10 日 目 奄美大島から喜界島へ
あやまる岬 |
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![]() 写真の左にはホテルの玄関が写っている。玄関からバス停まで10秒。奄美空港行きに乗車。 |
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![]() 海の向こう側に見えるのは奄美大島の最北端の笠利崎。 |
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![]() 奄美市は、名瀬市、笠利町、住用町が合併してできた市だ。住用町は名瀬市の南側だが、笠利町は島の最北端部。そして、名瀬市の北側の龍郷町は合併しなかったので、旧笠利町の地区は龍郷町の北側に飛び地となっている。 |
![]() 芭蕉布で作られた普段着。 小さな資料館なのですぐに見終わって、丘の上のバス停に戻った。 |
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西郷さんと妻・愛加那さんの史跡 |
![]() 龍郷(たつごう)とは読みにくい。難読ではないが”りゅうごう””たつさと”と読んでしまう。音訓が混じっていて難しい。 旧笠利町が名瀬市と合併して奄美市に入ったが、龍郷町は合併しなかった。大きな市に隣接する町が合併せずに残る例はたまに見かけるが、ここもそうだ。龍郷町は、奄美大島の焼酎会社が集まっているなどして、名瀬に吸収されるより、独自の道を歩むことを望んだのだろう。 |
![]() 1kmほど歩くと、瀬留カトリック教会があった。 屋根が入母屋造りだ。入母屋造りのカトリック教会とは珍しいが。その中で現存する最古のものだという。 |
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![]() 薩摩藩は1865年にアイルランド人の技師を招いて白糖工場を奄美大島の4か所に建てたが、そのうちの1つ。いずれも2、3年で操業をやめた。黒糖ではなく、白糖というのが珍しい。 |
![]() 「平家漁法」の看板がたててあった。細長い石の列が見えるが、石垣になっていて、満潮時にそこに入った魚が、干潮時に取り残されてとれるらしい。 |
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![]() 西郷隆盛が上陸した地で、乗船していた船をつないだ松の巨木があって「西郷松」と呼ばれていたが、枯れてしまい、2011年に伐採された。伐採された木からつくったものが龍郷町役場の前のりゅうがく館にあるというので、あとで見に行こう。 |
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![]() 隆盛は愛加那さんを妻として、菊次郎が生誕する。その場所に行った。 愛可那の愛は西郷が与えた名で、もともとは龍家の加那で龍加那だった。龍家は、琉球王家の流れをくんでいて、この地の名家だった。そしてここは龍家の屋敷であったようだ。 隆盛はこの2番目の家で2年8か月過ごすとあるが、約3年の滞在中の多くをこの場所ですごしたことになる。 |
![]() 看板がたっているが、この看板を読んで、隆盛の奄美大島行きが流刑じゃなく保護のためだということを知った。 |
![]() 愛加那は畑仕事の帰りにここで水をくんでいたから、この名がついたようだ。 |
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![]() 「島のブルース」は1963年の三沢あけみさんのヒット曲。どんな曲なのか知らないが、奄美大島を舞台にしていて、大島の他の場所でも、「島のブル―ス」や「三沢あけみ」の文字を目にしていた。 この近くに隆盛の1番目の家の跡があるはずなのだが、見落とした。 |
![]() 中は入れなかった。中には勝海舟の筆による碑とかみたいものがあるのだが。 |
![]() ほかの西郷さんや愛加那さん関係の史跡をみたいので、ここが閉館でもやってくるつもりだった。掲示の最後の名前が「龍」になっているので、いまも龍家の屋敷なのだろう。 |
![]() 龍郷役場前で下車。自分の背後に役場がある。道を隔てて建っているのが、りゅうがく館。 |
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喜界島1泊目は部屋食 |
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![]() 左 ターミナルビルに入る。多くの便がJACなので、カウンターの大部分はJACが占めている。ただし、ピーチやスカイマークも飛んでいる。 |
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![]() 左 保安検査場や搭乗ゲートは2階にあるので、2階へ。土産物店があるのも離島らしくない。 |
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![]() 上右 搭乗開始。16時発の喜界島行き。 左 飛行機はATR。ブリッジの先端で階段を下り、地上を飛行機まで歩く。スロープのタラップで機内へ。 |
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![]() 左 機内。離陸してまもなく着陸準備のアナウンス。 |
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![]() 下 空港の玄関側。 |
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![]() 下左、 室内。 下右 窓側から入口側を見る。 |
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![]() 上右 1時間ほど休んで、夕食に外出。ネット情報で安い食堂を見つけていたので、そちらに向かった。でも、島外の客などは入店お断りとの掲示があって、あきらめた。 このときは緊急事態ではなかったので、旅行に出たのだが、感染者の多く出ている地域からの訪問者は恐れられているのだなと実感。離島の医療を崩壊させないことが、訪問者に求められていることをあらためて感じた。 左 日が沈もうとしているときの港。雲で夕陽は見えなかった。食堂が少ないうえ、あっても休業などで、店がなかなか見つからない。 下 結局、Aコープ喜界店で惣菜と飲物を買って、部屋でいただくことにした。 |
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![]() 上右 ひじき。 左 ジョッキ生。 下 ソデイカとマツの刺身。パックのシールを見たら「喜界島産」と書いてあったので選んだ。地魚がスーパーで買えるのはうれしい。そのかわり、漁に出られない日は品がなく、また、いつも似た魚が多いんではないかと気になった。「マツ」はフエダイ科の魚の総称らしい。 |
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![]() 下 巻きずし。 |
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