12 日 目   喜 界 島 よ り 帰 宅

トンビ崎再訪問など奄美最後の一日
 7時10分から朝食。

 この日は帰宅日なのだが、喜界島発が17時40分と遅く、16時ごろまで島内を見て回れる。前日に見たい所はかなり行ったので、本日は空港近辺がメインになる。これだけだと、時間が余りそうで、前日の訪問では場所がはっきりしなかったトンビ崎にもう一度、行ってみることにした。
 
 9時前にチェックアウトし、16時半まで荷物を預かってもらう。

 最初に向かったのはAコープ。昼に食べるパンと飲物を買った。

 

 下右   マルエーフェリー子会社の奄美航空が喜界バスを運行。
 営業所で1日券を買い、9時10分発の時計回りのバスに乗車。

 北本線は時計回り、南本線は反時計回りのこと。
 
 喜界バスは、マルエーフェリーの子会社の奄美航空が運行している。

 奄美航空は、他に何をしているのか調べてみて驚いた。喜界空港は奄美航空の所有、運営だという。また、奄美、喜界、徳之島、与論各空港の地上業務を請け負っている。各空港のカウンターでJAL(奄美空港はピーチ、スカイマークも)の制服を着ている係員は奄美航空の社員だという。あと、旅行業と喜界第一ホテルの運営といろいろやっている。
 
 前日に見つけていたトンビ崎の標識のところで下ろしてもらった。30分ほどかけて、前日行ったところへ再び行ってみた。

 下左   前日の夜に、トンビ崎の案内板があるというネット情報があったので、案内板を探したが見つからなかった。やや古めの情報だったので、撤去されたか、飛ばされてしまったのかもしれない。

 スマートフォンの地図で島の最北端へ行った。トンビ崎と表示されているところとは少し違うが、最北端ということを優先した。荒々しくして、歩くにくく、波打ち際までは行けなかった。

 丸みを帯びた海岸線なので、どこがトンビ崎かもともと決まっておらず、この一帯の全体がトンビ崎なのかもしれない。
 
 
 上右   トンビ崎灯台。バスの時間の関係でそばまで行けなかった。灯台も最北端からはかなり離れたところにある。

 左   バス停ではないところで手を上げて、バスに乗車。下車したのもバス停ではなく、手津久津の大ガジュマルの最寄の場所。ガジュマルを見たあと、逆方向のバスに再び、バス停じゃないところから乗車した。
 
 
 上左   阿伝で下車。

 上右   バス停付近の石垣が珊瑚礁を利用したもの。

 左   集落の内部も珊瑚礁の石垣があり、前日行った小野津集落よりも大規模な珊瑚礁の石垣エリアだった。
 
 上左   阿伝の海岸にある公園のベンチで昼食。

 上右   朝、Aコープで買ったパンなどの昼食。

 左   バスで空港に近い荒木で下車。荒木・中里遊歩道を歩いた。ずっと海岸を歩くのだと思っていたら、大部分が内陸の亜熱帯性植物の間を歩くコースだった。
 
 海岸を歩く部分も少しあり、眺めがよかった。冬はホエールウォッチングができるらしい。
 
 遊歩道は空港のそばで終わっている。空港の海岸側は、空港臨海公園になっていて、一部がスギラビーチという砂浜海岸になっていた。
 
 空港の海岸側から玄関側に回り、空港からほど近い戦闘指揮所へ。

 特攻機は喜界空港で整備、給油を受けたが、隊員はここで作戦の指示を受けたという。
 
 平家への反逆をした罪で喜界島へ流された僧・俊寛の墓。
 
 掩体壕(えんたいごう)。航空機を守るための壕。喜界島には約50ヶ所に掩体壕があったが、ここだけがコンクリート製で、飛行機の整備に使われたという。空港からここまでは、飛行機が道路を通ったのだろうか。
ハプニング続きの旅も終了
 16時に宿に戻り、荷物を受け取って、しばらくロビーで休憩。16時30分に出発し、10分ほどで空港に到着。
 
 いよいよ帰宅。喜界島から鹿児島まで飛び、乗り継いで伊丹に向かう。


 保安検査場はまだ開いていなかったので、カウンターの前の待合室でしばらく待った。
 
 保安検査を受けて、ゲートのある待合室へ。この待合室にはトイレがないので、トイレがないことを注意するアナウンスを何度もしていた。
 
 搭乗開始。ゲートを出て飛行機まで歩いての搭乗。
 
 機内。
 
 鹿児島空港着陸は定刻より5分ほど前だったが、機外に出るのに手間取り、バス連絡だったので時間がかかる。バスがターミナルに着いたときには定刻を5分すぎ、乗換便の出発15分前。

 バスを下りて、エスカレータに乗っていると名前がアナウンスされた。たまたまだが、乗換便のゲートはエスタレータから5mほどの場所で、すぐに搭乗できた。

 最低乗継時間は20分だったが、ダイヤ上の乗継時間も20分。規定上、乗り継げるので、万一の場合は何とかしてくれると思っていた。
 
 伊丹行きに乗ったのは自分が最後だったようで間もなくドアが閉まった。乗継時間がぎりぎりだったので、ラウンジや売店はあきらめていたが、トイレにも立ち寄ることができなかった。

 ぎりぎりだったとはいえ、定刻に出発できてよかった。クラスJの1人席の最前席を確保済。
 
 飲物サービスはコーヒーをいただいた。

 やがて伊丹到着。いろいろとハプニングがあった旅だったが、どれも大事にはいたらず、無事に旅を終えることができた。
 
 今回の旅は、ハプニングが連続したので、旅の中身以外にハプニングの点で忘れがたいものになった。

・当初計画のスタート地点、那覇で2泊する予定が、1泊目を終え、2日目の朝に、友の逝去の知らせを受け、急きょいったん帰宅することになった。

・那覇から伊丹往復を往復割引で購入。当日の購入など滅多にない。まさかだが伊丹行きも翌日那覇行きも国際線ビジネスのクラスJがとれた。

・自宅で1泊し、那覇に戻る予定だったが、翌日、伊丹から那覇便が遅延になり、与論行きに乗り継げないことになり、鹿児島乗継に経路変更。

・与論から沖永良部は船での移動。沖永良部で到着予定の和泊港に入港できず、急きょ伊延港に入港。和泊の宿に電話して送迎を依頼。

・徳之島から奄美大島古仁屋も船で移動。この船が1時間半遅延。着いたたあとは予定がなかったので旅への影響はなかった。

・古仁屋から加計呂麻島への船の予定便が欠航。でも次の便は運航と放送があり、渡島したが、その次の便か欠航との放送がありひやひやした。

・マングローブパークで靴ひもがほどけ、結ぼうと下をむいた瞬間、胸ポケットに入れていたデジカメが、拾うことができないところへ落ちてしまった。

 どれも、無事にうまく対応でき、旅に大きな支障がなかった。それにしてもこれだけよく重なったものだあらてめて驚く。

 

 11日目 奄美のトップ 全体のトップ