19 日 目 デ ル フ ィ
発作的にデルフィへ |
![]() かわりに、今回の旅では見送っていたデルフィに行こうと思いつき、発作的にデルフィに行くことを決め、バス時刻などを調べた。 デルフィ行きを決めたあと、朝食会場へ。 |
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![]() こんなことになるなら、メテオラに行く前日に泊った宿にまた泊ればよかった。でも、当日朝に急に決めたので仕方ない。 |
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![]() デルフィは、ギリシャ文字では、ΔEΛΦOIで、デルフォイというようだ。 |
![]() 下 ペルシャ戦争の一大決戦であったプラタイアの戦いの古戦場があった付近。ギリシャ連合軍がペルシャを圧倒した。この戦いの後、スパルタとアテネが反目していく。 この付近で高速からおり、一般道を走る。 |
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![]() 13時30分に着いたので、帰りのバスは18時30分発なので、5時間ある。 |
![]() 遺跡入口の少し手前にデルフィ博物館があり、遺跡のチケットで入れる。このときは、後回しで、先に遺跡へ向かった。実は、このときに博物館に入っておくべきだったのだが、このときはそんなことはわからなかった。 |
デルフィ遺跡 |
![]() また、道路より下の部分にも無料区域があり、それはあとで見る。 有料区域で最初に見るのは、ギリシャ時代のものではなく、ローマ時代のアゴラ。 |
![]() アテネはじめ各国の奉納物や宝庫の跡を見ながら歩くと、復元されたアテネの宝庫がある。 |
![]() もとは7本の柱で屋根を支えていたが、3本が残る。 |
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![]() 下 アポロン神殿。内部には入れない。柱は数本残るだけだが、パルテノン神殿のようなのがあったのだ。 |
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![]() ここには地下室があり、そこでアポロン神のお告げを巫女ビューティアが神と交信し、それを人々に告げたが、これがデルフィの神託。 |
![]() 現在も利用されている。内部には入れない。 下 最上部から見たところ。古代劇場はかなり斜面を上ったところにあることもわかる。 |
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![]() 4年ごとに、ビューティア祭りがあり、そのスポーツ大会の場。とても細長いのが特徴。 左 スタート地点の石が見える。 |
![]() 古代劇場付近から下を見ると、アポロン神殿、アテネの宝庫より下を見ると、森の中に何かあるのがわかる。これらが無料区域の遺跡で、これから向かう。 |
![]() カスタリアの泉がある。いまは枯れているが、この泉で身を清めてからデルフィの神域へ向かったのだという。 |
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![]() 下 水〜月は20時まで、火は17時までだった。この日は火曜。このとき、17時。 遺跡に入る前にここを見えておくべきだったが、後の祭り。 |
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![]() 左 18時30分発のアテネ行きのバスは、30分遅れて19時発。 |
アテネに戻り夕食 |
![]() 地下鉄を乗り継いで、アクロポリ駅で下車すると22時。宿に戻らず、夕食をとっていくことにした。 「アテネ」という店へ、外のテーブルに座る。 |
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![]() 上右 スプラキ。肉を串にさして焼いたもの。この店では、豚かチキンを選べ、豚にした。羊がない場合も結構多いのはギリシャの特徴。 左 付け合わせのポテトとピタは大量にあった。あと、ヨーグルトと玉ねぎ。 肉をもう少し食べたかったのが少々残念。22時30分すぐ近くの宿に戻り、長い1日が終了。 |