2 日 目 後 半

  瀋陽站の南のほうの路上から撫順行きのバスは発着している。撫順行きのバスはすべて「雷峰号」と名付けられている。「雷峰号」が系統名みたいな感じになっている。

 雷峰とは、人民中国建国当時に活躍した人で愛国的な態度から模範的な人間として、とても
人気がある。「雷峰に習え」というスローガンもある。そして、雷峰は撫順の出身で、撫順には雷峰記念館もある。(今回は時間の関係で行かなかったが、撫順はまた行こうと思うので、その際には立ち寄りたいと思っている。)

 

 次から次に発車している。でも時刻表があるのか、人がある程度乗った時点で出発させているのかは不明。

 撫順までは1時間30分ほどだった。13時に出発して、14時30分ごろに撫順着だった。居眠りを繰り返しているうちに、なんとなく到着したって感じだ。

 撫順というと石炭のすすけたイメージの街だし、また、瀋陽に比べてインフラ整備が遅れていることがわかった。

 それでも、撫順站の付近は、かなり大きな街だという感じだ。

 さて、撫順では、戦犯管理所と平頂山惨案記念館の2つの施設に行こうと考えていたのだが、この時間からでは両方に行って、見学するのは無理だった。(単に行くだけなら、両方行けたかもしれないが)

 それで、どちらか一方にすることにし、究極の選択で、戦犯管理所のほうに行くことにした。バスを下車した近くからタクシーに乗車して、10分ほど。9元で行けた。 

 撫順戦犯管理所。

 かつては日本軍が抗日中国人を収容する施設だった。

 1950年から、溥儀や日本人戦犯などが収容され、思想教育がおこなわれた。

 溥儀の居間。

 

 

 

 

 

 

 管理所内の廊下。

 改造日本戦犯陳列室。

 日本人戦犯の思想教育の内容やそれに伴い日本人戦犯がどのように変わったのかという展示だった。

 戦犯を中国内の各地に見学旅行させていて、杭州の西湖まで行っていた。また、議論をさせたり、全員の前で罪を発表させるという手法がとられている。

 全体的に、戦犯というより捕虜の扱いで、今まで読んだ戦犯の記録などとはずいぶん印象が異なったのは事実。

 日本人戦犯に対する軍事法廷。

 米英仏蘭や国民政府の軍事法廷は1945年からスタートして1950年にだいたい終わっているのに対して、ここは1956年スタート。

 また、米英仏蘭や国民政府の裁判では死刑、無期が大量にあったのが、ここはそれらが無いことを強調していた。

 下左 収容塔の外観

 下右 風呂場

 溥儀の居房。

 溥儀は当初は、妻やもと部下とともに生活することが許されていたようだが、洗濯などを自分でしないなどの弊害があって、独居房に移されたようであった。

 溥儀を担当した看守が、溥儀のメンツに配慮しながら、生活の方法を教えていった話などが日本語で説明されていた。

 改造末期皇帝主題展という展示室もあり、溥儀の一生を説明していた。

 戦犯裁判の直前に、起訴されなかった戦犯の釈放がおこなわれているが、そのときの釈放の式の式場の再現だと思う。

 

 

 

 

 

 かつて、ここに収容されていた日本人が後日建てた平和の碑。

 戦犯管理所の前から西露天鉱にタクシーで向かった。

 20元(約255円)と金額を言われてメーター使用じゃなかった。ちょっと胡散臭さは感じたが、安かったので何も言わなかった。

 露天鉱まで行って、メーターを使わなかった理由がわかった。途中に有料道路がありこれが5元。また露天鉱のあたりは郊外でタクシーが空車で街にもどらねばならない可能性が大きいこと。距離でいうと12元くらいプラス有料道路料金5元で、特に嫌な思いもしなかった。
 

 露天掘りの炭鉱を見たのははじめて。

 階段状に採掘していっている様子がよくわかった。そのらせん状の階段の各段に道路や鉄道がついている。

 非常に規模が大きく、穴は直径10kmくらいありそうだ。

 

 露天鉱を見た後、そこから平頂山惨案記念館までは1kmほどで行けそうだった(実際は2kmほどあったのでバスに乗ればよかった)ので、歩いて向かった。

 

 

 

 

 

 16時で閉館なので、17時になっていたから当然、入れない。入れないのはわかっていたが、場所を確認するために行った。再び、瀋陽にきたときは行こうと思っている。

 記念館近くのバス停からは路線バスの6路で撫順站に戻った。1元。

 歩いて記念館に向かう時に、6路のバスはずいぶん走っているなという印象だった。しかし、待てばなかなか来ず、15分くらい待った。

 タクシーだと有料道路経由であっという間だったが、普通の道を通ると結構時間がかかり、20分ほど乗車。

 バスを降りて、すぐ後ろを見れば、同じ6路のバスが、、ダンゴ運転だったのだ。

 撫順の中心の繁華街だろうか。

 

 

 

 

 

 

 瀋陽北站行きの「雷峰号」で瀋陽に戻る。

 行きよりも時間がかかり、瀋陽北站まで1時間30分。すでに19時をまわっている。

 

 

 

 

 

 

 北站はすでに新しい建物になっている。

 

 北站からは、中街の近くにあるはずの麦焼売というしゅうまいの店にタクシーで行った。ガイドブックを見せて指差しすと、運転手が何か言うのだが、かまわずに行ってもらった。

 何を言っていたか下車してから、理解した。再開発のために、店はとりつぶされてないのだ。

 運転手は、現地に着くまでの間にも、途中の道で何か言っていた。店がこちらに移転している、とか言ってくれていたのかもしれない。でも、中国語はまったくわからず、もとの店があったところに行ってもらうしかなかった。

 かわりに行った店が、中街の入口近くにある、李連貴という燻肉大餅の店。燻肉大餅とは、焼豚を揚げパンにはさんで食べる料理だ。

 さて、注文しようと思って困ってしまった。左の画像のように、収銀処で食べるものを言ってその分の代金を払い、もらったレシートを下の画像のカウンターに出すのだ。

 

 

 

 

 

 上の画像の右側にはメニューがあるが、それを指さしても収銀処からは見えない。結局、指差ししているのを別の店員が見て、それを収銀処の店員に伝えるという方法で注文ができた。

 店内はほぼ満員だったが、カウンターのそばに1つテーブルがあいていて、そこで食べた。

 

 

 

 

 

 

 飲物は雪花ビール。前日もそうだったし、瀋陽では、ビールといえば雪花ビールのようだ。ここでは青島ビールも影がうすい。

 焼豚。日本の焼豚と同じで、塩味がややきついめ。このままでもビールによくあう。

 

 

 

 

 

 

 大餅。揚げパンで、これに焼豚とネギをはさんで食べる。これはAもう1枚追加で注文した。

 焼豚と一緒にはさむ、ネギ。これは自動的についてくるものじゃなく、注文しなければならず、0.5元。これももう1皿、追加で注文した。

 

 

 

 

 

 おかず盛り合わせ。平麺と青菜、豆。

 卵スープ。

 焼豚は中皿で15元。大餅は2枚で2元。ネギは2皿で1元。おかずは5元。スープは1元。ビールは6元。

 合わせて30元(約385円)で満腹になった。この日は昼食を食べる時間を惜しんで移動にあてていたので、食がすすんだ。注文には苦労したけれども、いい想い出になった。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 腹ごなしに中街を散策してから、タクシーでホテルに戻った。

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