5 日 目  日    南  

青島と鵜戸神宮
 
 上左   このホテルの場合は、ホテルに入居のカフェでの朝食だった。

 上右   ビュッフェの場合に使われるコーナーもあったが、いくつかの定食から選ぶ方式。

 左   普通の和朝食、洋朝食以外に野菜カレー、マグロ丼というのもあったので、野菜カレーにした。
 カレー皿以外のおかずは洋朝食と共通だった。野菜カレーは揚げ野菜をルーを入れた後で置くスタイル。朝カレーで満足だった。
 
 この日は日南市を中心に回るが、最初は青島へ。青島はまだ宮崎市。

 キハ47系の青島行きに乗車。ガラガラだった。
 
 青島の駅名標。神社の鳥居とサーフィンのイメージが描かれている。
 青島駅舎。以前は有人駅だった感じだったが、いまは無人。青島まで、バスの場合より、少し歩く距離が長い。

 下左   案内板の地図。青島は橋で結ばれていて、干潮時は陸続きになるようだ。

 下右   橋までやってきた。いった時は、陸地から切り離された島だった。
 
 
 青島は島の全体が青島神社の境内になっている。島に入ってすぐのところに鳥居があるが、本殿などがある場所までは少し歩く。
 
 本殿は島の内陸側に入ったところにある。

 下左   奥社に向かう参道はヤシの木の森の中を歩く。亜熱帯性植物群落として天然記念物になっている。

 下右   奥社は島のほぼ中央にある。

 
 
 
 
 上左   奥社では、陶器の皿や貝殻を投げる占いがある。200円で皿を買う。

 上右   皿を投げると少し割れて上向きで着地した。

 左   島の周囲は「鬼の洗濯板」という海岸に平行な岩石で囲まれている。
 
 
 上左   青島を一周したかったのだが、時間不足のため、神社からバス停に引き返した。

 上右   バスで鵜戸神宮に向かう。

 左   乗車後10分ほどで堀切峠を通る。太平洋と「鬼の洗濯板」と同じような海岸が見える。
 
 左左   鵜戸神宮に到着。

 左右   準備不足で十分に下調べができていなかった。バス停から神社までかなりの距離があることを下車してから案内板で知った。まずは、上り階段が続く。
 
 
 
 上左   階段の後はトンネルで山の反対側に抜ける。

 上右   そして今度は階段を下りる。トンネルは昭和40年にできたもので、それまでは山の上まで上って下るルートで参拝していた。いった時は、旧ルートは台風のため倒木があり通れなくなっていた。

 左   階段を下りた後は海岸より少し高い位置の参道を歩く。やがて山門がみえてきた。
 
 途中、波切神社や吾平山稜(神武天皇の父母の墓との伝説がある陵墓参考地だが、ほかにも候補があり場所は確定していない)などへの分岐もあったが、時間不足で行けなかった。

 さらに歩くと崖下に本殿のある洞窟が見えてきた。
 
 本殿がある洞窟の入口。
 
 洞窟内の本殿。この裏側を回って本殿を一周した。
 
 鵜戸神宮の絵馬は、このようなウサギ型をしている。

 約1時間後のバスに乗るのは忙しかった。できたら再訪問して、波切神社や陵墓参考地へも行ってみたい。
油津と飫肥
 油津到着。時刻表では「油津待合所」と表記されているのだが、小さなバスターミナルだった。バスはいったん奥にある広いところでぐるっと回って乗降場に入る。
 
 すぐそばにはJR油津駅。駅名は愛称だが「Carp油津駅」になったのか。駅舎は広島カープの赤ヘルと同じ赤で塗られている。2018年2月かららしい。広島カープが長年、油津でキャンプをしているからだ。
 
 駅舎の中はカープの写真やグッズがいたるところにある。

 下左   待合室。

 下右   駅舎の外壁の一部にもカープのマスコットが描かれている。
 
 
 
 上左   アーケード街の入口。太陽光が暑くならない程度に入る構造になったアーケードで、広島カープのグッズショップがあり、明るい感じの商店街だった。商店街つくりの分野では全国的にも著名な商店街らしいことは聞いたことがある。

 上右   平日の昼間だったが、人出がゼロに近かった。

 左   堀川史料館の2階から見た運河と堀川橋。
 
 
 上左   堀川資料館。1階は観光案内、2階は、この付近で撮影されることがよくあった「男はつらいよ」のポスターの展示などをやっていた。

 上右   「男はつらいよ」のポスター。出演者のサインなどもあった。

 左   杉村金物本店の建物。現役の店舗なのだが、行ったときには雨戸が閉じられていた。
 
 このような古い民家をはじめ、書店だった建物、医院だった建物などがあった。

 赤レンガ館が、外装そのままで、展示施設や土産物屋が入る施設になっていた。
 
 大忙しで油津駅に戻ると間もなく列車がやってきて、飫肥へ向かう。
 
 油津は窓口で切符を買うようになっていた。短距離の区間の切符は、昔あった回数券のようなスタイルで、短冊形のペラ券に駅名のスタンプを押して、切り離す方式、スタンプにはしっかりCarpの文字がある。(関西の私鉄では、1980年ごろまで回数券はこのスタイルで、改札口でスタンプを押してもらっていた。)
 
