11 日 目 喜 界 島 の 一 日
喜界島最高地点へ |
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![]() 下左 喜界町役場。 下右 喜界徳洲会病院。 |
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![]() 下左 30分ほど、坂道を上がり続けて鉄塔に到着。 下右 すぐそばに、テーバルバンタという見晴らし台があった。 |
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![]() 向う側の台地とこちらの台地の間の谷を上ってきて、ここにたどりついた。テーバルバンタのあるこちら側も台地だ。だから、ここまで上がるのが大変だったが、このあとは台地の上の平坦な道を歩く。 向うの台地も自分がいる側の台地も、珊瑚礁が隆起してできた隆起珊瑚礁。結構珍しいものだという。 |
![]() 喜界島は年間2mmづつ隆起しているのだが、世界的にみても隆起の最も激しいところのひとつらしい。 |
![]() 展望台のある台地の先端が海岸側に飛び出ていて、漁のとき漁船から目印として利用されたようだ。 |
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![]() 写真の左上の高く盛り上がっているのが、最高地点。最高地点っても周囲よりも少し盛り上がっているだけで、山の峰とは全然違う。台地の中のわずかに高い場所である。 |
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![]() 上右 最高地点からの眺め。 左 最高地点のすぐそばには、旧海軍の電波探査基地があった。落下の危険があり、内部には入れない。 |
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![]() 上右 海岸の阿伝集落と台地上を結ぶ「七十七曲り」という道もあったようだが、通行止め。通れたとしても、相当急傾斜なんだろうな。 左 百之台公園に到着。 |
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![]() ほぼ平地に下ったところから「サトウキビの一本道」(シュガーロード)が始まる。 |
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![]() 上右 少し歩くと「サトウキビの一本道」は起伏のある道だとわかり、その北に端まで見渡せた。 左 牧草ロールのビニールを巻いてないものを初めて見た。 |
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![]() 上右 2,3分上ったところで、倒木のために上れなくなった。平家森はあきらめた。 左 「震洋」格納庫に向かう。 |
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はっきりわからなかったトンビ崎 |
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![]() 壇ノ浦の戦いで敗れた平氏の一団が、奄美大島や加計呂麻島に逃れるのだが、その前に喜界島に立寄ったとされている。その時の上陸地とされている場所だ。 |
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![]() ごつごつした石が散らばっていて歩きにくい。どこがトンビ崎なのかはっきりしない。海岸全体が丸みをおびているから。そかも、スマーフォンの地図では、最北端じゃない場所にトンビ崎の表示がありはっきりしない。 |
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![]() 薩摩で役人に気に入られた美女のウミトラは喜界島に逃れて結ばれ、娘ムチャカナも美人だったのをねたまれ海に突き落とされた。ウミトラも娘を追って自殺したという言い伝えがあり、これに基づいてつくられた公園。 |
![]() 保元の乱に敗れた源為朝が沖縄に逃れようとしたが、その途中、喜界島付近でしけになり、島に住民がいるか確かめるために矢を放つと、泉が湧き出たという言い伝えのある泉。 |
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![]() 左 その案内板。 下左 漂流船から内陸に向かいバスに乗車した。志戸桶からここまで8km歩いた。この日は午前中歩いた台地とあわせて16q歩いた。 下右 バスは喜界第一ホテル前で下車し、宿に戻った。 |
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![]() 下左 回転寿司のレーンはあったが、回っておらず、注文して持ってきてもらう仕組みだった。 下右 生ビール。 |
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![]() ![]() 上中 島たこ。 上右 茶碗むし。 左左、左右 喜界島酒造製の黒糖焼酎「しまっちゅ伝蔵」。 |
![]() ![]() 左右 赤貝。 |
![]() ![]() 左右 レタス巻。 |
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