11 日 目   崎 津 再 訪 し て 帰 宅

崎津を再訪
 朝食は和食を選んだが、前日とほぼ同じで、焼魚が違っていた程度の差。美味しかったのだが、この日は洋食を選んだほうがよかったかなと思った。

 食事後、ホテルをチェックアウトし、ターミナルに向かった。ターミナルの窓口で1日券を購入。

 この日はもともとは富岡へ行く予定だった。しかし、前々日に崎津を十分に散歩できなかったので、崎津を再訪することにした。富岡も行きたいので、また天草にやってくる理由ができた。
 
 8時20分発、牛深市民病院行きに乗車。9時20分、運動公園前着。

 あとで行くコレジョ館への道を下見。コレジョ館へは3分ほどで到着できることを確認。

 このあと、9時44分、運動公園前発の下田温泉行きに乗車。
 10時3分、大江天主堂入口着。バス停そばのロザリオ館へ。

 よかったのは、潜伏キリシタンが祈りをささげた隠れ部屋の複製があったこと。

 ここは写真撮影は禁止だった。また時間がないので大江教会は行かなかった。
 
 10時51分発、河浦車庫行きに乗車。

 途中、出入りの複雑な海岸が見えた。

 11時4分、崎津教会入口着。
 
 バス停の前の宮下商店。

 下左   店の前で”杉ようかん”を売っていたので、1つ購入。

 下右   ”杉ようかん”は、実はようかんではなく、餅だった。餅の上に杉の葉が置いていあり、杉の香りが餅に移っている。
 
 
 前々日にも行ったが、もう一度、崎津教会へ。堂内にも入った。
 
 崎津諏訪神社。

 禁教期に潜伏キリシタンは、この神社の氏子になり、参拝した。神社とキリスト教が融合した信仰が行われた。潜伏キリシタンは、参拝の際「あんめんりうす」と唱えたという(アーメン、イエスから変化したようだ)。
 
 神社から見た崎津集落の風景。教会と漁村が溶け合っている。
 神社前の階段を下りたところの鳥居。

 この左側に民家があるが、ここが明治になって最初に教会が建てられた場所で、のちに現在の場所に建て替えられた。
 
 一年中、しめ縄をする風習があるようで、しめ縄を飾っている家が多い。信仰にかかわりないようで、もともとは、潜伏キリシタンも信仰を隠すために飾るようになったのが、宗教とは関係ない地域の伝統になったようだ。
 
 崎津では裏手が海の場合、民家と民家の間には狭い路地が設けられているところがほとんどだ。この路地を「トウヤ」という。

 海に出るのに利用されるともに、住民の交流の場でもあったという。

 下左   旧網元の家。改修されて今は、「お休み処 よらんかな」という無料休憩所になっている。

 下右   家の中を見られるようになっていて、展示も行われていた。
 
 
 裏手へ行くと「カケ」も設けられていた。

 「カケ」は、陸地から海に突き出た船着き場で、漁師の作業場でもあった。各民家の海側に設けられていた。ここは安全のために柵が設けられているが、通常はない。
 
 
 上左   左側が、ちゃんぽん専門店「愛夢里」。営業は金土日祝の昼間のみ。

 上右   店内。

 左   メニューはちゃんぽんだけ。ヒオウギ貝の貝殻がアクセントになっている。具にもヒオウギ貝の貝柱が入っている。

 キャベツなどの野菜が大量に入っているのが特徴の天草ちゃんぽんだ。そして、長崎ちゃんぽん、小浜ちゃんぽんとともに日本3大ちゃんぽんだという。(小浜は、島原半島西側の小浜温泉の小浜)長崎ちゃんぽんは何度か食べたので、小浜ちゃんぽんを食べたいものだ。
 
 食事後、湾の奥にあたる食堂の付近から見た崎津教会。
 
 湾を隔てて、崎津教会の反対側のあたりまで移動。湾ごしの教会を見た。水面に教会の姿が映し出されているのもなかなかいい。
 
 道の駅「崎津」に入ってみたが、展示施設はあまり充実していなく、売店も小規模だった。

 道の駅のそばの「崎津」バス停から13時5分発の河浦車庫行きに乗車。

 写真の左端の方に教会が小さく写っているのがわかるだろうか。
 
 13時9分、運動公園前着。コレジョ館へ。

 コレジョ館も内部の撮影禁止で、一部のもののみ撮影可能だった。25分ほどの見学時間だったので、大急ぎで見学。

 2日間で4ヶ所のキリシタン関係のミュージアムを訪問した。自分が満足した順に書くと、本渡・キリシタン館>崎津・コレジョ館>大江・ロザリオ館>上天草・天草四郎ミュージアム。
 