 飫肥に到着。飫肥の駅舎は城の雰囲気を出したものだ。

 飫肥城の周辺が主な観光地になっているのだが、駅からは2km弱離れているうえ、単調な道なので退屈する。

 下左   飫肥城の大手門の直前にある、おび天で有名な「蔵」に入店。おび天を実演販売するとともに、レストランで食べさせている店だ。

 下右   レストランの店内は古い住居風で落ち着く。
 
 
 華定食をいただく。おび天はじめ郷土料理がまとめていただける。

 右上の黄色いのは厚焼き卵なのだが、玉子焼きというよりはプリンのような食感だ。

 右下の汁物は、カニ幕汁で、川でとれるカニを殻ごとすりつぶして具にしている。

 下左   おび天。さつま揚げに似ているが、魚のすり身と豆腐を混ぜているので柔らかく、みそ味がついていることなどさつま揚げとは異なる。

 下右   フワフワ感と少しみその色がついていることがわかるだろうか。
 
 
 大手門の手前にある豫象館。藩主であった伊東家の住居として、城内にあった建物を移築したもの。写真は庭園。

 下左   小村記念館。日露戦争のポーツマス条約を調印した外務大臣の小村寿太郎は飫肥の出身。

 小村の功績を記念する展示施設。ほとんど撮影禁止で、小村の等身大のパネルは記念撮影用に撮影可だった。

 下右   大手門。ここを入るとすぐに本丸跡があり、小学校になっていた。
 
 
 
 上左   松尾の丸。昔の御殿を模して昭和54年に造られた。武家屋敷がどんな特徴があるのかがわかるようになっている。

 上右   歴史資料館。飫肥藩の歴史を知るにはよかった。撮影禁止。

 左   小村寿太郎の生家。別の場所にあったものを移築したもの。
 
 武家屋敷通り。両側が石垣で気持ちよく歩ける。
 
 振徳堂。飫肥藩が藩校として利用していた。中に入ることができた。座敷に座らせて授業をしていたようだ。

 このあと、古い商家などを大急ぎで見て、飫肥駅に向かった。
空港線乗車とJAL・ANA共用ラウンジ
 飫肥駅から宮崎行きの列車に乗車。

 宮崎空港線が分岐する田吉で乗り換え。乗換駅とと言っても無人駅。宮崎行きから下車するときは切符を見せて乗換と言ってホームへ、

 宮崎空港線は田吉から宮崎空港までのわずか1.3km.だが、運転上は日南線の南宮崎・田吉も含まれており、この区間は日南線も電化されている。
 
 
 上左   田吉駅の駅名標。隣の駅として日南線の駅と宮崎空港が併記されている。

 上右   特急がものすごいスピードで通過。

 左   空港の端からはあまり離れていないので、飛行機もよく見える。ソラシドエアの出発のようだ。
 
 宮崎空港行きが到着。予想外だったが、特急用車両だった。後日調べると、宮崎空港線で普通列車に特急車が使われるケースはそう多くないみたいで、ラッキー。

 下左   特急車で普通の表示。

 下右   車内。わずか2分ほどだが、特急車に乗車。
 
 
 乗ってきた車両は、折り返しで特急「ひゅうが」延岡行きになるようで、間合い使用で普通に使われていたようだ。

 また、他の掲示で、宮崎・宮崎空港間は特急券なしで特急に乗れることもしった。
 
 駅は1面2線のホ―ムのため、ホームの先端改札がある。そのため、乗車位置で歩く距離が違ってくる。

 駅を出るといったん地上に出て、空港のターミナルビルに入る。少し前に利用した仙台空港と比べると、わずかに仙台の方が便利かなって感じ。
 
 
 上左   空港内に入り保安検査場を通過し、ラウンジ「大淀」へ。

 上右   ここはJALとANAの共用ラウンジのようだ。ICカードの読み取り機も2社のものが並置されている。

 左   入室資格の案内もJALとANAのものが併記されている。
 
 航空会社の共用ラウンジであるので、カード会社のラウンジとは違い、航空会社のラウンジとほぼ同じといってよい。ビールも飲めるのがよい。
 
 ラウンジ内。結構広い。狭いラウンジを別々に作るよりいいかな。
 
 JL2442伊丹行きに搭乗。ゲートの改札口にもJALとANAの改札機が並置されている。
 
 機体中央部にある非常口座席をとっておいた。足先が少し広い。機内は満席に近い状態だった。

 下左   宮崎空港の愛称は宮崎ブーゲンビリア空港だということを知った。

 下右   飲物サービスはコーヒーをいただいた。やがて伊丹に到着。今回の旅も終了。
 

 

  4日目 鹿児島・宮崎のトップページ 全体のトップページ