1 日 目 函 館 へ |
北海道旅行。昨年の秋以来、約8か月ぶりだが、今回は道南を周遊する。 北海道といえば、北海道らしい道央、道東、道北に目がむき、道南が置き去りにされがちだ。 今回は、廃止が決まった函館本線の長万部・小樽間の"山線"に30年ぶりに乗ることを柱にして、函館から倶知安経由で札幌、支笏湖まで周遊する。 まず11時35分発の函館行きのJAL便に搭乗。一時はとても多かった欠航も案内板には見あたらない。 |
サクララウンジで朝ビールをいただきながら、搭乗までの時間をすごす。 |
搭乗便はE190の小型ジェット機だ。 函館の気温は16度。当地は連日30度近く、6月というのに暑いのだが、函館は天国のようだ。 この10日ほど前、北海道も猛暑、また12日間の旅を終えて当地に戻った途端、北海道も30度の場所がでたので、猛暑の間の涼しい谷間に旅ができてラッキーだった。 |
搭乗機。 |
自席。クラスJの1人席を確保していた。 |
出発。京都盆地がよく見えた。 緑の線が4本集まっているが、右下から木津川、宇治川、鴨川、桂川。左下で太い線になっているのが淀川。また左下の緑のかたまりが石清水八幡宮のある男山。 |
飲物サービスはコーヒーをいただいた。 |
上 函館空港着。 函館に泊まるのは、約40年前、約30年前、12年前に続き4回目。また、約40年前には数回、青函連絡船の乗継で通過、約30年前には青函トンネルを通る急行「はまなす」で通過している。飛行機利用に限れば12年前に続き2回目。 左 函館駅行きのバスに乗車。 |
上 函館駅に到着。 左 函館駅前の広場に面した「フォーポイント函館」。ここで2泊する。 |
荷物を預かってもらうだけですぐに街歩きに出るつもりだった。14時前だったのだが、チェックインできて、部屋に入る。 予約はシングルルームだったが、ゴールド会員特典でダブルルームにUGしたとのこと。 |
窓側から入口側へ向けて撮影。 |
窓からは、函館山と函館港が見えた。このあとすぐに行く摩周丸も見える。 部屋には10分ほど滞在しただけですぐに街に出た。 |
14時を回り、遅い昼食を朝市でとる。店は決めていたので直行。「たびじ」で「活いか踊り丼」をいただくつもりだった。 |
ところが「活いか踊り丼」はできないという。いかが品切れらしい。それで、ウニ丼を注文した。 ウニはバフンウニ.。 |
ウニ丼を拡大。いやぁ美味しかった。北海道について、第一食でウニをいただけて幸せ。ただ、いかの踊りは、このあとも見つからず、食べることができず、またの機会にしよう。 |
摩周丸へ。 摩周丸は、現役の青函連絡船だった時代に乗船している。また、約30年前に函館を訪問した際は公開されて間もない時期だったが、見学した。 約30年前は、函館駅は古い駅舎で、もっと朝市寄りにホームがあり、まだ駅から船への跨線橋が残っていて、橋を歩いて摩周丸に行った。今は寂しい通路を歩いて向かう。 |
操舵室。 ここの隣には無線室があった。ただ、残念なのは、青森の十和田丸では公開されている地下のエンジン室や発電室、貨車が運ばれた船底が公開されていないこと。 |
2等和室。かつて青函連絡船があったころ、数往復、乗船したのだが、多くはこの"雑魚寝部屋"に乗船した。 いい位置を確保するために、函館や青森で列車から乗継で乗船するときには跨線橋を走った思い出が残る。 その跨線橋だが、青森の十和田丸には近くに自由通路に姿をかえてであるが残っている。摩周丸のほうは約30年前は残されていたが、とりつぶされてその姿は過去のものだ。 |
函館駅前電停から路面電車で谷地頭へ。函館の路面電車は、今はほとんど一本道で、十字街で谷地頭行きと函館どっく行きに分かれるだけだ。 |
谷地頭から立待岬を目指して歩いた。途中、石川啄木一族の墓があった。 啄木は盛岡で生まれ育った。盛岡では啄木ゆかりの地も訪問した。啄木が函館で住んだのは4か月ほどで東京に移ったが、重要なことがあり、また彼も函館を気にいったようで、墓がある。 |
立待岬に到着。約40年ぶりの訪問。よかったという印象が残っているだけで、当時、碑や駐車場などがあったのかどうか定かじゃない。 |
立待岬から南の方を見る。うっすらと陸地が見えるが、下北半島だろう。 かつて約40年前には何度か青函連絡船でこの海を渡り、約30年前にはこの海の下を通る青函トンネルを何度か通った。しかし、12年前の函館訪問も今回も飛行機利用で、津軽海峡は約30年間通っていない。 |