 天正遣欧施設が持ち帰ったグーテンベルク発明の印刷機の複製。

 下左   天草のコレジョに設置されたグーテンベルク印刷機で印刷された「伊曾保(イソップ)物語」の複製。日本語をローマ字表記で記載しているのだという。

 下右   天正遣欧使節の服装の複製。
 
 
 キリシタン関係の展示室以外に郷土の偉人をとりあげた展示室があったので入った。

 2人取り上げられていたのだが、1人が園田直だった。

 1967年に国が水俣病患者に謝罪し公害病認定をした時の厚生大臣(当時は環境庁ははまだなかった)。また1978年の日中平和友好条約締結時の外務大臣。どちらも戦後史の重要な出来事だと思うがこれらの担当大臣だったことを知って驚いた。水俣病の公害病認定は、彼が近くの出身だったことが大きく影響したんだろうなと思った。

 彼がこの地の出身だったとは知らなかった。軍隊除隊後、一町田村(合併で河浦町を経て天草市の一部になる)の村長を経て衆議院議員になった。田中角栄と同期で、15回当選。内閣官房長官や衆議院副議長もつとめ。自民党内の派閥を率いたこともあるようだ。特に説明はなかったが、天草五橋建設には尽力したころだろう。
 
 13時38分、運動公園前発の本渡バスセンター行きに乗車。

 バス停に向かう途中、運動公園の入口に銅像があったので、近寄ってみたら園田直の銅像だった。

 14時35分、本渡バスセンター着。
AMX(天草エアライン)で福岡へ
 15時発の天草空港行きに乗車。

 バスの後の茶色い建物ううち、右側が泊まっていたホテル。

 乗車したのは自分だけだった。天草でも、地元客は自家用車で空港まで行くのが普通なのだろう。
 
 15時14分、天草空港に着。

 今回の旅で、離島空港3つ、対馬、壱岐、天草と利用することができた。天草空港は壱岐空港より大きく、対馬空港より小さい感じだ。
 
 ターミナルに入ってすぐのところに天草エアラインのカウンター。

 天草空港は天草エアラインだけが就航。天草エアラインは天草市などによる第3セクター会社。

 下   搭乗券。MZ105だがJALとコードシェアしていて、自分はJAL3894としての搭乗だ。
 
 
 出発便の案内は機械ではなく、ボードにマグネットで張り付ける方式。
 
 待合室で待つ。普通なら保安検査場へと向かうのだが、保安検査場へはまだ入れない。出発の10分ほど前までここに座って待った。

 ようやく案内があり、写真の左端にある保安検査場へと進んだ。
 
 保安検査を終えてびっくり。保安検査を終えた後は、制限エリアにある待合室で搭乗案内を待つのが普通だ。ここの場合は、保安検査を終えたあと、外に出て、飛行機に向かうのだ。オレンジ色のところを歩いて飛行機に向かった。保安検査の終わった人から搭乗するってのは初めての体験だ。
 
 飛行機はプロペラ機で、機種はATR42-600。水色の塗装。

 後方から搭乗するのだが、そのことを知らずに前方の席を確保したのはちょっとミスだった。降機のさいも後方からだったので。
 
 機内。小型機とはいえ通路の両側に2人席が並んでいる。
 
 エンジンの部分はイルカが描かれている。飛行機の先頭部分もイルカの絵が描かれている。
 
 お見送り。手をふって返しておいた。
 
 席は前方は空きが目立つ。降機しやすい後方のほうが込んでいたので、地元客はよく知っていたようだ。
 
 離陸して数分後、雲仙の平成新山の山頂が少し下に見えた。島原市の上空を飛んでいるのだろう。
 
 30分ほどで福岡空港に到着。バス連絡でバスの中から撮影。

 機体全体がイルカをイメージしたいて、尾翼の部分は尾ひれになっていることに気づいた。
福岡で天ぷら「ひらお」に立ち寄り帰宅
 福岡空港では、外に出ると16時30分。乗継便の伊丹行きは19時5分発なので、18時45分ごろ搭乗だろう。遅くとも、18時15分ごろには保安検査場を通過したい。

