5日目  パダンで年越し

 

 

パダン移動でまたまたトラブル
 この日は大晦日。朝食のためにレストランへ行くと、年越しカウントダウンをするのだろうか、小さなステージが準備されていた。パネルには2015と書かれてるのだろうか。その上に紙が貼ってある。手作り感のあるパネルだ。とはいえ、朝食が終われば、すぐにパダンへ移動するので、自分には無関係だが。

 下左  3泊したブキティンギのホテルで最後の朝食。前日とは少し違うが、前々日とはほぼ同じメニュー。まぁ、飽きるほどでもないが。

 下右  ロントンにスープをかけたもの。前々日とはスープが少し違う。  
 
 
 オムレツ。

 下左  豆に甘いタレをかけたもの。豆は緑前だが、なんだか日本のぜんざいを連想させるものだ。

 下右  フルーツ。
 
 
 前日に、9時に「トラベル」を予約しておいた。ガイドブックに書かれていた「トラベルバス」はパダンのホテルでは理解してもらえなかったが、乗り合いのバンの出発地は教えてもらった。ブキティンギのホテルでは、バンのことを「トラベル」とよんでいた。それで、パダンのホテルまで運んでくれるよう、「トラベル」を頼んだ。5万ルピアだという。

 9時にフロントにチェックウトし、「トラベル」を待ったのだが、何と、予約の電話をし忘れられていたのだ。どうやら、待っている自分を見て、電話をしわすれていることに気づいたらしく、電話をやっとしたようだ。
 
 20分ほど待ってくれ、と言われて待ったのだが、結局、40分ほど待って、やってきた車はタクシーだった。ガァ〜ン。「トラベル」を頼んでおいたのに、タクシーを呼んでくれたらしい。それでも、タクシーでもやむ得ないかと思い、料金を尋ねると、50万ルピアだという。待て、パダンのホテルでは、ブキティンギまで25万ルピアだと言ってたじゃないか。もう値切る気にもならず、タクシーは断った。
 
 あらためて、フロントで「トラベル」を呼ぶように頼んだ。また20分ほど待ってくれ、ということだったが、今度は1時間ほど待たされて、11時にようやく「トラベル」がやってきた。乗り合いのバンだが、誰も乗っていない。ほかの予約した客を拾っていくのだろうか。
 
 出発した「トラベル」は、パダン方面へ走り出したが、あちこちで道端にいる人に向って、「パダン?」と尋ねている。他の客は、走りながら探して乗せていくようだ。何か所も停車して、ようやく満席の7人となってからは、順調に走り出した。計画より2時間遅れのスタートで、その後も時間がかかったが、ようやくまともに走ってくれてヤレヤレ。
 
 道路と並行して線路があり、鉄橋も架かっていたのだが、この線路、列車が走っているのだろうか。往復とも列車はまったく見かけなかったが。
 
 パダンの市街地に入りかけたあたりで、ドライバーが乗換をするように言ってきた。その前に、運賃5万ルピア(約500円)を払った。

 乗り換えたバンは、自分だけが乗車。ほかの客は乗ったままであった。

 乗り換えたあと、別料金を払うように言われるのじゃないかと、内心ドキドキしていたのだが、幸い、この日泊まるグランド・ズリまで運賃を払うように言われることはなく、ホッとした。結局5万ルピアで移動できたので、バンは3万ルピアながら、前後でタクシーに乗らざるを得ず、合計で8万ルピア必要だった往路より安上がりであった。それにしても、往路も復路も大変であった。
再びパダン街歩き
 3日ぶりのホテル グランド・ズリ。14時前に到着。

 真ん中に見えるモスクの向う側あたりが、パダンの街の中心だ。
 
 1時間ほど部屋で休憩。
 
 バス停。歩道の一部分が1mほど高くなっていて、そこにバスが停車する。
 
 このような簡易型のバス停もあった。
 
 警察署の前を通りかかったら何やら集会をやっていた。この日は大晦日なので、特別警戒でも指示していたのだろうか。
 
 まずは市場へ。屋根はなく、パラソルやビニールシートで日差しを防いでの営業だ。地面がぬれていて、水たまりもあり、気をつけて歩かないと足に水がかる。水は汚く、気をつけて歩かないといけない。
 
 豆腐も売っていた。日本の豆腐にそっくりなのだが、味や固さはどうなのだろうか。
 
 竹筒飯。ココナツミルクを入れて甘く炊いてあって、真ん中には甘い餡が入っている。何の餡なのかよくわからないが、ひときれ買ったが甘かった。
 
 泥とゴミで大変な状態になっていたところもあった。木を渡してあり、その上を歩くのだが、歩いにくい。
 
 市場を出て、パダンで中心になるメインストリートへ。パダンでも馬車が活躍している。
 
 ランプータンの屋台だが、手前の箱の中に入っていたサラックを食べてみたくなり、3000ルピア分だけ買った。3000ルピアでも結構な量があり、夜に食べたのだが全部を食べきれず。
 
 メインストリートは道路いっぱいに屋台が広がっていた。
 
 食パンの中にジャムを入れ、それを揚げたトースト。
 
 一枚買って食べてみた。
パダンのチャイナタウンと橋上屋台
 続いてチャイナタウンへ。インドネシアでは、チャイナタウンであっても漢字の看板が禁止されているので、チャイナタウンっていう感じが薄い。

 下左   ビールの広告看板が、ここはチャイナタウンということを主張している。ビンタンの看板のあった店に入ったが、大晦日の夕方で閉店作業中だった。

 下右   こちらはアンカービールの看板。しかし、こちらの店も閉店間際でビールは入手できなかった。
 
 
 中国らしい門があり、ようやくここがチャイナタウンであることが実感できた。門には漢字が書かれている。店の営業のための看板ではないから、漢字を使ってもいいようだ。
 
 催事会場を作っているところだろうか。舞台ができあがり、音響設備が運ばれてきたところのようだ。背後の建物は華僑の会館なかぁ。
 
 運河沿いに出て、しばらく歩くとオランダ統治時代のものであろう建物に出会った。
 
 さらに運河沿いに歩くと、橋が架かっていた。その橋の上で何やらやっているのだろうか。橋の上に上がってみることにした。

 下左   橋の上に上がるのはちょっと苦労した。橋の真下まで来たものの、階段で上がることはできず、300mほど歩いて橋の起点まで行かねばならなかった。

 下右   橋の起点に到着。ここから橋の上を歩く。
 
 
 橋の真ん中あたりまでやってきて、橋の上の状況が判明した。歩道部分に屋台が並んでいるのだ。しかも、すべての屋台が、とうもろこしとバナナだけを扱っている。どうしてだろう。
 
 歩道部分は屋台とその屋台の客が食事をとるスペースになっている。歩くのは車道だ。車は結構通るので、危なっかしい。
 
 橋の中間部から運河を望む。
 
 一軒の屋台でとうもろこしを食べてみることにした。
 
 とうもろこしを焼いた後、食べる部分だけを取り、ソースをかけてくれる。
 
 橋を下りたあたりでもう少しきちんとしたものを食べようと開いていた食堂に入った。
 
 米麺の焼きそばをいただく。

 このあとカメラの調子が不調になっていた。帰国後、画像を調べてはじめて気づいたのだが、この食事の途中から、翌日の昼ごろまでに撮影した画像は開いてみることができなかった。

 ホテルに帰る途中、パレードに遭遇し、ホテルに帰ってからは花火を見たのだが、残念ながら画像はなし。花火を見ながら、市場で買ったサラックを食べながら年越しした。そうそう、ホテルに帰る折、ビンタンの缶を買うことができ、ホテルで飲んだ。