11 日 目   喜 界 島 の 一 日

喜界島最高地点へ
 朝食は7時10分からか50分からか聞かれて、10分から頼んでおいた。
 
 朝食会場。
 喜界バスの湾営業所。(営業所はここ1か所だけれども。)喜界バスはマルエーフェリーの関連企業の奄美航空が運行しているようだ。
 
 1日乗車券を買った。バスの中でも買える。写真は、この日行った「さとうきびの一本道」。ここはバスは通らないんだけれど。
 
 8時5分発の反時計回りに島を一周するバスに乗車。

 下左   喜界町役場。

 下右   喜界徳洲会病院。
 
 
 「浦原」バス停で下車。
 
 丘の上(矢印のところ)に鉄塔が見えるが、そこがまず目指すテーバルバンタかな。上るのが大変そうだ。

 下左   30分ほど、坂道を上がり続けて鉄塔に到着。

 下右   すぐそばに、テーバルバンタという見晴らし台があった。
 
 
 テーバルバンタからの眺め。写真の左の真中付近、台地の斜面を下りたあたりがバスを下りたところ。

 向う側の台地とこちらの台地の間の谷を上ってきて、ここにたどりついた。テーバルバンタのあるこちら側も台地だ。だから、ここまで上がるのが大変だったが、このあとは台地の上の平坦な道を歩く。

 向うの台地も自分がいる側の台地も、珊瑚礁が隆起してできた隆起珊瑚礁。結構珍しいものだという。
 10分ほど平坦な道を歩くと平坦地が広がる中西公園に到着。ここも隆起珊瑚礁の上の台地上。

 喜界島は年間2mmづつ隆起しているのだが、世界的にみても隆起の最も激しいところのひとつらしい。
 
 中西公園の海岸寄りの一角に海岸の見える展望台がある、アダテノハナ展望所というようだ。

 展望台のある台地の先端が海岸側に飛び出ていて、漁のとき漁船から目印として利用されたようだ。
 
 海岸の眺め。手前の木が邪魔して見にくかった。
 
 海岸の反対側は、山はなく、平坦な土地が広がっている。
 
 喜界島の最高地点「ポイント211」へ。標高が211mなので、この名がついているのだろう。

 写真の左上の高く盛り上がっているのが、最高地点。最高地点っても周囲よりも少し盛り上がっているだけで、山の峰とは全然違う。台地の中のわずかに高い場所である。
 
 
 上左   最高地点。

 上右   最高地点からの眺め。

 左   最高地点のすぐそばには、旧海軍の電波探査基地があった。落下の危険があり、内部には入れない。
 
 
 
 上左   台地上の道を歩くと紅葉しているものもあった。

 上右   海岸の阿伝集落と台地上を結ぶ「七十七曲り」という道もあったようだが、通行止め。通れたとしても、相当急傾斜なんだろうな。

 左   百之台公園に到着。
 
 百之台からの眺め。
 
 百之台公園を出たあ戸は徐々に高度を下げていった。バスを下りてからここまで8kmほど歩いた。

 ほぼ平地に下ったところから「サトウキビの一本道」(シュガーロード)が始まる。
 
 
 上左   「サトウキビの一本道」の南の起点あたりから。

 上右   少し歩くと「サトウキビの一本道」は起伏のある道だとわかり、その北に端まで見渡せた。

 左   牧草ロールのビニールを巻いてないものを初めて見た。
 
 
 上左   平家森の入口。看板が白く写っているのは、撮影の関係でそうなったのではない。もともと白い看板だったのだ。ここから山道を上った。

 上右   2,3分上ったところで、倒木のために上れなくなった。平家森はあきらめた。

 左   「震洋」格納庫に向かう。
 
 格納庫。ここを基地とした「震洋」部隊は一度も出撃することなく、戦争が終わったということだ。
 
 格納庫から大通りに出たところにAコープ早町店があった。品数は少なかったが、弁当があったので買った。
 
 前日、夕食を買った時に、昼食用の菓子を買っていたが、不要になった。昼食は、弁当を店のそばで腰かけて食べた。
 
 喜界バスはどこからでも乗車し、どこでも下車できるので、Aコープのところから乗車。
はっきりわからなかったトンビ崎
 午後は喜界島の最北端のトンビ崎など島の北部を見て回る。バスは海岸から1kmほど内陸を走りので、志戸桶で下車して島の北海岸に向かった。
 
 ドクターヘリ用のヘリポートがあった。あることは知識としては知っていたが、実際に見たのは初めて。思ってたよりも広い。

 
 
 下左   「平家上陸之地」の碑。

 壇ノ浦の戦いで敗れた平氏の一団が、奄美大島や加計呂麻島に逃れるのだが、その前に喜界島に立寄ったとされている。その時の上陸地とされている場所だ。
 
 やぎが放し飼いにされていた。
 
 喜界島の最北端はトンビ崎。

 ごつごつした石が散らばっていて歩きにくい。どこがトンビ崎なのかはっきりしない。海岸全体が丸みをおびているから。そかも、スマーフォンの地図では、最北端じゃない場所にトンビ崎の表示がありはっきりしない。
 
 トンビ崎がどこかはっきりさせるのは断念。外周の道路に戻って、トンビ崎らしき方向に向かって撮影。
 
 バスの通る道路に戻った。トンビ崎の近辺では、「トンビ崎」と書かれた看板などは何もなかったのだが、少し離れたところちはいえ、初めて「トンビ崎」の文字を見つけた。
 
 ムチャカナ公園。

 薩摩で役人に気に入られた美女のウミトラは喜界島に逃れて結ばれ、娘ムチャカナも美人だったのをねたまれ海に突き落とされた。ウミトラも娘を追って自殺したという言い伝えがあり、これに基づいてつくられた公園。

 
 
 鴈股の泉。

 保元の乱に敗れた源為朝が沖縄に逃れようとしたが、その途中、喜界島付近でしけになり、島に住民がいるか確かめるために矢を放つと、泉が湧き出たという言い伝えのある泉。
 
 小野津集落の一部には、珊瑚礁からできた石垣が見られた。
 
 中央の砂浜が小野津のビーチ。右端のほうは小野津漁港。
 
 東経130度の記念碑。東経130度は九州本土の唐津市付近や大村市付近も通っている。

 
 
 
 東日本大震災の津波で漂流し、1年後に喜界島に漂着した船。海岸に置かれている。

 左   その案内板。

 下左   漂流船から内陸に向かいバスに乗車した。志戸桶からここまで8km歩いた。この日は午前中歩いた台地とあわせて16q歩いた。

 下右   バスは喜界第一ホテル前で下車し、宿に戻った。

 
 
 
 宿に戻ったあと1時間ほど休憩し、夕食に出た。この日は、回転寿司店「大吉」へ。

 下左   回転寿司のレーンはあったが、回っておらず、注文して持ってきてもらう仕組みだった。

 下右   生ビール。
 
 
 
 上左  かんぱち。

 上中  島たこ。

 上右  茶碗むし。

 左左、左右   喜界島酒造製の黒糖焼酎「しまっちゅ伝蔵」。
 
 
 左左  いか。

 左右  赤貝。
 
 
 左左  シビ。

 左右  レタス巻。

 

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