 乗継時間を使って、天ぷら店「ひらお」に行ってこようと思う。歩いて25分くらいなので、歩いても問題ないとは思うが、バスも多数走っているようだし、バス利用にした。
 
 福岡空港の国内線ターミナルの入口は博多駅などは、滑走路を挟んで逆の側にある。

 バスはバス停に向かっていたら、後ろから抜いていったので、あわてて走って乗れた。いろいろな系統があるが、途中で曲がる系統もないし。おそらく「ひらお」近くまで行けるだろうと考えて乗った。

 滑走路に沿って走ったバスだが、「席田(もろた)会館」バス停が「ひらお」の横にあったので下車。
 
 「ひらお」に到着。入口がわかりにくかった。写真右側の風よけの反対側に駐車場があり、そちら側からは簡単に入れるようになっていた。自家用車での来店客が多いのだろう。

 天神などにも支店があるが、ここが本店。この付近の地名が平尾なので、地名から名付けたのだと思う。
 
 いろいろな定食があり、どれにしようかと悩む。値段は多くの定食も800円台で値段の差は少ない。含まれている天ぷらが微妙に違っているのだ。

 結局、いろどり定食を選び、券売機で食券を買って中へ。
 
 中に入ると、とても長いカウンターが続いていてびっくり。大きな店だが、全部がカウンター席でカウンターが延々続いているのだ。

 奥のほうのカウンターがガラガラだったので、奥へと行きかけたら、手前の両側に先客が食べている席に座るように合図された。席の間にはアクリル板が設置されているが、窮屈感があったので、すいているところに座りたかったが、やむを得ない。
 
 先に、ご飯、みそ汁、イカの塩辛、天つゆ(大根おろし入り)がセットされた。

 隣の客は、イカの塩辛と天つゆとご飯のお代わりをしていた。イカの塩辛と天つゆのおかわりは無料、ご飯のおかわりは有料だとわかった。カウンターでの追加注文は現金支払いOKで券売機まで行かなくてよいようだ。
 
 上左   はもとえび。

 揚げた天ぷらは、流れ作業式にカウンターに沿って、トレーに入れられていく。ここで、やっとカウンターが横に長いことや窮屈そうな席に案内された理由がわかった。揚げたてが供せられるのは、高級店のやり方なので好感がもてる。

 上右   ささみとかぼちゃ。

 左   さつまいも、いか、ピーマン。

 
 
 イカの塩辛、天つゆ、ご飯のお代わりを申し出ようかなと迷ったけれども申し出なかった。次回の来店時には、ご飯は最初から大盛にして、途中でイカの塩辛と天つゆのお代わりを申し出ようかな。

 食後は店を出て、道路の反対側へ渡る横断歩道で信号待ちしていたらバスがやっていたので、少し走って飛び乗った。

 数分乗って福岡空港着。写真は空港到着時のもの。
 
  保安検査場を通リ、すぐにサクララウンジへ。今回の旅行の初日にはANAラウンジを利用したので、そのときに気づいたのだが、サクララウンジとANAラウンジは隣り合っている。こういう空港は珍しいと思う。

 ラウンジに入ったときは17時40分だったので、「ひらお」往復は1時間だったことがわかった。またラウンジでは1時間近く滞在できる。「ひらお」へ行く時間があるかどうか心配していたが、まったく心配不要だった。
 
 10日前に隣にあるANAラウンジを利用したばかりなので、違いがよく分かった。サクララウンジは重厚感があり、高級な感じがする。ANAラウンジは若々しく活動的な感じがする。飲食物については、どちらもほぼ同じといってよい。

 下左   ビールとハッピーターン。

 下右   アイスコーヒーとカレーせん。
 
 
 搭乗時刻が近付いてきたのでゲートに向かう。福岡空港は大きな空港では珍しく、航空会社でゲートが分かれておらず、各ゲートとも会社が共同使用していること。これから搭乗するゲートもJALとANAの改札機が並べて設置されている。

 出発便の案内も各会社の便は合わせて表示されていてにぎやかだ。

 下左   搭乗するのはJL2060。伊丹行き。

 下右   機内へ。
 
 
 座った席。クラスJの最前列を確保しておいた。

 機種はエンブラエル190(E90) 。今回の旅では、ANA、オリエンタルエアブリッジ、天草エアラインとプロペラ機が続いたが、最後に小型ジェット機に搭乗となった。

 下左   飲物サービスではコーヒーをいただいた。

 下右   いよいよ伊丹着陸。今回の旅も無事に終了。

 

 10日目 対馬・壱岐・島原・天草のトップ 全体のトップ