10 日 目 奄美大島から喜界島へ
あやまる岬 |
「ウエストコート」の朝食はビュッフェ式だった。少し前までは定食だったようで、とてもよかった。この旅では、コロナ禍ではなくても常時、定食と思われる宿に泊まってきたので、とても新鮮に思えた。結果的には、この旅で唯一のビュッフェ式の朝食だった。 |
いけねぇ。ビュッフェ式だとどうしてもたくさんとりすぎてしまう。これがビュッフェの欠点。どれも、美味しかったし、残すのも悪いんで完食したけど、食べすぎだなぁ。 |
さらに、鶏飯をいただく。明らかにカロリー過剰だ。この日1日だけとして許してもらおう。(実際、翌日から宿の朝食は再び簡素な朝食に逆戻りした。) |
朝食後、チェックアウト。この日は、奄美大島の北部のあやまる岬と西郷さんに関わる史跡を見学。そのあと空路で喜界島に向かう。 写真の左にはホテルの玄関が写っている。玄関からバス停まで10秒。奄美空港行きに乗車。 |
終着の奄美空港まで乗ったあと、あやまる岬を通る北部へのバス(バン)に乗車。 |
あやまる岬のバス停は主要道路から入って、岬の公園の中にあるので、岬まであまり歩かなくてすんだ。 海の向こう側に見えるのは奄美大島の最北端の笠利崎。 |
喜界島の側。公園があり、水色の建物は温泉施設のようだ。丘の上にも何かある。行ってみたかったのだが、いったん下りて、また上がるのが大変そうで、行かずじまいになった。 |
トイレの壁はガラス張りで海が見える。 |
あやまる岬の手前の奄美市歴史民俗資料館へ。いったん丘を下って、戻るのに上らねばならないのだが、戻りのバスがくるまでの時間があるので、行ってみた。 |
玄関の上には「笠利町歴史民俗資料館」とある。あえて、合併前の施設名のまま残しているようだ。 奄美市は、名瀬市、笠利町、住用町が合併してできた市だ。住用町は名瀬市の南側だが、笠利町は島の最北端部。そして、名瀬市の北側の龍郷町は合併しなかったので、旧笠利町の地区は龍郷町の北側に飛び地となっている。 |
館内。 芭蕉布で作られた普段着。 小さな資料館なのですぐに見終わって、丘の上のバス停に戻った。 |
バス停に戻る。しばらく待ってやってきたバス(バン)で奄美空港に戻る。 |
奄美空港からは、こしゅく第1公園行きのバスに乗車して、龍郷役場前に向かう。 |
西郷さんと妻・愛加那さんの史跡 |
龍郷役場前で下車。バス停の真ん前に龍郷町役場がある。左が新庁舎で、右の白いのが少し古い旧庁舎のようだ。 龍郷(たつごう)とは読みにくい。難読ではないが”りゅうごう””たつさと”と読んでしまう。音訓が混じっていて難しい。 旧笠利町が名瀬市と合併して奄美市に入ったが、龍郷町は合併しなかった。大きな市に隣接する町が合併せずに残る例はたまに見かけるが、ここもそうだ。龍郷町は、奄美大島の焼酎会社が集まっているなどして、名瀬に吸収されるより、独自の道を歩むことを望んだのだろう。 |
西郷隆盛に関係する史跡が集まるエリアへは海岸に沿って6km歩かねばならない。都合のよいバスがないからだ。 1kmほど歩くと、瀬留カトリック教会があった。 屋根が入母屋造りだ。入母屋造りのカトリック教会とは珍しいが。その中で現存する最古のものだという。 |
入口は閉ざされていたものの、ガラスドアだったので内部が良く見えた。靴を脱いで上り、パイプ椅子に座る方式だ。木造の室内は、祭壇の部分も含めてなんだか神社のような印象を受けた。 |
白糖工場跡。 薩摩藩は1865年にアイルランド人の技師を招いて白糖工場を奄美大島の4か所に建てたが、そのうちの1つ。いずれも2、3年で操業をやめた。黒糖ではなく、白糖というのが珍しい。 |
出入りの激しい海岸線で、湾の奥は波がゆるやか。 「平家漁法」の看板がたててあった。細長い石の列が見えるが、石垣になっていて、満潮時にそこに入った魚が、干潮時に取り残されてとれるらしい。 |
LPGを扱う会社の敷地内に天然記念物のサキシマスオウの木があるという看板があった。マングローブでみられる木で、根が板状になっている。案内板のそばの木を撮影したが、これなのかどうかはっきりしない。でも、会社の敷地なので、壁の外側から撮影するしかなかった。 |
「西郷松」のあった地。 西郷隆盛が上陸した地で、乗船していた船をつないだ松の巨木があって「西郷松」と呼ばれていたが、枯れてしまい、2011年に伐採された。伐採された木からつくったものが龍郷町役場の前のりゅうがく館にあるというので、あとで見に行こう。 |
上陸地付近の海岸。 |
「番屋」で昼食。 |
店内。 |
海鮮丼をいただく。右下の黒いのはイカ墨汁。 |
奄美大島に西郷隆盛は約3年滞在するが、それは流刑ではなく、幕府の追手からかくまうための保護的なものだった。(その後の徳之島と沖永良部島は流刑。) 隆盛は愛加那さんを妻として、菊次郎が生誕する。その場所に行った。 愛可那の愛は西郷が与えた名で、もともとは龍家の加那で龍加那だった。龍家は、琉球王家の流れをくんでいて、この地の名家だった。そしてここは龍家の屋敷であったようだ。 隆盛はこの2番目の家で2年8か月過ごすとあるが、約3年の滞在中の多くをこの場所ですごしたことになる。 |
