCA活動をしていて、建築の半分は教会建築。 著名な建築として、関西学院大学本館はじめ関学、神戸女学院、同志社の校舎群、神戸の旧居留地38番館がある。彼の唯一のレストラン建築が四条大橋たもとの東華菜館。(NHKの近畿ローカルの天気情報で京都のからは四条大橋とともに東華菜館がよく映るので無意識的に頻繁に見ているかも。) |
![]() 下左 玄関。 下右 玄関を入ってすぐの付近。 |
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![]() チェアに座ってみると確かに大文字が見やすい。 |
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![]() 下左 階段のところの窓を内側から見る。色が下ほど濃い。 下右 庭には温室があった。もとは研究用だったのだろうが、テーブルなどが置かれていた。 |
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一 乗 寺 散 策 |
![]() 数人だが並んでいる。その間にメニューを渡され、注文を伝える。 |
![]() 1人づつしっかりアクリル板で区切られているカウンター席へ案内された。 |
![]() 「天下一品総本店」と「twitter」と書かれた本店独自の丼。 やはり、自分には、こってり味があう。久しぶりの天下一品、美味しかった。 |
![]() 金福寺(こんぷくじ)は9世紀に始り、一時期衰退していたが、江戸時代に再興された。写真は資料が 展示され、庭園に面した座敷。 |
![]() 安政の大獄のあと、討幕派に捕らえられ、三条河原で3日間、木に縛られるが、助命された。縛られた姿の絵もあった。その後、たか女は金福寺で尼僧になった。 写真は、たか女の遺品。墓はこのあと行く圓光寺にある。 |
![]() 江戸時代に再興された金福寺へ松尾芭蕉がたびたび訪問していたという。それで、芭蕉にちなんで芭蕉庵がつくられた。 その後、芭蕉庵が荒廃してしまっていたが、与謝蕪村が再興。近年、修復したようで新しい。 |
![]() また京都市内の眺望もよかった。 |
![]() 山門を入ると庭園があるが、2013年に造られた新しい枯山水。白砂だが、今まで見たことがないタイプのものだ。 |
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![]() 家康の墓といえば、日光東照宮の墓や久能山東照宮の墓が有名で、ここはあまり知られていない。ここには家康の歯が葬られているという。 |
![]() 金福寺ゆかりの村山たか女の墓も見た。 太平洋戦争中、東条内閣のとき、東南アジアから特別留学生を受け入れて、各国の指導者を養成しようとしたのだが、その1人のマレーシア出身のオマールという若者が広島で被爆し、京都まで逃れて死亡した。彼のイスラム式の墓もあった。 |
![]() 入口は小有洞といい、その向こうに石段がある。寺らしくない雰囲気なのだが、それもそのはず、江戸時代には武士から文人になった石川丈山の山荘だった。 武士としては家康につかえ、関ヶ原や大坂の陣でも参戦した。文人としては、東本願寺の枳殻邸庭園の作庭もしている。 寺になったのは1966(昭和41)年と新しい。 |
![]() ここに2、3分だけ座ったのだが、予定がつかえているので、すぐに立った。 以前きたときは、紅葉の時期で人がごった返していたので、人がいないとこんなに静かに見られるのかと思った。 |
![]() 1986(昭和61)年、英国のチャールズ皇太子とダイアナ妃が訪問。これがきっかけで詩仙堂が有名になった。 |
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![]() 坂道を歩き、10分で入口には到着した。狸の信楽焼が出迎えてくれる。まだこれから5分以上、石段を上らねばならない。 |
![]() その後ろには「奉納 階段登り お百度参拝記念 阪神タイガース 小林繁」の碑。1979年の阪神移籍後。100回参拝したのか。早くに亡くなり、その後、手入れされていないのだろうか。 |
![]() 本堂は清水寺のように、崖に接して木の枠組の上に建てられている。 |
![]() 中に入り、洞窟の中に安置されている本尊の不動像のところまで行って参拝できた。 |
![]() 宮本武蔵はこの滝に打たれて修行したとのことなので、昔はもっと水量があったのだろうか。 1605年、武蔵が吉岡一門数十人と「下り松」で決闘したさい、この滝で修行し、己の恐怖に打ち勝つことを悟り、自信を得て、山を下って吉岡一門を倒したといわれる。 |
![]() 詩仙堂のすぐ山手にあり、柵ごしに詩仙堂の庭園も見られるのだが、狸谷に行ってから立ちよった。 |
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![]() 和菓子店だが、洋菓子も扱っている。 |
![]() 下 「ざるわらび」とお抹茶のセット。 |
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![]() 土産に一乗寺名物「でっち羊羹」を買った。 |
![]() 一乗寺はラーメン激戦地。天一総本店や魁力屋本店のある付近も含まれるが、メインとなるのは一乗寺駅の西側のこの写真のエリア。 写真左の信号のところ、写真右端、そして撮影している自分の背中のところと狭い範囲にラーメン屋がひしめいている。 |
![]() 行列が10人ほどだったが、30分ほど並んだ。席数が少ないので、行列人数の割に長く並ばねばならなかったようだ。 並んでいる間にメニューが渡され注文を伝える。 |
![]() どろどろしたシチューのようなスープ。天一もこってりしているだが、その比ではないドロさ。 チャーシュー追加は200円だったが、丼一杯にチャーシューが広がり、価値あり。 |
![]() もう少しスープらしいスープのほうがいいかな。いろいろな店を試してみたいので、今度このエリアにきたときには別の店にしよう。 |
![]() 一乗寺駅から叡山電車で帰宅。 |
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