与謝野晶子の歌碑を見てから立待岬を去る。写真は岬の全景。 |
立待岬から谷地頭に戻る。谷地頭電停の近くに谷地頭温泉があるので入浴していく。 ここも約40年ぶりの訪問だが、一見して大きく変わっていることがわかった。前回の訪問時よりずっと大きな建物になっているのだ。もっとも建て替えられてからすでに、2、30年たっている感じ。 |
(函館市の観光情報HPより拝借) 温泉の写真を探していたら、新たなことも知った。2013年に、市営の公衆浴場から民営に変わっていたのだ。 写真でわかるように、茶色っぽい湯なのが特徴だ。鉄分の錆であろう。 |
(函館市の観光情報HPより拝借) 露天風呂もあり、入浴した。 下 谷地頭電停。ここから十字街まで乗車。 |
路面電車の車内。 下左 十字街電停のそばにあった坂本龍馬の像。 龍馬は函館にはやってきてない。龍馬は姉の子を養子にし、さらにその弟が坂本家をついだが、北海道で暮らしたのだ。弟の孫が坂本直行で, 画家になり、六花亭の包装紙の絵を描いた。前年、幸福駅へ行ったとき、ついでに「六花の森」に行き、このことを知りびっくりした。 |
上右 旧丸井百貨店。現在は函館市地域交流まちづくりセンターになっている。 ドームの上に函館山のロープウェイ山上駅が見える。 左 夕食のために五島軒へ。約40年ぶりだ。手前の新館がいまのレストランという情報があったので、入ろうとしたら、写真の右端の旧館から入るよう案内があったので、旧館の入口に向かった。 |
旧館の玄関。約40年前の訪問時はこちらの建物だけだった。 ここから入ると、すぐに新館のほうへ案内された。待合室もいい感じらしいのだが、待つ必要がなかった。 |
店内。 「明治の洋食&カレーセット」2970円と「函館近郊ワイン飲み比べセット(白ワインセット)」1870円を注文した。 |
5分ほどで、ワイン飲み比べセットが運ばれてきた。料理が運ばれていくるまでに、ワインの飲み比べをしよう。 下左 「はこだてわいん 年輪 白」。 下右 醸造所は七飯町の「はこだてわいん」。辛口だった。輸入ワインとのブレンドだが、何をブレンドしているのかまではわからなかった。 |
「OKUSHIRI
ピノグリ 白」。 奥尻島のワイン。奥尻島は2010年に訪問しているが、1993年の地震、津波の被害や復興の状況を目にした。奥尻ワインも復興のために、2008年にワイナリーがつくられたようだ。訪問時にはすでにワイナリーがあったのだが、全然気づかなかった。その後、有名なワインになってきた。 このワイン、とても甘いのだ。甘いので、このワインを飲んでから、他の2種類のワインを飲むと、味や風味が感じにくい。 |
醸造所は奥尻町の「奥尻ワイナリー」。 下左 「乙部醸造ワイン 白」。 下右 醸造所は乙部町の「札幌酒精工業 富岡ワイナリー」。札幌酒精工業は札幌市にあるが、ワイナリーは乙部町のようだ。 辛口だった。 |
上 ワインを一通り味比べしたころ、料理が運ばれてきた。 40年前は、一皿づつ運ばれてきたので、期待していたら、トレイに乗せて一緒に運ばれてきた。時代の流れだろうし、仕方ない。 左 料理についている飲物はウーロン茶にした。ガラムマサラは、今回の場合は、カレーに追加で加えるスパイス。 |
明治の洋食。 エビフライ、カニクリームコロッケ2個、ハンバーグ、ゆで野菜。 明治時代にこのような料理があったのか、少し疑問だが、美味しくいただいた。 |
イギリス風カレーかハヤシライスだったので、イギリス風カレーにした。また、辛口か中辛かということだったので、辛口にした。量は、ハーフだとメニューに書いてあった。 イギリス風カレーといっても、普通のカレーだった。ビーフが何個か入っていた。辛口はかなり辛く、ガラムマサラはあまり使わなかった。 |
野菜サラダとデザートのカステラ。 |
コーンポタージュとカレーの付け合わせのピーナツと福神漬け。 |
食べ終わったころには新館の玄関もあいていて、会計は新館の玄関ですませ、この出口から出た。 |
五島軒からロープウェイの山麓駅まで10分ほど歩いた。 |
とても大きなロープウェイのかごだ。 下 山上駅の屋上から夜景を見た。函館駅の付近で陸地の幅がせまくなっていることがよくわかる。 山上は寒い。レインウェアを着て夜景を見た。 |
山麓へ下り、電停まで歩き、路面電車の湯の川行きで駅前のホテルに戻った。 |
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