今はただの空地になっていた。西郷の住んだところとしては、このあと行く3番目のところが紹介されるが、この一番長く住んだところに行けてよかった。 看板がたっているが、この看板を読んで、隆盛の奄美大島行きが流刑じゃなく保護のためだということを知った。 |
隆盛2番目の家から少し離れたところに「愛可那の泉」(イジョンゴ)がある。 愛加那は畑仕事の帰りにここで水をくんでいたから、この名がついたようだ。 |
泉のところにあった建造物は最近のもののようだが、愛加那が水をくんだいたことを想像しながらたたずんだ。 |
島のブルースの歌碑。 「島のブルース」は1963年の三沢あけみさんのヒット曲。どんな曲なのか知らないが、奄美大島を舞台にしていて、大島の他の場所でも、「島のブル―ス」や「三沢あけみ」の文字を目にしていた。 この近くに隆盛の1番目の家の跡があるはずなのだが、見落とした。 |
隆盛の奄美大島での3番目の家。ここは隆盛が大島を出る少し前に、愛加那と菊次郎のために建てた家。 中は入れなかった。中には勝海舟の筆による碑とかみたいものがあるのだが。 |
当分の間、休館というのは事前にネット情報で知っていたので、驚かなかった。 ほかの西郷さんや愛加那さん関係の史跡をみたいので、ここが閉館でもやってくるつもりだった。掲示の最後の名前が「龍」になっているので、いまも龍家の屋敷なのだろう。 |
中に入れないが、じっくり見ていたらバス(バン)がやってきたので、慌てて走って乗車。そのため、バスの写真などはとれなかった。 龍郷役場前で下車。自分の背後に役場がある。道を隔てて建っているのが、りゅうがく館。 |
りゅうがく館の玄関を入ると、西郷隆盛と愛加那の木像が建ててある。これが、枯れた伐採された西郷松を利用したものでだということだ。 |
1階は図書館、2階が郷土資料館になっている。館内は撮影できず。入口にあった小屋風のものを撮影。奄美空港行きのバスを待つ間、30分ほどで見学した。 |
喜界島1泊目は部屋食 |
上 奄美空港に到着。離島の空港とは思えない立派な空港だ。 左 ターミナルビルに入る。多くの便がJACなので、カウンターの大部分はJACが占めている。ただし、ピーチやスカイマークも飛んでいる。 |
上 今まで訪れた奄美諸島の空港と比べて便数が格段に多い。東京、福岡が見えるし、ここにはないが大阪便もあるし、鹿児島便の便数がかな多い。 左 保安検査場や搭乗ゲートは2階にあるので、2階へ。土産物店があるのも離島らしくない。 |
上左 「赤木名ミキ」という飲物を買った。何だか人名みたいだ。「ミキ」は奄美独特の飲料で、米粉とさつまいも汁を混ぜて煮たもので、ドロドロしている。いろいろな生産者があるが、奄美北部の赤木名の業者なので「赤木名ミキ」。空港でローカル飲料をためすことができてよかった。 上右 搭乗開始。16時発の喜界島行き。 左 飛行機はATR。ブリッジの先端で階段を下り、地上を飛行機まで歩く。スロープのタラップで機内へ。 |
上 機体の後部には「鸛 コウノトリ TAJIMA」と書かれている。その前方には、あまり見えないけど、コウノトリらしきものが描かれているようだ。JACはコウノトリ但馬空港へも飛んでいるので、但馬へも飛ぶ機材かもしれない。 左 機内。離陸してまもなく着陸準備のアナウンス。 |
喜界空港に到着。 |
歩いてターミナルビルに向かった。今まで利用した空港の中でも、特に小さな空港の1つだ。 下 空港の玄関側。 |
宿までは1km弱。10分ほど歩いた。 |
「ビジネスホテル喜界」で2泊する。”ビジネスホテル”という名だが、実質は”ゲストハウス”的な宿だ。 下左、 室内。 下右 窓側から入口側を見る。 |
上左 窓から外を見る。田舎の風景が広がる。 上右 1時間ほど休んで、夕食に外出。ネット情報で安い食堂を見つけていたので、そちらに向かった。でも、島外の客などは入店お断りとの掲示があって、あきらめた。 このときは緊急事態ではなかったので、旅行に出たのだが、感染者の多く出ている地域からの訪問者は恐れられているのだなと実感。離島の医療を崩壊させないことが、訪問者に求められていることをあらためて感じた。 左 日が沈もうとしているときの港。雲で夕陽は見えなかった。食堂が少ないうえ、あっても休業などで、店がなかなか見つからない。 下 結局、Aコープ喜界店で惣菜と飲物を買って、部屋でいただくことにした。 |
上左 ゴクゼロ。 上右 ひじき。 左 ジョッキ生。 下 ソデイカとマツの刺身。パックのシールを見たら「喜界島産」と書いてあったので選んだ。地魚がスーパーで買えるのはうれしい。そのかわり、漁に出られない日は品がなく、また、いつも似た魚が多いんではないかと気になった。「マツ」はフエダイ科の魚の総称らしい。 |
左 とんかつとトマト。トマトは喜界島産と書いてあった。 下 巻きずし。 |
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