1 日 目 下 関 ・ 門 司
![]() 隣で停車中の「のぞみ」とは同じN700系だが、色が違う。「みずほ」「さくら」で使われるN700系は薄く水色ががったクリーム色。また8両編成である点も違う。 |
![]() 新神戸、岡山、広島、新山口、小倉、博多、熊本のみ停車で「のぞみ」に相当する列車だが、本数は少なく、つぎは16時台までない。その間は、「ひかり」に相当する「さくら」が毎時1本ある。 |
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![]() 注意点は、京都・新大阪間は、在来線利用となること。京都・新大阪の新幹線はJR東海であるため。また、着駅は、北九州市内でなはく、小倉となっている。小倉以外の北九州市内の駅はJR九州であるため。 |
![]() グリーン券も同時購入なら半額になるが、「みずほ」の普通車も指定席ならそこそこいいので、普通車指定席にした。 株優をチケット店で売る利益よりも、自分で使って割引かれる額を考えると、新大阪から岡山を越えたあたりから、自分で使うほうがお得だ。 |
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![]() 下左 今や少なくなった方向幕。この電車は小倉・下関間を往復しているようだ。 下右 シートは、元はセミクロスだったがロングに改装されている。 |
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![]() 下関は古来、赤間関とよばれ、1889年に市になったさいは赤間関市だったが、1902年に下関市になった。 駅の開業は1901年で赤間関の別称、馬関をとって馬関駅だったが、1902年に市名が下関市改称されたので下関駅になった。 |
![]() だが、JR西日本の駅へはICカードが使えない。JR西もICカードの利用可能エリアが拡大してきているが、山口県はまだ使えない。そのためか、改札内にJR九州のチャージ機が設置されていた。 |
![]() 下 昼食のフクを予約している店に行く途中、高杉晋作が奇兵隊を結成した地の記念碑があった。日本の近代的軍隊のはじまりのような奇兵隊はここでできたんだと思いながら店に向かった。 |
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![]() 山口県にはコロナ禍で重点措置が適用されているので、客が少なく、いったときも客は自分1人だった。重点措置とはいえ、20時までは酒類がOKのようで、よかった。 |
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![]() 前菜と飲物の清酒「東洋美人」。 左 「東洋美人」の醸造元は、萩市の澄川酒造場。 下 ふくさし。思っていたよりもたくさんあり満足。 |
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![]() 甘酒のように見えるが、ふくの白子を入れているので白くなっている。ひれ酒を飲もうとメニューを見たら、聞いたことがない白子酒があったので、一度飲んでみることにした、ひれ酒よりずっと値段が高いわりに、ひれ酒のほうが美味しいと思った。でも、一度試せてよかった。 |
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![]() すっかり満腹になって満足。ごちそうさま。 |
![]() ”何番から何番のホームから出発するバスは全部、唐戸を通ります”という表示があったので、系統を調べるのをやめて、そのホームで待った。すぐにバスが来て、乗車。 |
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![]() 下関の旧イギリス領事館は、1901年に設置され、この建物が作られたのは1906年。そして1941年まで使われたという。昭和の初期まで、下関は海外貿易の拠点だったんだと感じた。その観点からいえば、下関の果たす役割は相対的に低下したんだなって思った。 |
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![]() 下 唐戸市場付近から見た関門橋。 |
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![]() 改築されているが、ここで日清戦争の講和会議が開催された。 |
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![]() その途中に安徳天皇陵があった。安徳天皇の母は建礼門院(平清盛の娘)であり、3歳で即位した。平清盛は外祖父として権勢をほこった。 そして壇ノ浦の戦いのさい、入水して8歳で崩御。ここの他にも安徳天皇陵との説がある陵墓があり、それぞれ宮内庁が管理している。 |
![]() 安徳天皇を祀っている。 もとは阿弥陀寺で寺院に祀っていたのだが、明治になり赤間宮、さらに1940(昭和15)年に赤間神宮になった。 赤間関は下関の古来からの名で、1889年に赤間関市ができ、1902年に下関市に改称された。だから、赤間神宮は、意味的には"下関神宮"ってこと。 |
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![]() 下左 鳥居が階段の上に続く稲荷があった。 下右 関門橋の直下に到着。 |
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![]() 松本清張の「時間の習俗」の冒頭で旧暦正月にここで行われる神事が描かれている。40年前、それで気になり、トンネルを出た後、やってきたが、今回、再び訪問。 |
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![]() の関門海峡めかり駅へ向かった。最終列車の出発が近付いていて、10分ほど急いで歩いた。 運行しているのは平成筑豊鉄道というのが意外感がある。平成筑豊鉄道は筑豊地区の国鉄ローカル線を引き継いだ第3セクター会社だからだ。 |
![]() この路線は、土日祝だけの運行なので、それに合わせて旅行日を決めた。九州の鉄道に中で、ここが乗れずにいたので。乗りたかったので。 |
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![]() 門司港駅の周辺にはレトロ建築物が多く、改めて見に来たいと思っているので、記念館もそのときに見よう。 |
![]() 九州の鉄道は今でこそ博多が中心だが、かつては門司港が拠点だったことの象徴。 |
![]() 関門トンネル(鉄道)ができたのは、意外に新しく、1942(昭和17)年に単線で開通し、複線で開通したのは1944(昭和19)年。太平洋戦争中のことだった。 関門トンネル(道路)ができたのは、さらに新しく1958(昭和33)年のこと。 |
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![]() 40年前に何度かした九州旅行では、門司港発の急行「かいもん」西鹿児島行き、急行「日南」宮崎行き、普通「ながさき」長崎・佐世保行きの夜行列車を愛用していたので、門司港駅へ夜にやってきて、始発駅乗車をしていたのが懐かしい。 また、そのころは特急「有明」西鹿児島行き、特急「にちりん」宮崎行きは早朝の門司港発、深夜の門司港着があった。 |
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![]() 部屋は少し広い目の感じ。 |
![]() 夕食に出かけるまで1時間ほど休憩。 |
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![]() サバを漬物のぬか床と一緒に煮込んだ料理で、小倉名物。見ただけだと味噌煮に見えるが、食べてみると味噌とは少し違うとわかる。 |
![]() なぜか小倉名物だといい、専門店もあった。でもほかの焼うどんとはどう違うか、はっきりしなかった。 途中で飲物を買って、宿に戻る。 |
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